息が上がる。

 やがて足に疲労が生まれる。時間の概念が正常に戻った。現実に帰ってきた。森の回廊を抜けた証拠だ。辺りに霧はない。眩しい陽の光が目に飛び込み、森が開けた。

 ああ。

 魔女は駆ける勢いのまま、柔らかい芝生に倒れこむ。二、三回転転がって、仰向けで空を仰いだ。鳥のささやき、朝露の匂い。太陽の仔の二刻あたりだろうか。 息を整えて。


「ハルパス……大丈夫よね?」


 ほう、ほう、と、深呼吸。やがて小さな影が空を舞う。


『待たせたな』

「はや」


 手を伸ばすと、ハルパスはそこに一度止まり、すぐにお腹の上に移動した。


「怪我はないよね」

『羽を数枚落とした』

「強がっちゃって。息上がってるシャミ」

『ふん、ぬかせ』


 ぴょん、と地面に降りる。


『さすがに全速力は疲れた。水をくれ』

「そこらに溜まってるよ」

『泥水をすすれと? あんまりではないか?』

「ちなみに荷物もエルフさんと対峙したシャミーその①のところだからね、なんもない」

『なんと』


 ぺしゃん、と力なくうつ伏せに羽を広げた姿で倒れこんだ。尾羽が風に揺れる。


『ということは待て。マニもないのか?』

「生きてるだけで儲けモノ。生きてりゃなんとかなるシャミ」

『いや、まあ、お前さんさえよければいいのだが。ただし我のマニに頼るような展開は避けていただきたい』

「貴方のお洋服、高く売れそうだよね」

『勘弁してくれ』


 ……


「ちょっと休んでこ」

『同意。だが、そうもいかんらしいぞ』


 ハルパスが首を動かした方向には、町の入り口であろう城壁があった。


「シャ、シャミイイィ!」


 飛び起きた。朝霧が濃かったのか、木々に隠されて注意が向かなかったのか。

 よっぽど疲れていたのか。


「到着していたのね?」


 寝そべっていたいのはやまやまだったが、気力を絞って立ち上がった。

 肩にハルパスが止まったので、労うように羽を撫でた。

 足は重かったが、草から返ってくる感触は柔らかく、前に押してくれるよう。


「誰かいるシャミ」

「ん?」


 城門のアーチの外、ふんわりした短い金髪の女の人が煉瓦に腰かけていた。

 魔女の声に気づき、こちらに顔を向けている。


「あ、あれって町の入り口でドコソコの町って教えてくれる人シャミねえ?」

『いや、怪しい奴め、って言ってくる方では、ないのかな?』


 城の門番よろしく、自分の身長より高い竿状武器、ハルバードを傍に立てかけていた。ひとまず、愛想笑いで手を振ってみた。返してくれた。


「大丈夫そうシャミ!」

『水をもらってくれ。足元を見ろ、猫どもに餌を恵んでやっているぞ。たぶんいいヒトだ』

「おおーい! シャミミー!」


 大きく両手を振った。


「あなた。裏山から来たの? 珍しいね」


 彼女が立ち上がると、何かを察したのか足元の猫たちが茂みの方に逃げていった。

 金髪碧眼。短髪にしているので遠目には美男子かと思いきや、胸当ての形状から女性とわかった。均整の取れた体に白い肌。露出した肩はなだらかで、膝上短めのスカートを身に着けていた。


「衛兵さんじゃ、ないシャミよね?」


 上から下へ、下から上へ目線をやる。


「そうだね。町の冒険者の座の統括をしているわ」

「うへ」


 妙な声が出てしまった。魔女はおぼーしさんを取り、お辞儀をする。


「あなたは旅の? えー……これまた近年稀にみる魔女だね?」


 値踏みするように見る。金髪さんは困惑している様子だ。


「イマドキ、流行ってナイ感じシャミが……旅の闇魔女シャミー。こちらは相棒のハルパス」

「闇マジョ。あまり聞かないフレーズだこと。闇も魔女もどっちも悪そうじゃん」

「マイナスとマイナスでプラスではあるまいかシャミ!」

「なんかぼったくりそう。闇医者みたいな感じで」

「清廉潔白・出前迅速・落書無用シャミッ」

『ムキに答えるところでもあるまい』


 ハルパスも羽根帽子をひょい、と上げて会釈らしきことをする。


「わ、かわいい。よく躾けてあるねー」


 お手のしぐさのようにハルパスに手を差し出す。ふい、と首がそっぽを向く。


『すまぬな。そうやすやすと手乗りするわけにはいかぬ』

「あらま。闇魔女ちゃんの肩が特等席なのね。」


 残念そうに手を引っ込めた。


『ふうむ、言葉は聞き取れていないようだが、こちらの意図を読むか。いつぞやの無頼とえらい違いだ』

「あのあの、この町に入りたいシャミが、よいですか?」

「いやいや、ダメだよ、入国手続きできてないよね?」


 手でバッテン。通常、町は正面に詰所があって、そこで身分を照会して入国する。

 こちらの入り口にそれらしきものはなく、城壁の見張り塔には欠伸をしている子どもがいた。木刀を持っている。戦争ごっこか討伐ごっこでもして遊んでいるのか。


「はいぃ……ただですネ、森の中で全部失ってしまって、象徴印はじめ、どこの誰かさんを証明できるものがなにもありませんシャミ」

「ありゃま。そいつは困ったものだ」

『我の知恵の板で、魔女ベンチャーギルドを出せばよいのではないのか? 貸してやるぞ』

「ありがと、でも、水晶玉がないから通信できないシャミ」

『侮ってくれるな。我ら悪魔は発動機など必要なく魔法を行使できるわ』

「でもしか」


 契約をしているとはいえ、何か例外のことを頼むには代償が必要なのである。


『支払いを気にしているなら後払いでかまわぬ。緊急時だからな』

「ごめんね、助かるシャミ」


 ハルパスが羽の懐(?)から、硝子板を取り出す。そして起動。青白い光の後、ふわふわ羽毛の雛が母鳥から餌を与えられている画像が表示される。


「なにこれかわいい」


 珍しいもの見たさに横から覗き込んだ金髪さんが眼を輝かせた。


『マイワイフ・マイドウター』

「お母様似の利発そうな娘さんシャミね」

『どちらかの魔力が引き継がれ二代目になるのだが、妻の方が色濃く出てな、マルファスの名を継ぐことになるだろう。あとなお前さん、利発的なのは我似な。妻はヒステリックだ』


 ハルパスは気恥ずかしそうに画面を切り替え、魔女ベンチャーギルドを映す。


「これがシャミーの象徴印シャミ」


 黒い太陽と獅子、そして千年樹を組み合わせた正式なものだ。


「あー、これかあ……さっきからシャミシャミいってるの、本名を言わないためなのね?」


 金髪さんは苦笑いした。本名が説得力ゼロなのはアオギリさん相手に証明済み。


「正確には大樹の魔術師はグランマであって、シャミーではないので。同じであって同じではないのシャミ。って、おわかりになるのシャミ? じゃないや、あっさり受け入れてくれるのかな?」


 アオギリ主人を思い出せば、年齢と象徴印の整合は難しいはず。


「『この町なら、そういう奴が訪ねてきても珍しくない』ってところかな」


 少し得意げに、人差し指を立てた。


「私はコロン。竜の翼の国の冒険者の座の筆頭よ。とりあえず、闇魔女さんって呼べばいい?」

「闇魔女は“ゆいつむに”なので問題ないシャミー。」

「ふむふむー、でも難儀だねえ、街の住人としての登録は無理だよ。なんせ」


 貧乏ゆすりしながら、コロンは言葉を濁らせる。


『流すところだったが、いま、こやつとんでもないことを言わなかったか? 竜の翼の国のアドベンチャーギルドの筆頭ということはつまりだ』

「全冒険者の頂点シャミ」


 いやしかし、『この町なら居てもおかしくない』のだろうか。


「えー……うー……あのさ、この町に来たってことは、目的って、そうなの?」

「はいな、眠りの魔術師さんに会いに来ましたシャミー」

「だよねー。えー。どうすんだ、これ」


 考えるのは苦手なのか頭を抱えた。


『むう。もしや我、余計なことをしたか』

「うんにゃ身バレは避けられないことシャミ。そもそも、いきなり最強クラスにご縁ができるとか、これは運命シャミ。そういうのが無ければお話は転がらないシャミー」


 ぐー、と、緊張感なく魔女のお腹が鳴った。


「ま、なるようになるか」


 コロンは、ぽん、と魔女の背中を叩いた。

 お腹が鳴ったと成るをかけたかは知らん。


「町の案内がてら、タダメシ食わせてくれるところに行こっか」

「そんな夢のような場所が!」

『常識的に考えろ、コロン女史が恵んでくれるのだろう』

「おっと、違うよ、私の財布はそんなに分厚くないのよハルパスくん。私の大親友なら、困っている人を見たらほっとかないから」

『むう、我の言葉がわかっていたのか? 鑑定魔法や翻訳魔法を使った様子は、全く感じなかったのだが』

「魔法じゃなくて、種族として万物の言葉がわかるんだよね」

「ん? どういうことシャミミ?」

「それはまだひみつ。ちなみに、私がこの町に来ているのも、言うまでもなく眠りの魔術師とのカラミだよ」

「あ、それはなんとなく、予想がついていたシャミ」


 運命やご縁ををいじる神様がいるとすれば。

 どこそこの町だよ、って案内してくれるだけの人に詰め込みすぎだと思った。


   ◇◇◇


 それを言っては闇魔女・大樹の魔術師も大概盛りすぎなのですが。

 百識の魔術師。その影法師。これでは足がつく。

 故に、彼女にありもしない名前を与えた。ありもしない設定を与えた。

 それは、私が『そういうもの』として作れば通ってしまう。


「独り歩きする影法師。見えざる幽鬼に相対するにはこれぐらいしなくてはいけません」


 自作のオレンジビター、それにピーチのケーキ。

 執政室に持ち込んだそれは半分くらい減っていた。

 

 もう少し味をブラッシュアップ出来たら、フィン殿下にご賞味いただこうと思う。

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