【バレンタイン】それでも好きでいてもいいですか?

 その日失恋した私に、あなたは言った。


『それは相手の見る目が無かっただけだよ』

『だから、あんま気にすんな』


 その一言は、あまりにも淡白で、意味などなくて、多分誰にでも言っているような言葉だったのだろうけど。


 それでも私にとってはあなたを忘れられない「たった一言」になったんだ。


 ◆◇◆◇◆


 季節は巡りバレンタイン。

 の、前日。

 この日は私たち家族にとってちょっとだけ特別だったりする。


 実家である老舗旅館の『彼岸屋』では毎年バレンタインになると、宿泊してくださるお客様にチョコを配ったりする。それも、市販の小さな物ではなくてちゃんとした手作りのチョコだ。

 基本的には仲居さんや厨房職の方に大方手伝ってもらうのだけど、少しは彼岸屋の者として尽力したいと、数年前から私たち兄妹もこの行事に参加している。

 ここまでは家の手伝い程度だと思われもおかしくないけど、本題、私たち家族は少しだけ


 ◆◇◆◇◆


「……毎年のことながら、よくもまあやるよな。こんなめんどくさいこと」

「面倒なことは無いですよ。そんなこと言うんなら、手伝うか出てってください。というかそんなわがままっ子にはチョコあげませんよ!」

「なっ……!!」


 大量のチョコレートが厨房のステンレスデスクに並んでいる。その前で何やらやんわりと言い争っているのは、私の兄であるこの旅館の若旦那、彼岸ひがんめいと、その付き人の行実ゆきざねはるだ。

 明朝だというのに二人はしっかりと仕事着でそこに立っていた。普段は何時起きなんだろうと心配になってしまう。


「……おはよう、お兄、晴兄」

「あ、おはようございます、あさひ

「はよ、朝」

「うん」


 まだ寝ぼけているからか、私はふたりに気の抜けた返事をしてしまう。しょうがないな、という目で私の頭をぽんぽんと叩く晴兄。嬉しさと驚きで目が覚めた。


「なんでいるの?」

「明日バレンタインだからだろ。いつも前日仕込みに来てるじゃねえか」

「あ、そっか! じゃあゆうひも起こしてくる!」

「朝! 廊下を走っては行けませんよ!」

「はーい!」


 私は適当にお兄の言葉を聞き流して、双子の妹である夕を起こしに行く。私よりも起きるのが遅いのは珍しいことだったけれど、その理由はわかっていた。


 久しぶりに、お兄が本家に遊びに来ると聞いていたからだ。


 本家に顔を出さない理由を、私はなんとなく知っている。

 一つはおばあちゃんとの確執だ。おばあちゃんはお兄のことをどうしてだかすごく毛嫌いしている。彼岸屋を任せているのだってお父さんの名代だというし、どうしてそこまで嫌うのか私には理解ができない。けれど少しだけわかっていることもある。

 それはきっとお兄の胸にある大輪の花の痣が関係しているんだということ。

 もう一つはお父さんとの気まずさ。昔何があったのかはわからないけど、お兄はお父さんのことが苦手らしい。おばあちゃんに会いたくないのも本家に帰りたくない理由の一つかもしれないけれど、お父さんに会うのも理由の一つだと私は思っている。

 だから、本家に滅多に来ることがないお兄が、こうしてイベントごとに顔を出してくれることが何より嬉しかったりするのだ。


 お兄が本家に来られない理由を聞きたいとお父さんに訊いたこともあるけれど、お父さんは「鳴が伝えたいと決めた時に直接聞きなさい」と言った。

 晴兄にも同じようなことを質問してみたけど、結局返ってきたのは同じような答えだった。

 色々な気持ちが交錯する中で、私たち双子は心に決めていることがある。


 何があっても、兄が悲しむ顔をこの家でさせないこと。


「夕ー、お兄来てたよー!」

「あさちゃんそれ本当?」

「うん。ていうか起きてたんだ」


 部屋に入れば夕はすでに起きていて、寝間着から着替えていた。私よりも後に起きたはずなのにいつの間に……少し敗北感を味わったのは内緒。


「兄さんたちは?」

「厨房にいる。あ、これ持って行って。今日のレシピ」

「わかった」


 じゃあ後でねと夕と離れてから私も着替える。

 夕と違って私は一日中寝間着姿のままでも構わないのだけど、夕が家でもしっかりしていた方がいいと五月蝿うるさいので仕方なく着替える。そうすればも、少しは気にしてくれるかな。なんて淡い期待を胸に、私は再び厨房へと向かった。


 ◆◇◆◇◆


「トリュフチョコを作ります」

「とりゅ……?」

「去年のとは違うのか」

「違うよ。去年はココナッツチョコ。今年はトリュフチョコ。違うのは周りにまぶすものかなあ。ココアをね、ころころまぶしつけるんだよ」

「……なんだかよく分からないですけど、調べてくれたレシピの写真を見る限りとても美味しそうですね」


 お兄が微笑むと自然と一帯の空気が優しくなる。『家族』ってそういうものなんじゃないかな、なんて嬉しくなる。


「じゃあ作っていきましょー!」

「はあい。では晴、出て行ってください」

「は? なんで」

「つまみ食いという名の仕事は無いからです。さあ、行った行った! ここからは家族の時間ですから! ねえ、朝、夕?」

「そうだよ! ほら、晴兄は晴兄の仕事があるんでしょ!」

「そちらに行った方がいいんじゃないですか?」

「な、なんだよお前ら皆して……!!」

「晴」


 お兄が晴兄を呼ぶ。手招きをしてかがませると耳元に掌と顔を近づけた。


「……んだよ」

「今日は先日節分でいらした鬼神様がお帰りになる大事な日ですから、そちらに集中してください。帰ってきたらつまみ食い、していいですから」


 とても小さな声だったから何を言ったかまでは聞こえなかったけれど、お兄が何やら耳元でぽそりと囁くと、晴兄は少しだけ考えてから「わかった」と言って厨房を後にした。その時の晴兄の顔は、どこか嬉々としていた気がした。


 ◆◇◆◇◆


「何て言ったの?」

「んー、内緒です! さて、始めましょう。沢山作らないといけませんから、時間は有効に!」


 お兄の号令の元、私たちは一斉にレシピを確認して、各々役割分担で作業に入った。湯煎係、チョコを細かくする係、洗い物係……。どれも大事な役割だ。

 夕が席を外した時間、ふと、お兄の顔色を窺う。変な意味は無い。少しだけ心配になったから、言葉の通りの意味。

 最近会ってなかったから余計にかもしれない。お兄の顔色が悪いような気がした。もともと体の弱い人だと聞いていたから、色の抜けた頬を見る度に怖くなる。


「……さ、……朝?」

「んっ? なに?」


 いけない。お兄の顔に集中しすぎていた。不審がられてないかなと目を泳がせる。動揺しすぎて湯煎の湯が指にかかってしまった。


「あつぁっ!!」

「わあ! 朝、大丈夫ですか!!」

「だ、大丈夫! 大丈夫……。ビックリしただけ。集中してなかった私が悪いから、」

「……手を貸してください」

「え?」


 お兄がそう言うから、思わず手を伸ばしてしまう。甘える年でもないのになぁなんて他人事のように心の中で呟いた。私はもう大学生なのだから、十分な大人なのだからと。それでも久しぶりに触れたお兄の手は、温かくて大きかった。


「んふふ。大きくなりましたね、朝」

「……そりゃあね、大学生になったもん」

「うん。嬉しい」

「どうして?」

「僕は、こうして朝たちともう二度と触れ合えないと思っていたから」

「……」


 それは、どういう意味なんだろう。深入りして、聞いてみてもいい事なのかな。そればかりは、私には判断ができなかった。ただ、じんわりとしたものが胸の中を渦巻いたのだけはわかった。


「火傷は、してないみたい。良かった」

「あ……」


 お兄の手が離れる。どうやら湯煎で火傷をしてしまったのだと思ったみたい。お兄は私に怪我がないことを確認すると、ほっと安堵したように深く息をついた。


「朝が声をあげるから僕心配になっちゃって」

「……ビックリしたから声が出ちゃっただけ。でも、心配してくれてありがと」

「……うん。怪我なくて、本当に良かった」


 そう言うとお兄が私の頭を撫でた。子供扱いされるのは少しだけ複雑な気持ちだけど、まあ、許してあげよう。


「そういえばお兄、さっき何を聞きかけたの?」


 私の名前、呼んだよね? と聞いてみれば、聞きたかったことを思い出したのか「ああ」と相槌を打った。


「明日は大学の授業あったりするんですか?」

「うん、あるよ、なんで?」

「その……バレンタインじゃ、ないですか……」

「?」


 少しして気づく。ああ、そういうこと。

 お兄は私に好きな人がいないか探ってるんだ。


「だ、誰か好きな方とか、いたりするんですか?」


 ほら、やっぱり。

 お兄はこういう話に疎いからか、私がまだ思春期真っ只中だと信じているからなのか、だいぶ気を遣ってくれている。

 まあ、プライバシーに関わる話でもあるから、その気遣いは正しいと思うけど私もそこまで子供じゃない。


「えっと、」

「あ、待って」

「え?」

「ぼ、僕なんかが聞いていい話じゃないですね。うん、大丈夫。無理して言わなくて大丈夫。続き、作りましょうか、」

「いや、ここまで聞いておいて言わなくてもいいって言われると逆に言いたくなるんだけど?」

「えっ! ということはいるんですか⁉ 好きな人!」

「——え、聞いてないんだけどあさちゃん」


 いつの間にか戻ってきていた夕が首を傾けてこっちを見ていた。

 いや、言うわけないじゃん? 双子だからって、兄妹だからってなんでもは言わないでしょ? そういう表情で夕を見れば、彼女は怪訝そうな顔をした。


「だって……聞かれてないし。ていうか言わないでしょ。夕だって好きな人できたからってなんでも相談しないじゃん」

「それは……まあ、そうね」

「……そっかぁ。そっかそっか。んふふ」


 お兄が、笑った。とても嬉しそうに、幸せそうに、笑ってくれた。私と夕は突然のことに顔を見合わせて首を傾げた。そんなに面白いこと言ったかな? って。


「朝も、ちゃんと青春してるんですね。良かった。嬉しい、嬉しいです」


 心の底から喜んでいるように微笑むお兄が珍しくて、私たちも嬉しくなった。


 ◆◇◆◇◆


 でもね、お兄。この恋は一生かけても叶わないことがわかってるんだよ。


 わかりきった私の片想い。それでも好きだと想い続けることができるのは、あの人が私のことを何も思っていないからなんだ。


 ふう、と一息つく。もう少しでチョコレートが完成する。


「——できた!」


 可愛く丸まったチョコレートはとても美味しそうに出来上がった。するとお兄が「先につまんでしまいましょうか」といたずらっ子よろしく笑ったので、私も夕も一緒になって笑った。

 あの人も喜んでくれるかな。喜んで、くれるといいな。


 明日はバレンタイン。私はこのチョコレートを片手に、あなたの元に会いに行く。


 お兄の隣で微笑むあなたが好きです。


 きっと私は、お兄には叶わないけど、せめて今はあなたを想うことだけは許してくれますか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る