2
「いでででででで! 死ぬ死ぬ、しゃみいいっ!」
ハルパスの影から魔女が実体化して飛び出す。そのまま止まることなく、ハルパスの飛行の速度と同じ速度で跳躍し、森を進む。
『大丈夫なのかソレ? 死ぬ死ぬって、嘘がつけぬのがお前さんであろう』
「実際三個ほど死にましたからね! 全部共感覚で痛み、繋がっていますからね!」
首を噛まれるわ、腹を刺されるわ、喉を貫かれるわ。死ぬわそりゃ。嘘偽りなく!
『まあその、ついてなかったな』
「森の番人、怖すぎシャミ!」
『難儀だな。さて。お前さんはそのまま森を抜けることを考えろ』
旋回すると、ハルパスは開けたところにある朽ちた大樹の名残の上に立った。
視界をまっすぐ見据える。
「ハルパス?」
『どうやら連中、まだ追ってきているようだ』
「シャミィ! そういえば追うとかいってた!」
『お前さんの首を抑えつけた狼のつがいだろう。木々の経絡を跳躍してきて我らをマークしている。ふふ、さすが狩りは狼の得意分野だな』
「ふふ、じゃないシャミよ! 追いつかれたらシャミーは痛い目に遭い損ではありませんか!」
『面倒だが、ここで止めねばお前さんを守りながら戦わねばならん。今一度、視力を半分よこせ。道筋は自分で見つけて進むようにな』
「りょ、りょうかいシャミ!」
飛ぶように駆け、魔女は片目を閉じた。
『うむ、その目は俯瞰に使わせてもらうぞ。』
「うう、右目がなくなると距離感を掴むのがむつかしい」
『木にぶつかって気絶など間抜けはしてくれるなよ?』
魔女と使い魔、すでに言葉を交わせる距離ではないが、意識と一部の視覚を共有することで念話を行使できる。
『雑音交じりで戦える相手ではない。会話は切るぞ』
「健闘を祈るシャミ!」
俯瞰の目は森の上部から。影がそこにさえあれば闇魔女の目はそこに在る。
猛禽類は三千メートルの射程から獲物を捕らえることができるらしいが。魔女の目を借りたハルパスは前方四千メートル、左右後方にそれぞれ五百メートル。
円の中心からやや後方に己を置き、両の目で照準を合わせる。まだ視界に狼は入っていない。
『祖霊か』
命の呼気を感じない。霧や、風。そうしたものに獣の姿が宿った存在を祖霊という。エルフを魔界では妖精と指すが、祖霊とは彼らが従える精霊に形を与えたものを指す。精霊は自然の原理の象徴であるが、祖霊は明確に意思を持っている。
『狩られる身になるのは久しいが、さて』
魔女と別れ、魔女がエルフと対峙し、魔女が時間を稼いだところからカウントする。視界に入った瞬間、彼らは本能でこちらの位置を視線から辿るだろう。
着物の裾を整えるように、羽ばたく翼。
音もなく、上段に構えた二対のサーベルが現れる。
左下、右下に刃を向ける雄牛構えをさらに二対。
後方に下段・中段に備えた二対。合わせて六本の剣が宙に浮く。
『戦闘は苦手なのだがな。さあ。我の権限たる武具。刃を躱しきれるかね』
木と木の間を疾走する獣。
ハルパスの焦点が、中央正面に向いた。
右の上段のサーベルがきっかり四千メートル先に振るわれた。
遅れて、風を裂く音。獣は幹を蹴り左前方に加速。
そこに、中段に構えたサーベルが向かって右下、逆袈裟に切り上げる。
狼の前足と、肋骨のあたりが断たれる。
瞬間、狼の体は霧に変化し霧散、逃れようとした。
変化の中途で、上段から放たれた初撃が、逆袈裟で胴体中央を真っ二つに裂く。
二対のサーベルの、柄から伸びた金糸。それは拡大して見られたなら鎖の連なりであった。鎖が踊り、霧の形を縛る。
『霧の体ならば、霧に武器を変化させるまでよ』
乾いた音を立てて、二対のサーベルは杭のように地面と幹に刺さった。
ばらばらの、無残な姿で狼の姿が宙づりにされる。霧の身に変化しているにもかかわらず抜けられないことに困惑しているようだった。
『仕留めたか』
呟くに同じく、ハルパスの左、三歩ほどの距離に大きな牙を備えた口が現れ、その小さな身を丸のみにせんと瞬きより速く顎が閉じられた。
『ふむ! もう一匹は透明の姿。風の化身か!』
軋む音で、二本のサーベルが顎を止めていた。
全身の姿を現したもう一匹は、全長二メートル近い大型の獣だった。
『あっちよりも速くに回り込んでいたか。霧の方が魔女殿と対峙していた方だな? 透明化を分かっていて幸いだ、命を拾った』
みしり、みしりと刃が今にも砕けそうな音を立てている。
『風の姿になり我を切り裂かぬか? 当ててみよう、残りの二本の剣をなぜ振るわぬのかと?』
『囀るな。そのまま喰らうまで』
『噛みつきながらずいぶん器用に声を出すものだ』
満心とみたか、不意をつかんと大型狼は透明化し、刃をすり抜けた。
『ぐ、お』
大きく開けられた口の、舌先まで迫るも鳩の身に牙は届いていない。
脳天から刺突され、地面まで貫通していた。
『なぜ。この距離なら、我ら狼の顎と爪が勝るはず』
『正鵠よな。風に戻らずそのまま噛み砕けばよかったものを。お前の牙が刃をすり抜けたとき、我は牙を受けた剣を風に変化させた。お前さんは自らに我の刃を取り込んでしまったのだ』
『不覚、軽口に惑わされたか』
二本の残った剣が右薙ぎ、左薙ぐ。肩のあたりをそぎ落とした。
『さらば』
一瞥を与えることなく、ハルパスは羽ばたいた。
『匂いは覚えたぞ、鳥族め』
遠い唸りだったが、確かな意思を噛み締めた。
『なわばりを荒らしたのは我らよ。済まなかったな』
果たしてその囀りは狼に届いたか、ハルパスはひとりごちた。
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