第38話 ナクラー

 ナクラーは、元々は可愛らしい小動物だったとは思えないほどに大きく鋭い牙を剥く。それはハルトの血の色に染められている。

 赤く光らせた瞳の中心にジンとクリスを捉え、飛び出した。

 前足と後ろ足を器用に動かし、素早くジンに近付いて大きく口を開ける。口内には、長く細い舌が気味悪くうごめいている。

 ジンは『バウンド』で跳躍し、『アイスニードル』をナクラーの腹の下に発動させる。

 大地から生えるようにして出現する氷塊が胴体を貫くが、それは一瞬にして霧散する。


「くそっ、魔力不足か…っ!」


 ナクラーの身体に開いた穴も、それぞれの細胞が意思を持っているかのように動き、塞がってゆく。

 傷が完治すると、自分の頭上を高く跳ぶジン目掛けて、ナクラーは強く地面を蹴った。

 空を自由に飛べるわけではない彼に残された選択肢は一つ、それを真正面から受け止めることだ。ジンは覚悟を決め、剣を胸の前で構える。


「ジン!そいつは私が落とすから、あなたのほうは自分でどうにかしなさい!」

「おいおい、嘘だろ…⁉︎」


 クリスは、迷うことなく『アロー』を発動させ、数えきれないほどの魔力の矢が、ナクラーやジンに向けて放出された。

 それは、以前までのものとは違い、炎を纏っている。


「そんな魔法は見たこと無いぞ…⁉︎」

「ちょっとした工夫をすれば、これくらいは簡単よ?」

「俺に当てない工夫もして欲しいものだな…!」


 剣だけでなく、鞘までもを器用に動かして『アロー』を防ぐ彼の姿は、まるで宙を舞う踊り子のようであった。

 いくつもの矢を身体中にうけたナクラーは、奇声を上げながら落下する。その頭を彼は踏みつけ、足裏に小さな魔法陣を展開させた。


「…これも、ちょっとした工夫だ」


 ジンがその頭の上で軽く跳ね上がると、ナクラーは勢いよく地面に叩きつけられた。

 それは、大地を揺らし、砂埃を立てる。

 自分の隣に軽々と着地するジンに、クリスが問う。


「今のは肉体を強化するような魔法なのかしら?」

「いや、ただの『バウンド』だよ。本来は俺が弾き飛ばされるところを、効果を反転させただけだ」

「なるほど、あなたは本当に鬼才ね」

「それを言うなら、クリスも大したもんだよ。『アロー』の魔法陣と何か火属性の魔法陣を二重にしたんだろ?同時に二つなんて俺にはできないさ」

「なんでもお見通しってわけね…。どちらにせよ、はまだまだやる気みたいだけれど」

「少々タフ過ぎないか…?」


 砂埃が晴れ、奥からナクラーの姿が現れる。血痕はあるものの、傷はほとんどが回復してしまっている。

 息を荒くしているが、まだまだ戦意は喪失していないようで、鋭い眼差しで二人を睨みつけている。

 辺りを見渡すが、誰一人として手の空いている者は居らず、助けを求められそうな状況ではなかった。そこには、血を流し気を失っている者も居る。


「相手の回復を上回るほどの攻撃を続ければ良いのかしら?」

「確かにそうだろうが…。俺たち二人だけでできるのか…?」

「やってみないと分からないでしょ?大丈夫よ、バディが居るのはこんなときの為よ」

「…ふっ、その通りだな。まずは俺があいつの動きを止めるから、その後は頼んだぞ」

「任されたわ」


 『行くぞ!』というジンの掛け声とともに、ナクラーも前進し始める。

 雄叫びを上げ、まずは彼がナクラーの前足による攻撃を受け止める。

 動きが止まったところで、クリスがナクラーの顔に火の弾を撃ち込んだ。

 ダメージは少ないものの、爆煙が一時的に相手の視界を奪う。


「ジン!ちょっとだけ肩借りるわよ!」


 自分よりもいくらか背の高い彼の肩を踏み台にし、クリスは宙を舞う。

 そして、地面と水平になるように振り抜いた剣がナクラーの瞳を斬り、後退させた。


『ギエェェェェェェッ‼︎』


 悲鳴のような叫びを上げ、ナクラーはがむしゃらに前足を振り回し始める。しかし、そのような攻撃が当たるはずもなく、懐に入って来たジンに腹を刺される。

 彼はその剣を振り上げて腹の一部を斬り裂くが、これだけで倒せるような相手ではない。

 

「クリス!まだだ!」

「言われなくても分かってるわよ!」


 『バウンド』を使い、クリスはもう一度ナクラーの顔の高さ辺りまで跳躍する。

(攻撃さえ躱せれば、こんなの余裕ね)

 そうやって勝利を確信した矢先、閉じられていた瞼が突然開き、自分に斬りかかろうとするクリスの姿を瞳に捉えた。


「へっ…もう回復したの…⁉︎」


 油断しきった彼女を薙ぎ払うのは、とても容易なことであった。

 脇腹から全身に衝撃が伝わり、口から鮮血を吐き出す。地面に叩きつけられそうになる彼女を庇い、ジンが下敷きとなった為、二人とも無傷では済まなかった。

 彼女の不規則な呼吸に、ジンは慌てて治癒魔法を使おうとするが、魔力を使い切ってしまい、何もできなくなった。


「……ジン、私の魔力を使って…あいつに…っ」

「無理に喋るな!あいつは俺がどうにかする!お前の魔力は自分の回復に使ってくれ!」

「…何か策はあるのかしら?それなら、これを使ってあいつを倒してから、私を…助けて…ちょうだい…?」


 先日の授業にもあったように、クリスはジンの胸に手を当てて自分の魔力を流し込んだ。彼は、自身の体内に何か温かなものが流れ込んできているという感覚を覚える。

(これがクリスの魔力か…。すごく優しくて…温かい)

 彼女の手を握り、ジンは自分のやるべきことを確信する。

 彼は痛みを堪えながら、少しずつ近づいてくるナクラーに手の平を向ける。痛いほどに胸の鼓動が速くなる。不安や恐怖、怒りを押し殺すように深呼吸をし、彼の視線はナクラーを捉える。


「——アイスニードル!」


 手の平の先に魔本陣が展開される。それを見てクリスは安堵するが、その魔法陣は一瞬にして砕け散った。


「…アイスニードル、アイスニードル、アイスニードル!どうして…どうして魔力が足りないんだ…⁉︎」


 自分の体内を巡る魔力が一切無いことに気付き、彼は絶望に表情を歪めた。

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