第25話 今日はニ人で

 ある晴れた日のこと、クリスは何も知らぬジンを無理やり部屋から引っ張り出し、街へ出ていた。学園からしばらく歩き、この場所までやって来たのだが、その道中も彼女は何も説明せず、『いいから黙って付いて来なさい』とだけ言っていた。

 彼は、彼女の私服姿を見るのは初めてではないが、部屋着とは違ったその雰囲気に目を奪われる。

(スカートでも、制服と私服だと全く違うものなんだな)

 そして、調理器具の専門店を前にして、ジンは今までの彼女の行動に対して不満を述べた。


「…なんだ、俺の調理器具を選んでくれるなら最初からそう言ってくれれば良かったのに」

「……だ、だってそう言ったら、で、デートだと思われて逃げられたら嫌だったもの…」

「すまん、『だって』の後をもう一回言ってくれないか?よく聞こえなかったんだが」

「別にっ!何も無いわよ!早く来なさい!」


 無意識にジンの手を握るが、その違和感に気づき、彼女は慌ててその手を振り解いた。


「——っ!そう、これも冗談よ!手を繋いでお店に入ることで、あなたを幼児のように認識させて辱めてやろうかと思ったのよ!」

「いや、俺たちが手を繋いで店に入ってもカップルだと勘違いされるだけだろ…」

「ば、ばっかじゃないの⁉︎そうやってすぐ恋愛の話に繋げたがるだなんて、幼稚な証拠よ!」

「えっと…入らないのか…?」

「言われなくとも入るわよ!ばかジン!」


 頬を膨らませたまま入店するが、そのやりとりを見ていた店員は、仲の良いカップルだなぁ…と感じていた。

 二十畳程度の店で、奥のレジに店主が立っており、壁際や中心の台に様々な調理器具が丁寧に並べられている。


「これだと、どれが良いのか迷うな…」

 

 そう呟くジンの手に、クリスは次々と必要な物を乗せていく。彼女の動きからは、一切の迷いも感じ取れない。

 フライパン、小鍋、大鍋、ターナー……などと、彼は困惑を隠せなかった。


「これと、これと、これと…あと、これ——!」

「こんなにも要るのか?」

「当たり前よ。私のもとで料理を学ぶのよ、ある程度は揃えておきなさい。…それで、最後には…その…わ、私に料理を振る舞いなさい。もちろん、それを使って、あなたの部屋でよ?」

「ああ、それなら期待しておいてくれ」


 恥ずかしがりながらそう言うが、何故彼女が照れているのか、ジンにはさっぱり分からなかった。

 終始笑みを浮かべていた店主だが、イチャつくなら他所よそでやれや…と内心感じていたとか、いなかったとか…。だが、最後には『まいどありー!』と、明るく彼らを送り出した。

 買い物を終えた二人は、そのまま街を練り歩く。さっさと帰ろうとしていたジンを、クリスが止めたのだ。


「用事が無いなら、このまま帰っても良かったんじゃないか?」

「せっかくだから少し歩いてお腹を減らそうと思ったのよ!」

「なるほど…それに俺も付き合えということか…」

「悪かったわね…。って、これ…」


 クリスは、ショーウィンドウの中に飾られたマネキンの着ている服に目を惹かれ、立ち止まった。そのガラスにくっきりと反射した、目を輝かせた自分の顔と、それをじっと眺めるジンの姿を見て、ふと我に返る。

 それでも、彼女の心は未だにその服にある。


「見たいなら入ればいいじゃないか。行かないのか?」

「ええ、そうね。そうさせてもらってもいいかしら?」

「お、おう…」


 やけに素直な彼女に驚きつつも、それに突っかかるようなことはせず、彼も店内に入った。

 早速そのマネキンの着ている物と同じ服を手に取り、迷っているクリスにジンが助言する。


「試着してみたらどうだ?その…に、似合うと思うぞ?」

「…っ⁉︎あなた本当に…はぁ、そうね、試着してみるわ」

「あぁ、俺はここで待ってるから」


 クリスは、そう答えるジンの袖を小さく掴み、服で顔を隠した。


「一応…他の人の意見も欲しいから…一緒に来てもらえると嬉しいのだけれども…」

「そういうことなら全然構わないが、女性のファッションには俺は疎いぞ?」

「それでも良いのよ…あなたの感じたことをそのまま教えてちょうだい」

「クリスがそれで良いのなら…」


 試着室の前で、ジンはじっとクリスの着替えを待つ。ベルトを外す音、服が擦れる音、耳を澄ませるとそのようなものばかりに意識を集中させてしまう。

(だめだ、だめだ!何を考えているんだ俺は!)そして、ゆっくりとカーテンを開け、出てきた彼女の姿に彼は言葉を失う。

 細い縦のストライプが入った長袖のブラウスを、黒のスカートにタックインし、もじもじと立っている。目を泳がせる彼女は、早く何か言いなさいよ、と感じながらも何も言い出せずにいる。

 ほんの少しして、ジンがやっと口を開けた。


「…綺麗だ。上手くは言えないが、とにかく良いと思う」

「そ、そう、かしら…?私には少し可愛すぎるような…」

「いや、そんなことはない。なんというか、すごく大人っぽい感じがするぞ…」

「……じゃあこれ、買ってくるから外で待ってて」


 消えてなくなってしまいそうなほどの小さな声でそう言い、再びカーテンを閉じる。

 その中では、服を脱いだクリスが、鏡に映った赤く染まった自分の顔を見ていた。

(このままだと外に出れないじゃない…っ)

 結局頬を赤く染めたままで彼女は会計を済ませ、外で待つジンのもとへ向かった。

 顔を合わせるだけで、体温が上がるのを感じるが、そんな空気を壊すかのように、彼女の腹の虫が鳴き出した。

 慌てて両手で腹を押さえるが、そのような行為に意味はなく、ジンはくすりと笑った。


「何か食べたいものはあるか?」

「そ、それなら行きたい場所があるわ…」


 クリスに連れられやって来たのは、なんの変哲も無いごく普通のファミリーレストランだった。そこのほとんどが、子ども連れの客で賑わっている。

 店員に案内され、二人は向かい合って席に着く。そして、メニューを眺める彼女の顔からは、溢れんばかりの喜びが見えた。

 目を輝かせながら、クリスはメニューを指差した。


「私はこれにするわ!」

「もう決めたのか、早いな。俺は…そうだな、これにしよう」


 通りかかった店員をジンが呼び止め、注文する。その間もクリスはずっと瞳を輝かせてソワソワとしていた。


「私、ずっとここに来たかったのよ。あなたのおかげで叶えることができたわ。ありがとう」

「これくらいならいつでも構わないが…何か思い入れでもあるのか?」

「…幼い頃によく家族で来ていたのよ。ただ、それだけ。一人ではあんまり来れなくてね」

「なるほど。クリスが頼んだ物は、そのときによく食べていたものか?」

「そうよ。絶対にこれしか食べなかったわ。ほんと、どうかしてるわよね…」


 クリスはそう言って遠い目で、窓の外を眺めた。そこから見える景色も、昔と一切変わることはない。手を繋ぎ、楽しそうに通り過ぎる親子の姿を、あの頃の自分と重ね合わせる。

(またここに来れるだなんて、思ってもみなかったわね。本当にこの男は——)


「…あっ!そうだわ、たそラブはもう読み終えたかしら⁉︎読み終えたわよね⁉︎」

「あ、あぁ…ちょうど今日読み終わったところだ…」

「どうだった、感想を教えなさい!」

「そうだな…主人公のブランと、ヒロインのトリスの出会いが衝撃的だったのが一番印象に残っているな。あとは、ライバルのリクが現れたり、両親からの批判だったり、手に汗握るシーンがかなり多かったな」

「そう!そうよね⁉︎とってもハラハラしたわよね⁉︎」


 クリスは興奮のあまり、机に両手をついてジンに顔を近づけるが、恥ずかしがるような様子は無かった。それほどに、会話に熱中しているのだろう。今まで誰とも共有することのできなかった趣味を語り合える相手とやっと巡り会えたのだ、無理もないだろう。


「手に汗握るといえば…その…所々折り目がついてあったんだが、あれはどういう意図で…?」

「折り目…?…ふぁっ!そ、それは、別に、何も理由なんて無いわよ…」

「理由が無いにしては、やたらと二人の寝室での描写にばかりつけられてたんだが…」

「そ…っ、そんなの知らないわよ!バカスケベアホジン!」


 こうして二人が会話を続けていると、あっという間に時間は過ぎており、料理が運ばれて来た。

 懐かしのメニューに目を輝かせるクリスと、その量の多さに驚くジン。

 彼女は小さな口でソーセージを頬張り、溢れる肉汁に驚きながらも、幸せそうに咀嚼している。

 二人で過ごす時間が過ぎるのは早く、気がつけば夕方になっており、彼らは学園へと戻ろうとしていた。


「…ジン、今日も…夕飯、食べに来なさい」

「研究しなくちゃいけないもんな」

「別に…それ以外の理由でも良いのだけれど…」

「何か言ったか?」

「ううん、何も言ってないわよ」


 肩がぶつかる程度の距離を並んで歩く二人の姿は、周囲からはどのように見られているのだろうか。

 オレンジの陽が、優しくセンドレを包み込む。

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