第35話 初めてのお泊まり
校長室を出たリリーは、彼の話を少しでも理解する為に、と図書室へ向かっていた。それは教師としてではなく、この世を生きようとする一人の人間としての行動であった。
(悲哀の創造主アネモニー……数年間教師をやってきた、この私でも初めて聞いた名だ。愉快犯だとすれば、今後も同じことを繰り返すはずだ。少しでも何か手掛かりを得られれば良いのだが…)
神話のコーナーの棚から、無作為に取り出された本は三冊。それを抱くように持ち、席のあるほうまで行く。すると、そこには可愛らしい先客が居た。
「…おや、クリス・ヴァーキンじゃないか。今日は一人なんだな」
「……私が、いつも彼と一緒に居るとでも思われているんですか?一人のときくらい全然ありますよ」
「そうだな、すまない」
「いえ、怒っているわけではありませんよ。今日は、あと一時間程度でここは閉められます。リリー先生も用事があるなら急がれたほうが良いですよ」
「そうだったのか。それじゃあ、私も早速読ませていただくとするよ」
「ええ、私もそうさせていただきます」
二人は会話を止めて、本のほうへと視線を落とした。
(なんだか気まずいな…。クリス・ヴァーキンはそんなこと無いんだろうか…?)
リリーは隣のクリスを時折気にしながらも、少しづつ読み進める。クリスは、魔法についての物を一冊だけ取っていた。彼女のほうは、残り数十ページほどで読み終えそうだ。
二人は、時が過ぎるのを忘れるほどに熱中し出すが、途中で他の女子生徒から声をかけられて我に返る。
「えっと、そろそろ締めるので、片付けをお願いします」
「む、もうそんな時間だったのか。残りは部屋で読むか。クリス……は、もう居ないのか」
「もう一人のかたなら、少し前に出て行きましたよ」
「そうか…。それなら私もさっさと出て行くとしよう。待たせてすまなかったな」
「いえ、ゆっくりで大丈夫ですよ」
リリーは取ってきた三冊の本を持ち、図書室を出た。
一時間ほどではあったが、それでもかなりの収穫はあったようで、むしろそれが彼女を悩ませていた。
(神話では、創造主と呼ばれる者がアネモニー以外にも数人存在した…。今回現れた少女に仲間が居るとすると、やはり事件は繰り返されるのかもしれない…。ヤツらの狙いが何かは一向に分からないが、生徒たちが被害を
上の空で廊下を歩いていると、彼女は近づいて来る足音に気づかずに、曲がり角で何者かと衝突した。
リリーのほうは何事も無かったが、相手のほうは盛大に尻もちをついていた。慌てて彼女は右手を差し伸べる。
「いてて…。す、すまないっ!考え事をしていたもので!大丈夫か⁉︎」
「ありがとうございます…。私は大丈夫です、いつものことですから…」
「それは災難だな…。えっと、ハル・エッセントだったな?最近は、出席日数が増えてきているようで何よりだが、何か悩みでもあるなら、遠慮せずに言ってくれると嬉しい。力になれるかは分からないが、少しでも努力はさせてくれ」
「…いえ、特に何も無いですよ。大丈夫です」
「それなら良いんだが…」
ハルは、『失礼します』とだけ言って、さっさとその場を去ってしまった。
残されたリリーは、彼女のその後ろ姿を見て思う。
(今のは、何も無いというような表情ではないだろうが…)
「本人が話したくないのなら、無理に聞き出そうとも思えんな…」
踵を返し、自分の部屋に向かう。その道中も、彼女の頭の中は、例の事件のことでいっぱいだった。愉快犯にせよ、本物の創造主にせよ、自分たち人間に危害を加えることに変わりは無い。どれだけ考えても、対処法などは思い浮かぶはずも無く、厄災のことも含め、頭痛の種が増えるだけであった。
そんなリリーを放って出て行ったクリスは、手提げ鞄を一つ持ってサラの部屋の前まで来ていた。
一度深呼吸をしてから扉をノックすると、奥からドタバタと慌ただしい足音が近づいて来る。そして、鍵を開ける音が聞こえる。
初めて見る私服姿のサラが、彼女を迎えてくれる。
「クリスちゃん、待ってたよ〜。ささ、入って入って。ちょうど今片付けが終わったところなんだ〜」
「お、お邪魔します…」
「いらっしゃい。ゆっくりしてってね」
同性の友人の部屋に遊びに来るという行為は、クリスにとっては初めてのことで、どうしても心が落ち着かないでいる。
中に入り、彼女の言われるがままに、座布団の上に座る。
(ジンの部屋以外に来るのは初めてね…。私の部屋と違って、可愛らしい物がいっぱい。こんな部屋のほうが、やっぱり男の人は好きなのかしら…?)
ベッドや棚の上に飾られた小さな人形たちをじっと眺め、自分の部屋との違いを感じる。
そんなことをしていると、サラが盆に載せて持ってきたティーカップを、そっとテーブルの上に置いた。
「はい、どうぞ。聞き忘れてたけど…クリスちゃんも紅茶で良かったかな?」
「美味しそうね。ありがとう、いただくわ」
(良い匂い…紅茶を飲むのは久々かも)
それを一口飲む彼女を、クリスは心配そうな表情で見守る。もし、口に合わなければどうしようか、という不安が彼女の中にはあったのだ。
ソーサーの上にカップを戻す彼女の手の動きを目で追い、ゴクリと喉を鳴らす。
「ど、どうかな…?」
「とても美味しいわ。香りも良いし…なんだか、あのサラさんがいつもこんなものを飲んでいるなんて、信じられないくらいよ」
「……‼︎そうでしょ、そうでしょ!この紅茶すっっごく美味しいでしょ⁉︎分かってくれる人が身近に居て、私は感激だよぉ〜!」
「そ、それは良かったわね…」
普段から自分のことを揶揄ってくる仕返しに、と皮肉なことを言ったつもりだったのだが、サラはそんなことは気にしていない様子で、彼女の手を強く握った。
サラがそこまでの紅茶好きだったとは知らなかったクリスは、ただただ反応に困っていた。
(——けど、誰かと一緒に居るってやっぱり楽しいものね)
「アキラってばさぁ、紅茶なんて、ただの風味の付いた白湯だ〜って言うんだよ。やっぱり持つべきものは、分かり合える友達だよね〜」
「…ふふっ、本当にあなたたちは仲が良いわね」
「そうかなぁ?好きな物を分かり合えないって、あんまり良いことじゃなくない?」
「それでもあなたたちは、ずっと一緒に居るじゃない。個性や好みの違いがあっても、それを尊重し合えるのはとても良いことよ」
「なるほどね〜。…今日はお泊まりだし、一晩中クリスちゃんの恋バナでも聞かせてもらおっかな!」
「へっ⁉︎どうしてそうなるのよ!」
「もしかしたら、私から何か良いアドバイスが出来るかもしれないよ?そのおかげで二人はこれからもっと深い関係に——!」
「…………オ、オネガイシマス」
その言葉を聞いたサラは、あからさまなしたり顔をする。
まんまと口車に乗せられたクリスだが、これから始まる真夜中の女子会は、いったいどうなってしまうことやら……。
そんなことを深く考えることは無く、彼女たちの時間は過ぎてゆく。
二人で料理をし、それを食べながら他愛ない会話を続ける。
サラやクリスは、互いに会う前に入浴していたようだが、再度シャワーを浴びていた。別々に入るつもりだったのだが、サラが突然入って来たときは大声を上げて驚いていた。
彼女の視線を全身に浴びながら、クリスは身体の表面に手を滑らせる。
二人で入る浴槽は、やはり少し狭く感じる。
サラが彼女の肌を指先でなぞる。クリスは、頬を赤らめながらその手を振り解く。それでもやめようとしない彼女から逃れる為、さっさと風呂から出て着替えを済ませる。
クリスの怒りを収める為に、サラは何度も頭を下げた。そんな姿につい吹き出してしまうクリスだが——。
「じゃ、そろそろ寝る準備しよっか。あの話、根掘り葉掘り聞かせてもらうから、覚悟しててね」
「…え、えぇ、そう…ね」
サラのその言葉で、クリスの表情は一瞬で青ざめた。
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