第35話

      ◇


 暗い暗い闇の中。

 呼吸する音すら聞こえない無音の世界で、ハワードは目を覚ました。


「ここは……?」


(確か私は、あの幼女に斬られて――)


 胸に手を当てるが、傷などひとつもついていない。


(夢、だったのか……? では、ここは何なんだ?)


 不思議に思って辺りを見渡すと、小さな灯りがぽつんと見えた。

 その灯りは次第に近づき、目の前に、ランタンを手にした幼女が現われる。

 朝焼けのようなピンクの髪を揺らした、可愛らしい幼女だ。


「なっ――! 貴様――!」


 自分を斬りつけた相手を前に、思わず背広のポケットに手を入れる。

 しかし、銃は入っていなかった。全身で警戒心を露わにするハワードに対し、幼女はきょとん、と首を傾げる。その子の纏う雰囲気は、『きひひ!』と瞳を光らせていた妖刀とは思えない程にほんわかとしたものだった。


「おじさん、誰?」


 不意に話しかけられ、面を食らう。


「どこから来たの? おじさんも、安綱ちゃんのお友達?」


(安綱……? あの幼女魔剣のことか?)


「私はリリィ。安綱ちゃんの一番最後のお友達。でも、おじさんが来たから、おじさんが最後になったんだね?」


「??」


 まるで理解できないでいると、灯りがぽつぽつと沸いて集まってきた。


「だれ、だれ?」

「新しいお友達?」

「わ、大人だぁ! めずらしいね」


 ランタンを手にした幼女たちは、将軍である自分に物怖じすることなく興味津々に寄ってくる。好き勝手に手を握り、ぐいぐいと引っ張っては暗闇の先に僅かに見える明るい方へ連れて行こうとする。


「ねぇ、あっちに行こう? おじさんも遊ぼうよ!」


「いや、私には果たすべき野望が――」


「やぼう? それは、将来の夢のこと? 私はね、お花屋さんになるのが夢なの!」


 身体のあちこちに包帯を巻いた幼女が、満面の笑みで微笑む。


「違うよ、違うよ。きっと、欲しいものがあるんだよ!」


 彼女たちの中でもひときわ小柄な幼女が、それを否定した。

 そして――


「だっておじさんは、こんなに心が空っぽだから」


(……!!)


 その指摘に、ハワードは反論することができない。


「きっと寂しかったんだよね? だから、ここに来たんでしょう?」


「違う! 私、は――!」


 名家に生まれ、富も美貌も全てを持っていた。

 地位も名誉もほしいままにし、若い頃は好きなだけ女も手に入れてきた。

 他者からの羨望を浴びるようにして生きてきた自分が、何も持っていないなんて、そんなはずは――


 だが、時折襲い来るどうしようもない孤独に苦しんでいたのも事実だ。

 いつからだろう、目に映るモノ全てが色を失ったように見えはじめたのは。

 あれは、おそらく十四の春――最愛の妹を事故で失ったときからだったか。


(エミリー……たしかあの子が亡くなったのも、この子らと同じくらいの歳だった……)


 『アーサー王伝説』が大好きだった妹と、しばしば書庫に入り浸った。

 本を読み聞かせてあげると、妹はこれ以上ないくらいに目を輝かせた。


『お兄ちゃん! アーサー王ってすごいんだね! 聖剣ってキレイなんだね! どれくらいキレイなのかな? お姫様みたいなのかな?』


 キラキラとした純真な眼差しに、兄は笑った。


『ふふ、お姫様というよりは、彼女が付ける宝石のように綺麗ということなんじゃないかな?』

『でも、ここに書いてあるよ! 聖剣は、たいそう美しい剣でしたって! わたし、会ってみたい!』

『それはものの例えだよ。聖剣が美しいなんて、そんな――』


 だが、書物の端にあった走り書きには確かにそう書いてあったのだ。



【聖剣エクス=キャリバー……美しいに、この本を贈る――】と。



 月日は流れ、妹を失った兄はなにげなく整理していた書庫でその本を見つけ、再び手に取った。


(聖剣エクス=キャリバー……エミリーの憧れたお姫様の剣。もしも彼女に会えたなら……)


 世界は、再び色を取り戻すのだろうか。

 願いを叶えるという聖剣が、この乾いた世界をその輝きで照らしてくれるのだろうか。『願う』なら、ずっと、傍に居てくれるのだろうか……


 妹を亡くした兄はそうして、永遠に共に在るという魔剣の存在に惹かれはじめた。


 目の前に、妹と似た背丈の少女がやってくる。


「ねぇ、お腹が空いてるの? お菓子をあげる! チョコにクッキー、ケーキもあるよ! でもね、一番たくさんあるのは大福! 全部、安綱ちゃんが持ってきてくれるんだよ!」

「わぁ、ずるい! 私も欲しい!」

「だめだめ。これは、新しいお友達への歓迎の気持ちなんだから」


 『どれがいい?』と、両手いっぱいに菓子を突き出す幼女。


「私が欲しいのは――」


 純真無垢な眼を前に、言葉が出てこない。

 違う。もう自分でもわからないのだ。いったい何が欲しいのか。


 俯いていると、ピンクの髪の幼女、リリィが手を握った。


「安綱ちゃんのネバーランドにようこそ、おじさん。ねぇ、何して遊ぶ?」


「私は、遊びたくなど……」


「ここにいれば、安綱ちゃんがいっぱいいっぱい楽しい思い出をわけてくれるの。美味しいお菓子、綺麗な景色、可愛いおもちゃにぬいぐるみ! 安綱ちゃんの感じた思い出が、私たちの思い出になるんだよ」


「うん、うん! 手に入らないものなんて、なんにもないよね!」


「ここにいる子はみーんな、今までの安綱ちゃんのお友達。安綱ちゃんは、困っている子を見つけると斬って、身体をもらってくれるの。親に殴られて怪我をした子も、お腹が空いて動けない子も、病気で苦しかった私も、もう誰も、寂しくて痛い思いをしなくていいんだよ?」


(……っ!)


「もちろん、おじさんもね。もう寂しくないよ。みんなが、一緒だから」


 無垢な幼女の眼差しに、ハワードは膝をついて呆然とその場にへたり込んだ。


(ああ、私は今まで一体なにを……私が、欲しかったのは――)


「――仲間に入れてあげるね? 一緒にあそぼうよ!」


(この、言葉だったのか……)

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