第18話

     ◆


 声が、聞こえる。

『どうして……』と、問いかける声が。


 縋るような細い声。

 この、手から温もりが零れ落ちてしまう感覚を彼女はよく知っている。


 夢が、希望が、友情が、愛情が、そして命が――零れ落ちてしまう感覚を。


『私は、どうすればよかったのだ……』


 絶望が希望を呼び、希望が戦を呼んで、また絶望を呼ぶ。

 この世界はしばしば矛盾だらけで、そんな中を幾千年と生きてきた。


『ああ、これが私に与えられた罰なのか』


 自嘲するような、噛み締めるような。そんな声に胸が締め付けられ、思わず耳を塞ぎたくなる。言葉を交わしたことは無いけれど、何年も何年も傍で聞いた声だった。

 今でも時折聞こえるその声は、いつも同じ言葉で終わる。


『裏切りの対価が、これか――』と。


 彼女は、この声を聞くといつも――――


「――――?」


 不意に名を呼ばれ、彼女は目を覚ます。

 心配そうに顔を覗き込んできた彼は、尋ねた。


「また、泣いているの……?」


      ◆


 ラスティ博士の協力を得ることに成功したスコットらは、彼の言う『策』――助っ人が到着するまでしばし待つことになった。


 イギリス軍による大規模攻撃が行われるまで、猶予は一週間。

 ひとまず防壁の強化はアゾットに、英軍の作戦内容に関する諜報とその他の迎撃準備はクラウ=ソラスに任せることとなり、アロンダイトは身体を休めることを優先するようにと命じられた。


 スコットはというと、学院で自分の魔剣を探すなんていう場合でなくなってしまい、英軍の件が落ち着くまではアロンダイトの家に居候することとなった。

 美少女の家に半同棲……どころか完全に同棲しているこの流れは、童貞のスコットにとって尋常ならざる状況だ。ある意味では、英軍の大規模攻撃よりもエマージェンシー。手作りの朝食に『幸せ……』なんて思っていた初日がバカみたいだ。


 そんなスコットを気遣ってか、アロンダイトは「日用品を揃えに行きましょう」と、何かにつけて一緒に外出するよう誘ってくれる。

 「早く慣れてくれればいいな」なんて、優しい彼女のおかげで、日数が経過すればするほど緊張による疲労が和らぎ、眠る前には余計なことを意識する程度に余裕が生まれるようになってしまった。


 具体的には、アロンダイトのことが気になって仕方がない。

 あんな美少女と同じ浴室でシャワーを浴びてしまった、とか。アロンダイトがいつも腰かけているソファに座ってる、とか。今頃はあの可愛い部屋で、抱き枕を抱き締めながら寝ているんだろうか、とか。

 生まれ変わるなら自分はあの抱き枕になりたい、いや、むしろ今すぐ場所を替わって欲しい、抱き締められたい、一晩中寝顔を見ていたい、とかとか……


 そんな中、いつものようにふたりでローテーブルを囲み、彼女手作りの夕飯に舌鼓を打つ。しかもアロンダイトは「人間の好みがよくわからない」とか言ってリクエストを聞き、いつもスコットの好きなものを作ってくれるのだ!

 幸せの絶頂に浸っていたスコットは、遂に決意した。


 身ひとつで捕虜にされた自分は、こんなに優しくしてくれる彼女に返せるものが何もない。だが、ひとつだけ、彼女の役に立てるとしたら――


「ねぇ、アロンダイトさん……」


「ん。なぁに?」


 ハンバーグを食べる手を止め、きょとんとこちらを見るアロンダイト。改まった表情にどうしたのかと、目をぱちくりさせる姿が逐一可愛い。

 スコットは、人生で一番の勇気を出した。


「僕を……キミの契約者にしてくれませんか……?」


「……!!」


 碧い瞳が大きく見開かれ、フォークからお花の形のにんじんがぽろり、と落ちた。

 しばし沈黙していた彼女は、静かに口を開く。


「それ……どういうことかわかっているの?」


「……わかってる。キミと一緒に、イギリス軍と――かつての仲間と戦うってことだ」


「危ないかもしれないわよ? 命の保障はできない」


「でも、それでも……! そんな危険な場所に、キミをひとりで行かせたくない!」


 その一言に、アロンダイトはこれ以上ないほど驚きに固まる。そして、フォークをことり、と置いて、まっすぐにスコットを見据えた。


「私と契約をすると……惨めな最期を迎えることになるかもしれないわよ?」


「それはあの――ランスロットのように?」


 こくりと頷く美少女魔剣に、スコットもまたまっすぐに向き合う。


「それはない、絶対に」


「どうして言い切れるの?」


「たとえ僕がこの戦いで傷つき、死ぬことになったとしても。僕は最期までキミという魔剣を手放さない。そうして、最期にキミが傍にいてくれるなら、どんな死に方だとしても、僕にとっては最上の最期だ」


「……!!」


「お願い、アロンダイトさん。僕を、キミと一緒に戦わせてくれませんか?」


 スコットは、女の子をダンスに誘ったことも無ければデートに誘ったことも無い。

 それでも、彼にできる精一杯の言葉を尽くして、心を込めて、彼女に手を差し出した。

 その『願い』を聞いた魔剣は、静かに立ち上がるとスコットの隣に腰を下ろす。


「……わかった。でもその前にひとつだけ、あなたにその資格があるか試させて」


「いいよ。僕にできることなら、なんだってしてみせる」


 決意に満ちた返答に、魔剣は――


「私のことを、抱き締めて?」


 両手を広げて、そう言ったのだ。

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