【ハロウィン】とある男の受難

 世間はハロウィンとあって街が随分と賑やかだ。

 ネオンライトが散らばり、目が痛いと訴えている。そんな、東京・新宿の上空から行き交う人々を眺めては、欠伸を噛み殺すことに意識を専念している男がいた。


 行実ゆきざねはる——彼は新宿の裏世界に位置する『神宿しんじゅく』老舗旅館・彼岸屋の従業員である。彼の仕事はいうなれば運び屋で、季節や時期ごとにお役目を果たしにやってくる神様たちをその土地へと運ぶ『御神送おみおくり』をしている。

 そんな彼は現在、職場である彼岸屋へと戻る帰路の途中だった。


 喧騒煩けんそううるさい夜の街は好かない彼だが、イベント独特の雰囲気は嫌いではなかった。そこには、いつか大切な相方を街に連れ出して色んなものに見て触れて欲しいという願望が隠れていた。


 これは、要は未来の為の『視察』である。


 式神である牛車を引いて彼岸屋へと帰宅する。時刻は夕方の六時を回ったところだ。今回の『御神送り』はなかなかに長い旅だったため、要所ようしょ要所で休憩をはさんでいたらこのような時間となってしまった。

 後で遅くなってしまった理由を説明しなければ、と彼岸屋の玄関に足を踏み入れたその時——「うわあ!」という悲鳴が晴の耳を穿った。その声の正体が一瞬にして脳裏に浮かぶと、今自分が靴を履いたままだということを無視して声の聞こえた奥へと特攻した。

 奥へと辿り着けば、晴の疲れ切った脳では処理し切れない情報が目の前に広がっていた。


 ◆◇◆◇◆


「や、やめてください、あさひっ!」

「なんでよ、おにい! ほら、全っ然可愛いから大丈夫だよ!」

「せ、成人男性に向かって”可愛い”と言うのはお止めなさいとあれほどっ」

「……あさちゃん……」

「なにゆうひ、今忙しいんだけど!」

「うん。私も兄さんが可愛くて仕方ないからやめてほしくはないんだけど……」

「え? ——げっ」


 ちらりと横目に確認すれば、烽火九尾のろしきゅうび残滓ざんしとも捉えれる程の黒いもやが、駆けつけた晴の背にまとわりついていた。顔は笑ってはいるが目は笑っておらず、口元を引くつかせてこめかみ部分に青筋を立てていた。

 あまりの鬼面に、双子の姉妹はごくりと喉を鳴らした。


「何してんだお前ら」

「あ、えと、あのね? 今日ハロウィンじゃん? だからお兄にもさ、仮装してほしいって言ったら、お兄そもそもハロウィンって何って言うからさっ」

「こういうものなんですよ、と解説をしていただけなんです」

「だったらなんで鳴が涙目になる!」


 そう。まだ楽し気にしていたのなら良かったのだが、仮装させられていた当の本人である鳴は何故か半泣き状態だった。

 耳のついたカチューシャを妹たちに無理矢理付けられそうになっていたのが原因か。彼岸屋の若旦那である鳴の”番犬”とも言われる晴が声を荒げるのも無理はない。


「は、晴! こ、これはね、あの、朝も夕も悪くなくて、海外の行事に教養の無い僕が悪いんです!」

「なんで庇う⁉ 嫌なら嫌だとハッキリ言ってやれ。でなければ嫌な気分になるのは自分だぞ鳴」

「う、うぅ……。だって……こうしたら晴が喜ぶからって朝も夕も言うからぁ……」


 めちゃくちゃ怒ってるじゃないですか、と項垂れる鳴を他所に、晴は何故か鳴の言葉に困惑していた。

 喜ぶ、とはなんだ?

 涙目ばかりに目がいっていた所為で気付くのに時間が掛かってしまったが、よくよく見れば鳴は黒くあでやかな立派な着物を着ており、頭には狐面をつけていた。黒い着物と狐面というこの仮装は、どことなくあの女狐を彷彿とさせる姿格好であったので、晴の脳が情報を処理することを一時放棄したのだろう。


 烽火九尾の存在は晴と鳴、そして上層部少数しかその存在を知らないはずだ。だが知らないはずの双子はどうしてここまであの女狐を再現できたのか。


「……はあ……もういい。悪ふざけも大概にしろ。行くぞ鳴」

「え、あ、はい」


 晴は鳴の手を引き、その場を去る。あまりお咎めがなかったからか、彼らが視界から失せた瞬間、姉妹は安堵の溜め息を数秒間吐き続けたのだった。


 ◆◇◆◇◆


 半ば強引に鳴の腕を引いて晴は自室へと戻った。

 眠気と烽火九尾に化けた鳴と混乱する脳では、冷静な判断ができない。彼が疲れていることを重々承知している鳴は文句を言うことなく素直に手を引かれていた。


「……それで、なんでその格好なんだ」

「え? ……ああ、なんか、今年のトレンド? らしいです。妖怪大戦争みたいなコンセプトのコスプレが流行りなのだそうです」


 ——だからって、なんだってお前が黒い狐なんだ……。


 確かに可愛らしくメイクまでされていて似合っているとは思う。しかし、この姿は晴にとって非常に”毒”でしかなかった。

 下手に似ている所為で、今後の契約に影響するかもしれないという事案が発生するのだ。

 鳴は命の契約については何も知らない。知っていたらこんな格好はしないと晴は知っていた。流石にこれは誤算だったと頭を抱える。


 ——次あの女狐に会った時どんな感情でいたらいいんだよッ……!


「ああ、もう!!」

「は、晴?」

「なんだよ……今忙しいんだよ俺は……」

「うん。ごめんね。……僕がこんな格好してたからだよね?」

「……?」

「たまには現代社会に乗ってみるのもいいかなと思って、朝たちに訊いてみたんだ。そしたらこんな風になっちゃって……。んふふ、でもハロウィンって面白いですね。日本でいうところのお盆のような日なのに、仮装して死者をおもてなしだなんて。楽しそうだなって、思いました」

「そう、だな」

「晴は気に入りませんでしたか? もし着替えろというのならぐにでも……晴?」


 晴は俯きながら鳴の手を緩く握った。


「……俺は、お前が楽しければ全然、やればいいと思うんだ。でも、その格好だけは金輪際こんりんざいやめてくれ……」

「……はい。わかりました」


 鳴は優しく微笑むと晴の手を握り返した。


「おやすみなさい、晴」


 体力の限界だった晴は、鳴の温もりに癒されながら眠りについた。


 ◆◇◆◇◆


 翌日、回復した晴が姉妹をとっ捕まえて、こっぴどく叱ったのは言うまでもないだろう。

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