第三話 森の回廊の話
1
「……俺も……北……行……く」
痩せ男、ジョウさんの声が僅かに聞こえる。
目前には真っ白な空間が広がっていた。現実世界と、妖精たちの通る道との境界。
「ふむーん、悪いことしたシャミかねえ? 裏口の人たちとグルだったのか、うまいこと足止めしてくれたのか、判断むつかしいところシャミー」
『前者の可能性が一分でもあれば間違った選択ではないさ』
「そっか」
魔女が手にした紙片を強く握ると、それは煤になって頼りなく散った。
知恵の板を取り出し、魔女ベンチャーギルドへの通信を開く。
ALL:はいれた。あんがと
しばらく待ったが、返事が来ない。
「ここはつながってないのかもしれませんね?」
『時間のカウントはしておいてやる。早めに連絡を取るべきだ』
やがて白い空間に輪郭が現れる。木々であった。目の前に広がる森に、原色の色彩が散りばめられる。足元には岩と苔、上層は霞み天まで枝が伸びているよう。歪んだ幹の木々は、空に向かって足掻く苦悶の人の姿。人ならざる世界の森に迷い込み、森に取り込まれてしまった姿であった。風が吹くと、葉のこすれに交じり悲鳴が聞こえた。
永遠に続く道をハルパスが先導し、進む。
木の本数、或いは書物の頁をカウントすることで狂いそうな時間の感覚を戻し、僅かな変化を認知して正しい道を往かねば森に魅入られて根付いてしまうのである。
ヘプラ:おつおつ
ALL:よかった。案内してホシイ
ヘプラ:危なく居場所特定されそうになってネ、胡麻化すのに時間かかっチャッタ
ヘプラ:1024本目にはもう入ってるヨー
ヘプラ:タダネー、下位エルフの気配あるカラ気を付けるとイイヨ
「エルフって全部魔界に行ったんじゃなかった?」
『下位ということは、‘森の番人’だな』
「そのあたりもみんな含めて、いないと思っていたシャミよ?」
根絶の毒を放つ疫病竜に対応すべく、元々いた妖精と後から来た人が交わり、あたらしい人類というべき種族が生まれた。このときに異種族に血を与えることを良しとしなかったエルフは国を捨て、別の世界に旅立ったのである。
ヘプラ:船に乗らなかったコの子孫だネ。
FANIR:パパ氏がご迷惑をおかけしてもーしわけない
ヘプラ:居るだけで毒をばらまくからネ、仕方ないヨー
ヘプラ:むしろ滅亡したくないからと他所さまのオナカ借りるとか人類マジヤバだよネ
FANIR:ソレナー。寿命伸びた分、繁殖できなくなるとか本末転倒
ヘプラ:その点シャミーのグランマは尊いよネ
ヘプラ:あの方いなかったら、物理的根絶ダー滅亡ダーで、両種族、祭り状態だったから
ヘプラ:ダカラね、そこにいるコと出会ったらやばいカモー?
ヘプラ:子孫も人類ミナシネ思考に染まってるンじゃないカナ
ヘプラ:出会ったらニゲテー
FANIR:あたまの皮、剥がれっぞ
ヘプラ:わりとまじで
返信を打とうとしたところで、霧が出始めていた。
『こいつは森の仕業ではないな。森のマナが動いている。悪い意図を感じる』
「ちょっと急ぐシャミ」
‘ノシ’と打ち込むと、知恵の板をしまい、歩きから跳ねるよう岩を蹴る走り方に変えた。
追いすがるように霧が濃くなっていく。
『我に視力を半分回せ。お前さんの目となろう』
片目を閉じると、三メートルほどしか見えなかった視界が一気に先に開けた。
その正面から、何処からか放たれた矢が迫る。
「危ない!」
寸前で回避し、咄嗟に木の陰に入った。
『狙撃か。鳥の身の我と最悪の相性だ、厄介だな』
「影を一個そちらに預けるわ。先に行って」
『了解。せいぜい時間を稼いでくれ』
萌え袖から魔石を二個用意して、自らの影に落とした。水面のように波紋が生まれると魔石は影に消えた。木の陰から顔を出そうとした刹那
「動かないで!」
強い意志のこもった声に身がすくんだ。
「て、敵意はありませんシャミッ!」
そう伝えるのが精いっぱいだった。
「どこから入ったの、ここはヒトが居ていい場所ではないわよ!」
「『ヘプラ』に許しを得てここを通らせてもらってるシャミ、眠りの魔術師の町まで抜けさせてください!」
しん、と静まり返る。返事はない。
「通行料が必要ですかっ」
相手の神経を逆なでしないか心配だが、返事をもらえなければどうにもならない。
ふと、真横に気配を感じた。
危ない、と思った時には横から強い衝撃を受け、木の陰から引きずり出された。
何が起こったのか。
全身が水でずぶぬれになり、地べたに這いつくばっていた。
首に、獣の顎があてがわれている。獣独特の匂いはなく、雨の匂いだけが鼻につく。かろうじて目線を上にやると、肩くらいまでのゆるい巻き髪の細身の姿があった。服は布を紐で合わせたような簡素なもので、手には弓、腰には曲刀が吊られていた。わずかに耳の形が長く、人のそれではない。
(ヘプラの言ってたヤツだ。下位エルフ。)
彼女は弓を放つ。伏した顔ぎりぎり手前に矢が刺さり、ひえ、と小さく怯えた声が出た。
「戻りなさい、フルド」
唸りをひとつ、首を押さえていた顎を放し、現れた人物の傍らに‘おすわり’をする。それは水でできた狼であった。
顔を起こそうとしたが動けなかった。
(シャミーの影に刺さっている矢のせいかな。影を縫い付けられちゃったか)
「こども?」
問いかけた声は先ほどまでの厳しさはない。
「迷子というわけではないわね」
曲刀に手をやったので、ひえええ、とさっきより大きく声を上げた。
「ま、まってまって! 戦う気持ちはないシャミ! 許してほしいシャミ!」
「なぜ我々の領域に足を踏み入れたの? ヒトにはヒトの街道があるはず」
よかった、会話の余地がある。
「その道は悪人盗人が徘徊していてキケンなのシャミ。だから、ヘプラにお願いしてここを通らせてもらって」
「警戒してこの道を? そもそもあなたが悪逆の類であることを私は警戒している。あなたの善性の証明は?」
「それは」
ニンゲンは嫌い、という先程のエルフの先入観を思い出す。
(女子供の姿だからで、許してもらえない? いや、いやいや、そも今まさに見下ろしているエルフさんも幼い姿に見えるし)
そんな考えを巡らせているところに、喉の奥、熱い感触。
唐突に訪れたその正体に絶句する。喉を後ろから、矢が貫通していた。
血が上がってきて、鼻の奥が詰まり、じわりと痛みが遅れてやってきた。
「何を問答している、アネモネ」
別の声だ。
「狩るなら速やかに、だ。やれ」
痛みに目から涙がこぼれた。やめて、と声を絞り出そうにも声は出せない。
僅かに申し訳そうな顔をしたエルフが影を縫っていた自分の矢を抜く。
前髪を掴んで頭を上げると、首に当てた曲刀をスッと引いた。
影の落ちたところに、鮮血が流れる。
「そいつがお前を殺すつもりだったなら、お前が危なかったぞ」
「でもお姉ちゃん、まだ小さい子だし」
「逡巡は捨てるべきだよ。ヒトの魔術師が放つ言葉は偽りを紡ぎ我らの心を捉える」
お腹のあたりを蹴り上げられ、仰向けにされた。血が反芻する。
一歩ほど離れたところに巻き髪のエルフが憐憫の表情で立っている
(弓を撃っていたのはこのエルフさんではなく、今蹴ったほうか)
しかし、声はするが姿も気配も視えない。
(エルブンマント? 体は精霊の国に置いて、完全にこの世界から姿を消せるのね)
(『狩りの女神の加護を剥いで。風乙女の悪戯に、矢は木々に笑われる。〈ミサイルガード〉』)
冷静に分析しているのは、影の中からだ。
先ほど魔石を影に落とし、視えている本体とは別に自身の影の中にひとつ、木陰にひとつ、分身を分けておいた。
やがてもともとの体の生命活動が停止し、泥に石を投げ込んだような音を立て、影に沈む。蛇のように影は這い、木を背に、傷一つない魔女の姿でそこに出現する。
「こちらは戦う意思を見せないように矢除けも気配遮断もしていなかったシャミ。これを敵意なしと、解釈いただけないシャミか?」
「なんてこと」
己の甘さを恥じたのか、やっきに巻き毛のエルフが弓を撃つ。
「さすがにもう、矢除けはさせていただいたシャミ」
明後日の方向に矢は逸れていった。
「消えているほうの方、いきなりお腹を刺すのを考えているならやめて欲しいシャミ。さっき矢を抜いているときにお連れの影に入らせてもらいました。刺されたら、ソチラの方に刺し傷が浮かぶことになります」
「そうか。好きにしろ。愚図った妹の責だ」
即答された。
「わ、私は魔女です。嘘をつけないようにできています」
ここで、一度言葉を切る。
「その上で、私はあなた方と戦うつもりはないシャミ。踏み入ったことに血の代償が必要ならこの身をお好きなように」
「さっき飛んで行った鳥の中にお前の本体がいるのか」
「はい。今は時間稼ぎをしています」
「なら、追わせてもらう」
「わかりました。そちらの方の影から抜けますので、お好きなように」
「お前たちとは相容れない。許せ」
エルフの影からもう一人の魔女が姿を現す。
「お姉ちゃん」
やめて、と続いたのか、考え直して、と続いたのか。
魔女の腹に現れた刺し傷は背中まで抜け、木にも傷をつけた。
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