第11話

 暗闇の中で、声が聞こえる。


『どうして、私は――』


(ああ、またこの声だ……)


 今ならわかる。これはきっと、ランスロットの声だ。


 スコットに聞いた話では、彼は無念と後悔を抱え、愛する者と再会することなく死んだ。愛を貫き、全てを捨てて――自分は、そんな彼とずっと共にいたのだろうか?


『ああ、なんてことだ……』


 苦しい。悲しい。声から気持ちが伝わってくる。

 もしこれが魔剣と契約者の繋がりだとしたら、誇らしく思えることなのだろうか。懐かしく思えることなのだろうか。

 しかし、彼との思い出がない自分にとっては、感情を押し付けられている感覚に近い。それはただ、寄せては返す波のように、静かに、悲しく繰り返す。


 そうしてまた、彼はあの言葉を呟くのだろう――


『裏切りの対価が、これか――』


  ◇


 ――ハッ……


 暗闇が晴れ、瞼の裏に光を感じる。おそらく脳が覚醒したのだろう。


(ここは……?)


 ……ピッ、ピッ……


 薄目を開けると、真っ白な部屋に規則的な機械音だけが響いていた。

 鼻腔をくすぐる薬品の匂い。洗浄したての検査着はひんやりとして冷たく、正面に見据えた照明が眩しい。この部屋に来るのは、何年ぶりだろうか。


(私は、また……ひとりでは守り切れなかった……)


「おや、お目覚めかい? アロンダイト」


 首を横に傾けると、それと視線を合わせるようにして幼女の大きな瞳が覗く。


「アゾット様……」


「ああ、まだ動かない方がいい。身体へのダメージは治りきっていないのだからねぇ。あ、脳の方は異常無し。心配しなくてもいいよ。魔剣フォームになれるかい? 一応、刃毀れしていないか確認しよう」


「はい……」


 言われるままに目を閉じ、自身の姿を魔剣へと変質させる。身体を巡る『鉱脈血』と魔剣細胞に呼びかけるようにして、一振りの剣を思い浮かべる。

 検査台に横たわった白金色の魔剣を手に取り、アゾットはそれをしげしげと眺めた。


「んふふ……相変わらず、キミは美しいねぇ。太陽というよりは、まるで包み込む月のような静かな輝きだ。それでいて、雷と見紛うばかりの雄々しさをその刃に映し出す。いや、これは――意志の強さかな?」


 魔剣は、照れ臭そうに呟く。


『言い過ぎですよ、アゾット様』


「でも事実さ。少なくとも、私の目にはそう映る」


『最高の魔剣医たるあなたにそう仰っていただけて、私は幸せ者ですね……』


 その呟きに、アゾットは声を低くした。


「本当に、そう思うのかい?」


『え――?』


「この検査室に来ると、キミはいつも浮かない顔をする。思いつめた表情だ。戦線を撤退し、一時とはいえ責務を全うできなかったと、いつも自分を責めているんだろう?」


『それは――』


 当たり前だ、と言いかけるのを遮るように、アゾットは刀身を撫でた。


「この国では、戦場に出られる者が限られている。いや、その『戦場』という存在そのものを知る者が。私たち『十剣』の一部と、第一防壁の守り手――キミ、アロンダイトだ。電気を用いる兵器が主流たる近代の戦闘において、雷を操るキミの力は絶大だ。これ以上の適任はいない。そう言って『壁を任せてくれ』と直訴してきたキミの厚意に、私達は甘え過ぎていたのかもしれないねぇ……」


 労わるような手つき、幼女の声音からは程遠い穏やかな言の葉。しかし、その安らぎがかえって背筋を震わせる。アロンダイトは思わず変身を解いた。


「待ってください! 私は……! まだやれます!!」


「知っているさ。高密度電磁バリアのおかげか、キミの刀身には昔からある傷以外、刃毀れのひとつも無かった。流石は円卓に名を連ねる魔剣だ」


「でも……! アゾット様は私にはもうできないと、そうお思いなんでしょう!?」


「そうじゃないさ。ただ、そうだね……突破口がひとつ、開かれてしまったことは事実だ。たとえダーインスレイヴが撃退したとしても、きっと敵は、次もその次も同じような手で攻めてくるだろう。試行錯誤を重ねれば結果が得られるということも露呈してしまった」


「……ッ!!」


「それに、彼の言葉には金槌で頭を殴られた気分だったよ。キミに全てを任せ、その責任を押し付けていた――本当にすまないねぇ……」


「ちがっ! 違います! 防壁の守りは、私が私の意思で行っていたことで……!」


「でも、それで再びキミを傷つけてしまったという結果は変わらない。以前ここに来たときに、対策を講じるべきだったんだ。私たちは……」


 胸の内の後悔を吐露する言葉に、アロンダイトは喉の奥からこみ上げる嗚咽が抑えきれない。


「イヤ……そんなこと、言わないでください……私の存在意義を、奪わないで……」


「……やっぱりか。キミがここまで、ひとりで壁を守ることに固執するのは……」


 アゾットは涙を零しそうな少女の手をそっと握る。


「キミには、もっと他の――戦い以外の存在理由が必要だ。魔剣の力は心の力。そして意思の力によるところが大きい。負傷して身体以上に心が傷ついた今のキミでは、前と同じだけの力を発揮できるかどうか……ねぇ、一旦防壁の守りを退いて、学院に通うのはどうかな? 心の寄る辺となってくれる契約者を探すんだ」


「でも! また契約者を得たら、私は……! その人を不幸にしてしまうかも――!」


「だから、それすらも一緒に背負ってくれる運命の人を探すんだ。何十年、何百年かかっても構わない。フラムグレイス独立国が存在する限り、民は安寧のときを過ごし、命が芽生え、学院には新しい生徒が入ってくる。キミは『乙女の魔剣 アロンダイト』。キミが、キミを愛してくれる大切な存在を見つけられるまでは、私たち『十剣』がその責務を担うから。だから――」


「……ッ!!」


 最後まで言葉を聞かず、アロンダイトは検査室を飛び出した。ほどけた髪を靡かせて、研究棟の冷たい廊下を裸足で駆け抜け、ただひたすらに出口を目指す。


(目指す……? 帰るって、どこに?)


 家、だろうか。だが、家に帰って何になるのだ。こんな、自分を気遣う上官の言葉を踏みにじり、逃げ出すような真似をしておきながら。

 そして、想像する。

 明日からは、あの防壁に誰が立っているのだろう?

 クラウ様だろうか、ダーインスレイヴ様だろうか。

 それとも、もっと別の――


「……ッ!!」


 言葉にならない。考えるだけで脳が痺れる。身体が思考を拒否している。


「はぁ……はぁ……!」


 ただ走った。まっすぐに。目の前に見えた扉を開けて非常階段を駆け上がり、上を目指す。何が見たいわけでもないけれど。

 屋上についた少女は吹き抜ける風を身に受け、僅かに香る硝煙の匂いに気づく。


(ダーインスレイヴ様が、戦っている……)


 涙が、零れた。


(私じゃなくても……代わりが、いるんだ……!)


「うっ……うっ……」


 膝をついて顔を覆う。声を漏らさないように。零れる涙が地に落ちないようにと顔をあげると、蒼く澄んだ空が見えた。今まで、自分が守ってきた空だ。


(でも、これからは――)


 再び泣き出しそうになっていると、風に血の匂いが混じるのを感じる。


「え……?」


(相手は、確か無人機って――)


 だとしたら、この血は誰のものだ?


 何故だかわからない。だが、不意に顔が浮かんだ。


「スコット……?」


 脳裏に鮮明に描かれたその顔が笑顔になる。

 今朝、一緒にかにぱんを食べた時のような、無邪気な笑顔だ。

 昨日、泣き出した時に背中をさすってくれた、優しくて、困ったような笑顔だ。


「スコット……!」


 胸騒ぎがする。アロンダイトは再び駆け出した。

 何が見たいわけでもなかった屋上。

 だが、今はただ。彼の笑顔が見たい――

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