第11話 『黄昏のラブコール』

 ジンは、クリスの舌打ちの理由を確認することはせずに、おとなしく従うことにした。

 彼女の部屋の壁には、腰ほどの高さの本棚が3つ並べられており、その中はぎっしりと詰められていた。

 彼は、その上に飾られた一枚の写真の前で立ち止まり、呟いた。


「この人、どこかで…」

「——私の父よ。十三年前の厄災の日のことで有名になったから、新聞か何かで見たんじゃないかしら?」

「ということは、隣のこの女の子はクリスなのか?こんなにも可愛らしい笑顔で…」

「今は無愛想で可愛くなくて悪かったわね」

「別にそこまでは言っていないが…」


 クリスは用意した茶をローテーブルに並べ、彼に座るように促した。

 ここには、ジンの部屋とは違って調理器具や座布団、家電などもしっかり揃えられていた。

(もしかして、料理はよくするのかな。なんでもできそうなイメージがあるが…)


「あんまりジロジロ見ないでよ…。この部屋に誰かを呼ぶなんて初めてだし、慣れていないのだから…」

「あ、すまない。綺麗だったから…。それで、バディのことは考えてくれたか?」

「ええ、お風呂に入りながら答えは決めたわよ。ただ、その後どこかの誰かさんが私の気分を害したせいで、良い返事ができるかは分からなくなってしまったのだけれども」

「あぁ…それはまた今度お詫びに何か奢るから、許してくれないか…?」

「冗談よ。けれどもそのお詫びというのは、期待しておくわ。………バディの件、良いわよ。あなたとなら組んでも構わない…と思うの」

「本当か⁉︎」


 予想外の返事に喜びを隠せず、ジンは勢いよく立ち上がった。その際にクリスは『ひゃっ!』と、可愛らしく声を漏らしてビクリとしたが、そのことに彼は気づいてはいなかった。

 しかし、そのことを誤魔化すかのように彼女は冷静を装いながら茶を啜った。


「翼は一枚では飛べないのでしょう?あなたとなら私も夢を見ていいのかしら」

「そのセリフ覚えてたのか…。恥ずかしいから、忘れてくれるとありがたいんだが…」

「そう?まるで小説の一節のようで私は好きよ。あなた意外とロマンチストなのね」

「…クリスは本が好きなんだな」

「そうね、物語は私の知らない世界を描いてくれるもの。よくお父さまに読み聞かせてもらっていたのも今でも思い出すわ。ジンはどうなの?」

「俺はあまり読まないな…。小さい頃は、兄と一緒に魔獣を討伐しに行くばかりだったからな」

「あら、あなたにはお兄さんが居るのね」

「血の繋がりはないが、俺からすると大切な兄だったんだ。この剣もその兄が遺してくれたものなんだ」

「そう…もうこの世にはいないということなのね…」


 申し訳ないこと聞いてしてしまった、とクリスは罪悪感を抱き、顔を俯けた。自分も大切な人を失った辛さは分かっているはずなのに、どうして相手に同じことを思い出させてしまったのか、と彼女は自分自身を責める。

 ジンは、そんな彼女を気遣って話題を変えることにした。


「……本、どれか借りても行ってもいいか?」

「ここにあるのは全て読み終えたものだから、どれでも好きなものを持って行ってもらって構わないわよ。…そうね、これからは私の部屋にある本を一冊ずつ読みなさい。そして全て感想を私に伝えるの」

「それになんの意味があるんだ?」

「——楽しいからよ」

「へ?」

「楽しいからに決まっているじゃない…っ!あいにく、私には今までそんな相手が居なかったのよ。バディなんだからそれくらい付き合いなさい!」

「はいはい、それじゃあまずはこれを借りて行くとするよ」


 ジンが手に取った本は、『黄昏ラブコール』というタイトルの恋愛小説だった。

 クリスは彼の意外なチョイスに驚いたが、その本を取った本人もタイトルは確認していなかったようで、かなり動揺している様子だった。


「へぇ…案外そういうのに興味あるのね」

「真ん中から取ったら、たまたまこれだっただけなんだ…。まぁ良い、読ませてもらうよ」


 クリスから本を借り、そのまま部屋から出て行こうとしたジンであったが、そこの棚の中にひとつだけ異様に古びているものが置かれているのが目に入った。

 それにはタイトルも書かれておらず、大きさも他の文庫本とは比べ物にならないほど小さかった。この場合、おそらく手帳と言ったほうが正しいのだろう。


「それは私の父が使っていたものなのだけれども、全て白紙なうえに何も書けなかったのよ」

「白紙、ねぇ…」


 開けてみると、そこにはびっしりと文字が敷き詰められており、何故それを全て白紙だと言い切れるのかがジンは不思議でたまらなかった。しかし、最後のページに書かれた一言で全てを察し、何も言うことなく手帳を閉じた。


「これ、一日だけ借りてもいいか?」

「良いけれども汚したり、無くしたりしないでよね」

「分かった、ありがとう」


 ジンは、その場を後にして自分の部屋へと向かった。その足取りは少々早く、急いでいるかのように感じられた。

(あの手帳にあることが本当なら、クリスの父親は——)

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