第36話 大量発生

 リリーの長い講義の最中、誤魔化せぬほどの退屈を感じたアキラは、ふと窓の外に目をやった。そこから見える空は、何故かいつもより遠く感じる。

(鳥は良いよなぁ、楽しそうに空を飛べて…)

 特に意味も無く校庭のほうを見下ろすと、そこには右手に何かを持った男が立っているのが視界に入った。その者も、空を見上げて物思いにふけっているようだ。

(あの白衣、もしかしてハルトか…?てことは、あのケージにはこの前言ってたハムスターが入ってるのか。でも外で何するつもりだ?)

 ぐっと目を細めて注視していると、地面にケージを置いたハルトが口角を上げるのが見えた。その彼が両手を広げると同時に、校庭全体を覆うほどの巨大な魔法陣が展開される。

 それは次第に眩しいほどに白光していく。


「おいおい…嘘だろ…?——お前ら全員早く伏せろ‼︎」


 アキラが声を上げた刹那、窓からとんでもないほどの光が差し込み、爆風を起こして校舎中の窓ガラスを粉砕した。

 それにより、窓際の席についていた生徒たちは反対側の壁辺りにまで吹き飛ばされた。

 アキラは間一髪で隣のサラを抱き締めて庇うが、彼の背中にはいくつかのガラスの破片が深く刺さってしまっていた。

 制服に滲む大量の彼の血が、サラの手を赤く染める。


「……アキラ!ねぇ、アキラ!しっかりしてよ!ねぇってばぁぁぁぁ!」


 混乱する講義室の中に、彼女の叫びが響き渡る。


「落ち着くんだ!これくらいなら、私の治癒魔法でなんとかなる!任せろ!」

「リリー…せんせ…。また、また私のせいでアキラが…っ、うぐっ…」

「安心しろ、ショックで気絶しているだけだ。彼は、これくらいでくたばるような男ではない。お前が一番よく知っているはずだ」


 治癒魔法でアキラの止血を進めるリリーの隣で、サラは涙を溢れさせた。それは彼女の頬を伝い、アキラの顔へ落ちる。

(どうして私はいっつもアキラに迷惑かけちゃうの…っ、どうしてアキラはいっつも私なんかを守ってくれるのっ…!)

 幼い頃からいつも自分の隣で笑顔を見せてくれていた彼の姿が頭に浮かぶ。他人ひとの感情に敏感で、それが苦しくて塞ぎ込んでいた自分に、手を差し伸べてくれた彼の姿が頭に浮かぶ。


「ごめんね…ごめんね、アキラ。昔っから私はあんたのこと困らせてばっかりだ…。どうしてあんたの隣に居るのが私だったのかなぁ…?」


 両手で涙を拭い続ける彼女の手に、小さな温もりが触れる。見てみると、それはアキラの伸ばした手だった。薄らと開いた片方の瞳は、完全に彼女の姿を捉えている。

 途切れそうな息で、彼は声を掛ける。


「……サラ、俺はお前が好きだ。理由はそれだけで良い。だから…っ、お前は…」


 彼はそう言い残し、再び瞳を閉じた。言い表せないほどの複雑な感情が、サラの心を満たし、それもまた涙となって溢れ出す。


「アキラ…?アキラってば、あんたそんな冗談今まで私に言ったことなかったよね…?返事してよ…私もあんたのこと好きなのよ…!昨日勝手にプリン食べたの謝るから…。料理もちゃんと練習するから…。だから、だから、ねぇってば‼︎」

「アキラ・ガングロード、私はお前を信じているぞ!」


 逃げ惑う生徒たちの足にどれだけ蹴られようとも、リリーはめげることなく治療を続けた。

(私の魔力が尽きるのが先か、彼の命が尽きるのが先か…やってやろうじゃないか…!)

 治療を続ける彼女の横で、サラはそれをじっと眺めることしかできずにいた。

 そんな彼女たちの様子を見て、ジンは他の生徒たちを押し退けて強引に部屋を飛び出た。


「…っ!待ちなさい、ジン!」


 そんなクリスの言葉に耳を傾けることもなく、彼は校庭へと走る。

(誰がこんなことをしたんだ!どうしてアキラがあんな目に…‼︎)

 またもやジンの剣は黒いオーラを纏いだした。まるで、持ち主の強い感情に呼応するかのように。

 昇降口へ着くと、そこは大量の魔獣で埋め尽くされており、逃げて来た他の生徒たちも腰を抜かしている者が多く居た。

 そんな中で、大剣を持った魔獣に壁際まで追い詰められた女子生徒を一人見つける。彼女は恐怖のあまり、逃げることすらできずにいるようだった。

(頼む…動いてくれよ、俺の右腕…!)

 激痛とともに右手の指先が動くのを感じる。


「——そこを絶対に動くなよ!」

「ひいぃっ…‼︎」


 瞬く間に魔獣は真っ二つになり、その生徒は返り血で全身を赤く染められた。それが余計に恐怖心を煽り、彼女の身体を震わせる。

 ジンはそれ以上に、剣を握る自分の右腕が元通りに動くことに驚いていた。


「早く逃げろ!上の階にはまだ魔獣は来ていないはずだ!他のヤツらにもそう言ってくれ!」

「わわ、わ、分かりました…っ!」


 そう答え、彼女は脚を震わせながらも、壁に手を当ててなんとか立ち上がり、その場を去った。他の者たちもそれに続いて去って行くのを確認し、ジンは再び剣を構え直す。


「俺は…俺は二度と大切なものを失わない…!」


 雄叫びのような咆哮を上げ、魔獣たちが彼のほうへと押し寄せる。

 しかし、彼は一切臆することは無く、地面に落ちている大剣を拾い上げて、槍のように投げつけた。

 それは、人の身体の何倍もの大きさであるにも関わらず、彼は悠々としていた。

 彼の投げ飛ばした大剣は、次々と魔獣たちを貫いてゆく。運良くその攻撃範囲に居なかったモノたちは、彼が直々に相手をすることにした。

 素早く魔獣たちの攻撃を躱し、腕を斬り、腹を貫く。それを幾度も繰り返す。

(なんなんだ、この量は!こいつらは、どこから来たんだ!)

 剣一本で相手を仕切れないモノは、『アイスニードル』を使って対処する。地面から突き出した氷が、彼に襲いかかる魔獣を容易に貫くが、魔力の消費が激しい為、ジンには多用できるような魔法ではないことは確かだ。


「くそっ、一旦ここを離れるしか無いか!」


 魔獣の巨体と巨体の隙間をくぐり抜けるようにして、彼はなんとか校庭へと出ることができた。

 そこにも容易には数え切れないほどの魔獣が居り、校舎のほうへと進軍している。

 自分一人では対処し切れない、と絶望を覚えるジンだが、その進行を止めるように、数十メートルもの高さの氷の壁が突然出現した。

 何事かと思いそれに近づくが、自身の身体よりも圧倒的に壮大なその壁は圧巻だった。


「ほっほっ、ジン…なんと言ったかの。きみも来ていたのかね」

「あなたは…?」


 突然現れた謎の老人に、ジンは驚きを隠せない。


「ワシはここの学園長じゃよ。できれば覚えてくれると嬉しいのぅ…」

「この魔法はあなたの…?」

「ま、今はこんな老いぼれでも、一昔前は仲間とともきによく冒険をしていたもんじゃよ。……来るぞ、備えろ」


 学園長の抜いた短剣は、以前引き出しの中に仕舞われていた代物だった。

 それを握った途端、彼はガラリと雰囲気を一変させた。その鋭い瞳に捕らえられた獲物は、逃げ切ることはできないだろう。そんな力強い瞳は、日頃の彼からは想像できないほどのものであった。

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