第37話 捕食者として

 ドス、ドスという音とともに氷の壁に亀裂が入り、その一部がやがて崩壊し、穴が開いた。

 そこから一体の人型の魔獣が、勢い良く飛び出す。歩幅が大きい為なのか、その拳がジンの目前までやって来るのは、あっという間だった。

(まずい…っ、躱しきれない…!)

 彼は身体全体で強風を受け止める。咄嗟に顔の前で構えていた両腕を下ろす。

(寸止め…?いや、これは…!)

 その人型魔獣の太腕が学園長に掴まれ、どうやら拳がジンまで届くことは無かったようだ。


「若さとは、強さであり弱さでもある。肉体の衰弱はいくらでも対処できるが、経験不足はカバーしきれん。少年よ、己の弱さを恥じるでないぞ」


 魔獣の腕が震え始め、破裂する。どうやらそれは学園長によるものだったらしいが、ジンには到底理解できるものではなかった。

 魔法陣が展開されたわけでもなく、剣を使ったわけでもなく、ただ単に己の鍛え上げた肉体だけでそれを破壊したのだ。

 左腕を失くした魔獣が叫びを上げる。それは耳の奥深く、鼓膜に突き刺さるほどの声量で、ジンは顔を顰めた。

 学園長は一歩、また一歩と相手に歩み寄る。

 怒り狂った魔獣が、彼に向かって拳を振り下ろす。それに合わせて彼も右の拳で応える。

 両の拳が重なった途端、圧倒的な力に負けた魔獣は、跡形も無く爆散した。


「……この短剣、一度も刃こぼれしたことがないわい。見た目は良いが、実用性の無さが玉に瑕じゃの。だから今まで使ってこなかったのだが…」


 そう言いながら、彼は短剣を鞘に収める。

 彼の驚くべき実力に、ジンはただただ立ち尽くすことしかできなかった。

(これが学園長の力…俺たちと同じ人間だとは思えない…)

 ちょうどその頃やって来たクリスが、彼に声をかける。


「ジン、これはどういうことなのよ。どうして魔獣がこんなにも発生しているの?」

「俺にもよく分からない。誰かが連れて来たのか…?」

「今は校舎の中にも魔獣が入って来ているわ。早く原因を見つけ出さないと、大変なことになるわよ!」


駆けつけて来た他の教師や、衛兵科の二年たちも戦闘に参加する。どうやら一年は、混乱のあまり自分たちのクラスに篭りきりの者も少なくないらしいが、ほとんどの者は校舎内に入って来た魔獣の相手をしているらしい。

 その中にも一人、顔色を変えることなく次々と魔獣を倒し、活躍する男子生徒も居るようだ。

 無駄な動きを一切することなく、一般的な物よりも一回り太い剣を振り、襲い掛かる魔獣を薙ぎ払う。一見重量のありそうな剣だが、衣服を着ていても分かるほど筋肉質な彼は、軽々と持ち上げている。

 その片腕には、派手な格好をした一人の女子生徒がずっと抱きついていた。


「ねぇシューヤ?こんなヤツら私一人でもヤれるんだけどなぁ」

「俺もたまには身体を動かさないと鈍っちまうからな」

「や〜ん、シューヤったら毎晩私とあんなにも激しい運動してるく・せ・に♡」

「…五月蝿うるさい。今は下らないことを言っている暇は無いんだ」

「んもぉ、照れちゃって。辛辣なとこも嫌いじゃないわよ〜?ね、そろそろ私をバディに選びたいとは思わない?」

「五月蝿いと言っているだろ」


 シューヤは深くため息をつくが、隣の女子を振り解くことはせずに魔獣を倒し続ける。

 校庭に現れた魔獣たちも、教師や生徒たちが少しずつ数を減らしていくが、その全てが消える気配は無かった。

 魔窟から発生すると言われているはずの魔獣だが、それがどうして学園の校庭から発生しているのか。


「はぁ…はぁ…これだとキリが無いな…」

「ジン、あそこから誰か来るわよ…!」


 クリスの視線の先に居たのは、白衣を着た男——ハルトだった。その手にはナクラーの入っているケージを持っている。魔獣たちの後ろから姿を現した彼を彼女は心配し、慌てて声をかける。


「あなたどうしてそんな所に居るのよ!早く逃げなさい!」

「…逃げる?どうしてだい?」

「何を言っているの⁉︎そんなの危険だからに決まっているじゃない!」

「おい、ハルト!死にたいのか!早くこっちに来るんだ!」


 ジンも逃げるように促すが、彼は一向にその場を離れようとはしなかった。むしろ、彼は好んでその場に留まっているかのようにも思われた。


「死にたくないのに殺されるのは、この子たちも一緒だよ。弱肉強食のことわりはきみたち人間が良く知っているはずだ!自らが生き延びる為に、弱者を食らい続けてきたきみたちならねぇ!」

「あなたは、いったい何を言っているの…⁉︎」

「次はきみたちの番なんだよ。抗わずに受け入れようよ、被捕食者としての運命を、そして弱者である自分たちの存在を、ね?」


 大きく両腕を広げ、そう熱弁するハルトの顔は、酷く歪んだ狂気に満ち溢れていた。

 満足そうな表情で言葉を終えた彼だが、一つ疑問に思う点があったようだ。


「…おや、アキラくんはまだ来ていないのかい?さっき目が合ったと思ったんだけどね」

「彼なら、あの爆風に巻き込まれて今は気を失っているわ」

「そっか、残念だね…。せっかくナクラーくんと遊ばせてあげるって約束をしていたのに…。はぁ、これだから人間は嫌なんだよ…。まぁいいや、ほら、ナクラーくんこれを食べるんだ」


 豆粒ほどの大きさもない小さな赤い石を、ケージから出したナクラーの口元にやる。それを迷うことなく飲み込んだナクラーの身体が、見る見るうちに腫れあがり、奇声を上げながら巨大化していく。それは以前の可愛らしさの欠片も残らぬほど、醜い姿となってしまった。

 あまりの衝撃に、クリスは声を振るわせ呟く。


「ねぇ、私今まででこんなものを見たのは初めてよ…」

「俺もだ…。これだとまるで、本物の魔獣みたいじゃないか…」


 ナクラーの鋭い視線はハルトに向けられ、彼の右腕を食いちぎった。彼は、相変わらず狂気に満ちた笑みを浮かべているままで、止血をしようともしていない。


「これは物語の序章に過ぎない‼︎僕たち改革派にはまだ……っ‼︎」


 言葉の途中で頭を食われ、残された彼の身体は、そのまま大地に倒れた。

 その凄惨な光景に、クリスは膝から崩れ落ち、口を押さえて嗚咽する。


「これがお前の望んでいたことなのか、ハルト…‼︎」


 ・ ・ ・ ・


 ハルト・キーンバーグは、所謂いわゆる特異体質と呼ばれるものであった。

 両親が牧畜をしていた為、彼は幼い頃から多くの動物たちに囲まれて平和に過ごしていた。しかし、とある日を境に、そんな日々は崩れ去ってしまう。


『痛い!痛い!やめてよ!』

『ねぇ、誰か助けてよ!まだ死にたくなんてないよ!』


 動物の言葉が理解できるようになった彼の日々は、一瞬にして地獄へと一変した。耳を塞いでも届く悲痛な叫びが常にハルトを苦しめた。

 大好物であったはずのステーキを目の前に、ストレスで嘔吐することもあった。


「ハルト、どうしたの⁉︎具合でも悪いの⁉︎」


 彼を心配して差し出される手も、穢らわしく思えた。

 とある日、怪我をして草陰で鳴く鳥を見つけたハルトに、突然治癒魔法が発現した。礼を言って飛び去る鳥を見て、彼は決心する。

(僕、動物のお医者さんになろう!)

 獣医になる為、日々努力を積み重ねる彼だが、耳に届く家畜たちの叫びが消えることはなかった。

 いくら努力しても変わらぬ環境が、彼に道を踏み外させた。


「…そうだ、そうだ、人間が全員居なくなれば、あの子たちは傷つけられなくて済むんだ。僕がもっと強くなったら…っ!」

「それがきみの望みなのかい?」


 止めどなく流れ続ける澄んだ川に、ハルト以外の顔がもう一つ映る。それは奇妙な仮面を被って、素顔を隠していた。


「おじさん、だぁれ?」

「おじさんはね、この世界を変える人だよ」

「世界を変えるの…?」

「そう。そうすれば、きみの大好きな動物たちを傷つける人なんて居なくなるよ。…きみも手伝ってくれるかい?」


 その言葉を聞き、ハルトは目を輝かせて答えた。


「うん!僕もおじさんのお手伝いするよ!」

「ありがとう。改革派側こちらがわへようこそ。我々はきみを歓迎するよ」

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