第13話 瘴気の名残り

 演習場でネレウスさんの講義に参加した帰り道。

 噴水広場に差しかかると、噴水の近くにリルの姿が見える。


 こんな所で珍しいと思いながら、私は声をかけようと踏み出した。


「?」


 その時ふと、空間に違和感を覚えて足が止まる。

 急に別の場所に入ったみたいな、何だか変な肌触りがしたのだ。


 しかし周囲を見回してみても、先ほどまでと何ら変わりない。強いて言えば今日は人通りが少ない…というか、珍しく誰もいないタイミングであるくらいで。


「リル!」


 まあいいかと再び歩を進め、リルに呼びかける。しかし振り向いた彼は、私を見て眉をひそめた。どうしたんだろうか。


「…何か用か」

「用はないけど、何してるのかと思って」

「別に何でもない。俺に構ってないでアイツの所に行けばいいだろう」


 うわあ、めっちゃ不機嫌。こんなになってるのは久々に見たかも。

 ていうか、アイツとは?


「誰のこと?」

「ホアカリ・フェニックス」

「アカリちゃん? 今日は何も約束してないよ」

「今日は、か」


 独り言のような言葉を吐くリルの瞳に、寂しげな色が宿る。


「人気のない所は避けて行けよ。じゃあな」


 それに気づいたのも束の間、彼は一方的に話を切って踵を返した。私がアカリちゃんの元へ赴くのが当然だと言わんばかりの態度に、何となく不安を覚える。


「リル?」


 呼んでもリルは応えない。

 その様子に一瞬立ちすくんでしまったが、私は離れていくリルの背中を追う為に足を動かした。


 その時。


「!?」


 視界の端で噴水の水しぶきが一部黒く変化し、小さなモヤが現れる。そしてそのモヤが、すうっとリルに近寄っていった。


(嘘、あれってまさか…)


 驚愕に再び体が固まる。まばたきすら止まりそうだ。

 自分の予測を否定したいが、如何せん私は少女漫画ニジマスをこよなく愛する者。熟読した第一部のことは、つぶさに記憶している。


 アレは、瘴気の魔女ミアズママギサだ。


 漫画で見たものより限りなく小さいサイズだけど、噴水から出現する黒いモヤなんて他にない。大きさが違うだけで、見た目も伝わってくる雰囲気もまさしくヒロインが戦ったそれである。


 何故、まだ存在しているのか。


 頭に忙しなく思考が飛び交う中、黒いモヤはリルに纏わりつく。その瞬間、リルがふらついて地面に膝をついた。


「リル! 大丈夫!?」


 私は弾かれたように駆け出し、彼に手を添える。黒いモヤはリルから離れず、少し大きくなった気がした。そしてモヤは、私には全くの無関心。これは恐らくリルのほうが、モヤにとって好ましいエネルギーを持っているからだろう。


 黒いモヤすなわち瘴気の魔女ミアズママギサが求めるものは、負のエネルギー。いわゆる負の感情とか、そういったネガティブなエネルギーを取り込んで力をつけていく。


 エネルギーとは生命力のこと。体力、精神力、魔力などと色々区別されているが、どれもその生命を成り立たせるエネルギーであることに変わりはない。


 そして負のエネルギーもまた、生命力の一つなのだ。つまり瘴気の魔女ミアズママギサにネガティブなエネルギーを吸収されるということは、生命力を削られることを意味する。


「しっかりして、リル!」

「…ちょっと眩暈がしただけだ。俺に構うな」


 リルは返事をしてくれたが、青い顔をしていた。鬱陶しく嵩を増すモヤを手で払ってみるものの、何の効果もない。当然だ、瘴気の魔女ミアズママギサを倒せるのはヒロインの治癒魔法しかないのだから。


 ヒロインを探しに行くべきか。でもリルを放ってはおけない。

 どうすれば。


「リル、何か楽しいことを考えて! 悩み事とか色々あるかもしれないけど、今はほっといてイイこと沢山想像して!」


 魔女が集めるのは負のエネルギーだけだ。ならそれを正のエネルギーに置き換えれば、取り込めるエネルギーがなくなって生命力の吸収が止まるはず。


「何言ってるんだ、お前」

「いいから、ほら早く! リルの好きなものは何?」


 具合が悪そうながらも呆れた顔をするリルを急かし、彼の思考をポジティブな方向へ誘導しようと試みる。


「俺は……」

「うんうん、何が食べたい? 何がしたい? 後で一緒に行こうね」


 努めて明るく笑顔を作ると、リルは私の腕を掴んだ。彼のルビーを思わせる赤い瞳が、先ほどまでよりも透き通っている。


「リューコが好きだ」

「そっかあ、私が……って、え?」


 まっすぐ伝えられたその言葉に、私は一瞬瘴気の魔女ミアズママギサの存在も忘れて目を瞬かせた。


 ちらりと窺った黒いモヤは、増殖速度が遅くなっているように見える。彼の好きなものに対する気持ちが、自身のエネルギーをプラスへ向けたのだ。


 その対象が、私。


「……っ!」


 そこまで思い至り、私は火を噴いたように顔が熱くなる。掴まれた腕にまでそれが伝導していく気がして恥ずかしい。


 先日のアカリちゃんと違い、友愛を告げられているとは思わなかった。

 そんな風にはとても見えない。それに。


(嬉しい)


 こんなにも、心に喜びが溢れている。ああ、そうかと納得した。


 私はリルが好きなんだ。

 求めていたのはロマンスではなくて、彼のこと。


 だから占い結果の結婚相手をおのずと遠ざけてしまい、なかなか出会えないのかもしれない。そんなことを考えて胸中で苦笑する。


「お前がホアカリ殿下を慕ってるのは承知の上だが、俺は…」

「待って待って、アカリちゃんは好きだけど友達だから。何でそうアカリちゃんを気にするの。私が恋してるのはリルよ、ちゃんと聞いて」

「……は?」


 何やら誤解されているようだったので慌ててまくし立てると、リルは怪訝な顔でこちらを見やった。心外なリアクションである。

 まあしかし、自分でもたったいま気づいた気持ちだ。伝わっていなかったのは仕方ないことだろう。


「だから、私もリルが好き。両想いで嬉しい。ありがとう、リル」


 私に触れていた彼の手を両手でぎゅっと包み、心を分かって貰えるようにと微笑む。すると漸く状況を察してくれたのか、リルは私の熱が移ったみたいに頬を染めた。ちょっと混乱してるかな、可愛い。


「でもお前この間、あいつと寄り添っていただろう」

「え? そんなこと…」


 と今度は私が眉をひそめたところで、ふと先日のことが頭を過ぎる。アカリちゃんが「弟を構いたい」と口にした時、確かに私のほうに近づいた。それは耳打ちや内緒話をするようなものだったけど、傍から見たら親密な恋人同士に映ったかもしれない。

 しかしそのひと時くらいしか心当たりがないことを考えると、もしかして丁度それを目撃されていたのだろうか。


 何にしろ、やましいことは皆無だ。しっかり話をしようと思ったその時、横から激しい光の帯が飛び込んできて思わず目を瞑る。


「きゃあ!」


 目を閉じていても感じられる明るさは、その強烈さとは裏腹に温かい。お陰で跳ね上がった鼓動はすうっと落ち着き、この光が何なのかを悟ることができた。


「リューコ、大丈夫か?」


 その声を合図にゆっくり目を開けると、心配そうにこちらを覗き込むリルの姿がある。彼の顔色が良くなっているのを認め、私はホッと胸を撫で下ろした。

 ちらりとリルの周囲を確認するが、黒いモヤは跡形もなく消えている。それに奇妙な空気の感覚もどこかにいってしまい、爽やかな風が吹き抜けていく。


「うん、大丈夫。リルも具合はどう?」

「そういえば体が軽いというか、調子がいいな」

「良かった」


 そう言葉を交わしながら二人で立ち上がったところへ、可愛らしい声に呼びかけられた。


「お二人とも、大丈夫ですか?」


 目をやればそこには予想通り、ピンク色の髪をした超絶美少女がいる。ニジマスのスーパーヒロイン、イーリスちゃんだ。相変わらず天使の風貌で素晴らしい。


「大丈夫です。ありがとうございました」

「?」


 私がぺこりと頭を下げるのを、リルが不思議そうに見つめる。


「間に合って良かったです。今、変な黒いモヤに絡まれていましたでしょう。詳細は不明ですが、あれは人を害するものだと思われます。でも治癒魔法で消滅させられるので、私が対応させて頂きました」

「治癒魔法」


 イーリスちゃんの説明を聞いたリルが、何か思いついたような顔をした。


「彼女は光属性で、この国で唯一の治癒魔法の使い手だ。さっきの光で回復もできたと思うが、念のため保健室に行くか?」

「いえ、お陰様で快調です。助けて下さってありがとうございました」


 続いてヒロインと一緒にいたメインヒーローのアキくんが声をかけ、リルがそれに答える。二人の言葉で、彼も身に起きたことを理解したようだ。ヒロインが治癒魔法を使えることは、広く知れ渡っているしね。


 それにしてもイーリスちゃんは本当に凄いな。

 漫画で読んで分かっていたつもりだったが、魔法が日常的な世界に生きていても尚、彼女の最強ぶりには目を瞠る。先ほどの光の帯など、バトル系漫画の光線攻撃のようにかっこよかった。サインくれないだろうか。


「あのモヤはいつもこの噴水から現れるんです。いつもと言うほど何度も出会ってはいませんけど…」

「いつ出現するのか、もう出ないのかも不明なモノだ。はっきりしたことを言えなくてすまないが、暫くは注意するようにしてくれ」

「はい」

「分かりました」


 私達が神妙に頷くと、イーリスちゃんは「何かあったらいつでも呼んで下さい」と付け足してくれる。最後にそれぞれ自己紹介をし、この場は解散となった。

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