【短編】口にすることで変わる未来がある

もちもち

短編

 私の名前は、瑞湖みずこ

まあ、珍しいわけじゃないけど、そんなによく見かける名前でもなかったりする。


 そんな瑞湖みずこという名前に、なぜか見覚えがあった。

どこで見たのか、さっぱり思い出せなかったけど、見たことがあるような気がしていたの。


 それを思い出したのは、11歳の誕生日を迎える数日前。

小学校の帰り道で、近所のおばちゃんたちが普段通りの大きな声で、噂話をしているのを横目に通り過ぎようとしていたときだった。


 「ねぇ、ちょっと、知ってる?エミコさんとこの旦那。浮気してたんですって!!」

「まあっ!そうなの!?イヤだわ。あんなに仲良さげに夫婦で出掛けておいて、浮気してたの?分からないものねぇ〜」

「そうなのよ!ビックリよねぇ〜!そ・れ・に、ね?もっと驚くわよ?浮気相手との間に子供までいたんですって!!」

「やぁだ〜〜〜!!それ、本当なの〜!?信じらんな〜い!!」


 信じらんないのは、あんたたちの声の大きさだよ。

と、心の中でツッコミを入れたときに、あれ?と思ったのがキッカケだった。


 ツッコミを入れたこともそうだし、それに、どっかで聞いたことのある話だなって。

でも、どこにでもありそうな、そんな話に違和感を覚えるなんて、おかしいよね。なんて思いながら家に帰って、表札を見て気付いた。


 表札には、野々木 正一

          由美子

          瑞湖


 えっ。これって、「砂上さじょうの城」の登場人物じゃないの!?

そう思ったときに、ぶわっ……と何かが溢れたように色々な記憶がよみがえってきた。


 とめどなく溢れる記憶にクラクラしつつ、何とか玄関のドアを開けて家に入った。

力なく「ただいま……」と言って、二階にある自室へと入ってランドセルをドサリと置いた。


 まだグルグルする頭の中を整理しようと、勉強机に近付き、そこの椅子へと倒れ込むようにして座り、片手で頭を支えた。


 しばらくして溢れ出る記憶が収まり、混乱も薄れたところで、子供らしからぬ仕草に苦笑が漏れた。


 「はぁ〜、いや、ホント何が起こるか分からないものね。まさか自分が砂上の城に出てくる『木島・・ 瑞湖』になるなんて思いもしなかったわ」


 11歳の言動とは思えないけれど、仕方がない。

何せ、溢れ出していた記憶というものは、私の恐らく前世の記憶だろうから。


 思い出したのは、なだらかな、とはいえ、それなりに山や谷もあったけれど、幸せだったと思える人生を終えた、一人の女性の記憶だった。


 市立の小中学校を卒業し、県立の高校から、国立の大学へ、地元のそこそこな商社でOLになって、友人に紹介された男性と恋愛結婚。

会社は寿退社し、子供は男の子二人に恵まれ、その子たちの手が離れた頃にパートに出て家計を助け、子供の夏休みには家族で2泊3日程度の旅行をして。

 それから、息子たちも結婚して、孫もできて、夫は定年退職。これからは、夫婦の時間ね。というときに、私に大腸ガンが見つかった。それも、末期の。


 延命治療は行わず、ゆるやかに死に向かうようにしてもらった。

残していく夫には悪いと思ったけど、子供たちが小さいわけではないし、孫までいるのだから、治る見込みもないのに投薬で無理矢理に延命することはしたくなかった。


 私の入院中に見舞いに来た夫は、寂しそうに笑っていたけれど、目の周りが赤くなっていたから、どこかで泣いていたんだろうなと、申し訳なく思うも、ちょっと嬉しかった。

そんな夫と、頼もしく育った息子二人とその家族に見守られて、私は静かに息を引き取った。


 夫や家族との優しい思い出に浸りそうになって、そうじゃない!!と、私は机の引き出しから使っていないノートを取り出して、覚えている限りのことを書き出した。


 そう。今は前世の記憶の中でも、家族との思い出を懐かしんでいる場合じゃないのよ!


 前世で、私が入院中に少しでも気が紛れればと、夫の妹がお見舞いの品と一緒にくれた小説の中に、「砂上の城」というのがあったの。

その小説の登場人物に「木島 瑞湖」という女性が出てくるんだけど、その人の旧姓は「野々木」なのよ。


 つまり、私の今の名前と全く同じ。

偶然の一致だろうと、笑って済ませたくないところがちょっとね……。


 というのも、前世にはあったスマホやパソコンが、私が今生きているココには、まだ存在していないし、世の中も昭和っぽいの。

「木島 瑞湖」が少女だった頃の時代とも合ってるみたいだし。


 それに、小説での瑞湖の回想シーンで、父の名前が正一、母の名前が由美子と出てきていた。

そこまで一致していたら、さすがに気味が悪い。


 夫の妹がくれた小説の中には、異世界転生や乙女ゲームの世界に転生、または転移した内容の物もあった。

非現実的だとは思うけど、もし、もしも、よ?私が今生きているココが「砂上の城」の小説と同じ世界なのだとしたら、胸クソ展開が待ってる。


 木島瑞湖の父親は、仕事一筋で家族サービスらしいものをしない人。

母親の由美子は、夫を寡黙だけれど優しい人。というふうに思っていた。


 しかし、父の正一は、浮気していて、その相手との間に女の子と男の子、二人の子供がいて、それを高校生になった瑞湖が偶然見てしまうのよ。

 華やかな真新しいワンピースを身にまとったキレイな女性と嬉しそうに手を繋ぐ女の子。

その子の反対側の手を繋ぐ、見たこともないほど愛に満ち溢れた笑顔で見つめる父の正一と、その父の片腕に抱き上げられた男の子を。


 でも、瑞湖は、それを父に問いただすことも、母に告げることも出来ずに、ずっと抱えていくことになる。

それが、瑞湖に影を落としていく。


 「確か、高校のバレーボールの親善試合に行った先で、偶然見ちゃうのよね。えーっと、ああ、そうだ。相手の高校は流滝るたき高校だったわ。図書館に行けば、分かるかな?あー、こういうときスマホがあれば、すぐ検索できるのにっ!」


 流滝高校の描写は、とある高校を参考にしたのだと作者が言っていたと、小説を貸してくれた夫の妹が熱弁していたから、たまたま覚えていたけれど、当時はさっさと帰ってくれないかな、なんてヒドイことを思ってたのよね。


 小説の描写で、瑞湖が父と浮気相手とその子供たちを見たとき、女の子の方は10歳前後みたいな感じで書かれていたわよね。

つまり、私の5〜6歳くらい下?今だと幼稚園児かな?男の子の方はまだ生まれてないかもしれない。


 うーん。今まで父は寡黙で、仕事が忙しい人なんだと思ってたんだけど、どうやら私たち家族に興味がなかっただけみたいね。


 「どうしよっか。下手に騒いじゃうのも何か嫌だしなぁ……」


 まあ、もし騒いで浮気相手との間に生まれるはずだった男の子が、生まれて来ない状況になるのが嫌だという、ただそれだけなんだけどね。

罪悪感にさいなまれたくないってだけなんだけど、いや、浮気してる父が悪いよね?私が気にする必要なんて、どこにあるのよ!?


 「あっぶなー。これが瑞湖の思考なんだ……。コワっ」


 さて、と。

ここが小説「砂上の城」と同じ世界だとしたら、父は既に浮気をしていて、子供までいることになる。


 そして……。

このまま、もし小説の通りに進めば、瑞湖は好きになった男性を異母妹に取られるのよ。


 瑞湖が好きになった男性も、瑞湖のことを好きになってくれた。

けれど、瑞湖が勤めている会社の新入社員として異母妹が来たことで、流れが変わるの。


 瑞湖と異母妹は、後ろ姿が似ていたため、異母妹は瑞湖に間違えられることが度々あった。

そこで、同じ会社に勤めていた、瑞湖と付き合っていた彼氏も、瑞湖と異母妹を間違えたことで、二人の仲は急接近する。


 少し陰のある瑞湖よりも華やかで明るい異母妹の方へと引き寄せられた彼氏に、瑞湖の気持ちは冷めていき、ちょうど上司に転勤の話を持って来られたので、見切りをつけて彼氏と別れた。


 「そこまでは、いいのよ。そこまでは!そのあと、そのあとが胸くそ展開!!作者は、何を考えてたんだろうね!?」


 瑞湖は、転勤先の上司から見合いを勧められ、そのお見合い相手と結婚するのよ。

それが、木島という人物なんだけど、実はこの男、外面はいいんだけど、暴力を振るうDV男だったわけ。


 その暴力と暴言に耐えた瑞湖だったけど、5回も流産するのよ!?

本当に読んでいて「さっさと別れればいいのに!!」と、何度思ったか。


 結局、度重なる暴力と流産のせいで、瑞湖は子供を産めなくなってしまうのよ。

このときに、夫から名前を揶揄やゆされるのよ。


 お前が流産を繰り返すのは、お前の名前のせいだろ?


 「ほんっと、ムカつく!!なにあれ!水子と瑞湖をかけて言ってんの!?冗談でも言っちゃいけないことがあるって、何で分からないかな!?」


 フシュー!フシュー!と怒りで興奮してきたけど、まだ起きてない事態だから、落ち着こう。


 だけど、瑞湖には更に不幸が襲う。


 暴力夫が事故で亡くなり、保険金を手にした瑞湖だったけど、彼女が夫から暴力を振るわれていたことを知った夫側の親族が、瑞湖が事故に見せかけて、夫を殺害したんじゃないかって言い出すのよ。

子供がいない瑞湖が犯人であれば、その保険金を手に入れられると、そんなことを言い出したんだけど、夫の事故死に瑞湖は全くの無関係だったことが証明されたので、無事、保険金は瑞湖の手に渡った。


 でも、そんなことを言いふらされた瑞湖は、近所の目を気にして、引っ越すことにしたんだけど、そこで、新たな出会いがある。


 引っ越した先のスーパーで、財布を拾ってあげたのがキッカケで、仲良くなった大学生がいた。

親元から離れてホームシックになっていたその大学生は、なんだかんだと親子ほど年の離れた瑞湖の家へと上がり込み、ご飯をねだるようになる。


 そこから、ほんの少し甘い展開が続くんだけど、「もしかして、恋愛に発展しちゃったり!?」と、匂わせておいて、恋愛には全く発展しないの。

むしろ、また胸くそ展開……!!


 その大学生が友達を連れてきて、その友達がクセ者だった。

最初は、「母さんにプレゼントしたいんだけど、あんまよく分かんなくてさ。瑞湖さん、一緒に選んでくれない?」と、買い物に誘うの。


 その後、「あのとき選んでくれたの、母さん喜んでたから、お礼ね!」と言って、ちょっと可愛らしい小物を瑞湖にプレゼントするわけ。

そこから、なんだかんだと瑞湖と出掛けることが増えていくんだけど、そのうち、割り勘だったものが瑞湖が払うようになっていく。


 それを「あーあ。また瑞湖さんに払わせちゃったよ。不甲斐ない彼氏でゴメンね?でも、就職したら養ってあげるからね?」なんて、付き合ってもいない、親子ほど年の離れた瑞湖にそんなことを言うんだけど……。


 結論から言うね。


 この男、瑞湖から見ると、甥っ子になるの。


 そう、異母妹の息子なのよ!!

しかも、しかもだよ!?コイツ、瑞湖が伯母だって知ってて、やってんのよ!?マジムカつくわ!!


 さすがに異母妹は、息子がそんなことしてるなんて知らなかったんだけど、でも読んでいたときは、腹が立って仕方がなかったわ。


 というか、コイツ。離婚した父親が昔付き合ってた女が気になるってだけで、瑞湖に近付いてきたんだけど、ついでだからと、瑞湖から金を巻き上げようとしていたのよね。

そう、瑞湖が転勤するキッカケとなった、別れた彼氏と異母妹は、そのあと結婚したんだけど、結局は離婚してるの。


 「あー、いや、まだ起きてない。大丈夫。異母妹は産まれてるけど、そこは仕方ない。まずは……、うん、そうだね。父親が浮気していることを知っていると、突きつけてやろう!」


 そう決意したら、ぐぅ!とお腹が鳴った。


 「瑞湖ー!ご飯よー!」

「はぁーい!」


 階段の下から母がご飯が出来たと呼んだので、さっそく夕飯をいただきに行きましょうか。

あ。今日は何もお手伝いしなかったな。


 おっ、夕飯はハンバーグだ!

お母さんのハンバーグ、めっちゃ美味しいんだよね。


 「お母さん、お手伝いしなくて、ごめんね?」

「えっ?あら、いいのよ。何だか元気が無さそうだったから。……学校で何か嫌なことでもあった?」

「う、ううん!何もないよ!」

「そう?それなら良いんだけど……」


 私とお母さんがお喋りしてる食卓には、父もいるけど、いつもの如く無言。

でも、今日という今日は、その口を開かせてやる!!


 確か、異母妹の名前は彩月さつきだったはず。


 「ねぇ、お父さん。彩月さつきちゃん、元気?」

「…………ああ」

「えっ、それだけ!?」

「………………来年、小学生になる」


 口を開いたし、返事もしたけど、何か思ってた反応と違う。というか、普通に小学生になるとか返してきたんだけど、どういう神経してんだろうね?


 私がムスっとした顔をしていると、「……会いに行くか?」と聞いてきた。


 ……………………。

浮気相手との間にできた子供に、会いに行くか聞いて来てんの?マジで?


 「あら、いいじゃない。彩月さつきちゃんも喜ぶわ!」

「えっ、お母さん……?」

「…………まだ、錯乱することもあるらしいが、いい切っ掛けになる」


 錯乱って、何だ!?誰が錯乱してんの?

ちんぷんかんぷんな顔をして混乱している私をお母さんは優しく撫で、「瑞湖も、もう大きくなったから、話しても大丈夫かしら?」と言って、何のことか話してくれた。


 異母妹こと彩月さつきちゃんは、正確には私の異母妹ではなく、従姉妹だった。

父の弟の娘が彩月さつきちゃんなんだけど、父の弟さんこと叔父さんは、どうやら重度のヤンデレだったみたい。

 まあ、両親にヤンデレなんて言っても通じないだろうけど。


 それで、叔父さんは、付き合ってた彼女が姿を消したことに激怒し、探しまくって、居所を掴んだ。

そこで、その彼女さんが幸せそうに女の子と暮らしてるのを見て、「誰の子だ!!?」となって、その女の子を殺そうとしたらしいんだけど、自分の子だと知って、「愛する彼女と自分の子を殺そうとしたなんて……!」となって、その場で包丁で自殺。


 叔父さんを追って父もその現場に駆けつけたんだけど、叔父さんを彼女さんが止めている間に彩月さつきちゃんを安全な場所に移そうとしたところで、惨劇が起こった。

それで、彩月さつきちゃんは、襲ってきた男ではなく、伯父にあたる私の父を自分の父親だと思い込んでしまったんだとか。


 「それにね。父親のいない子は、何かと不便なのよ。だから、お父さんの子として認知してあるのよ。瑞湖には、まだ難しかったかしら?」

「え、いや、うん。うん、大丈夫」


 そういうことにして、お母さんには浮気相手だと知られないようにしているの?

じゃないと、あの一文は、どうなるの?


 見たことも無いほど愛に満ち溢れた笑顔で見つめていたって、あれは。


 あー、でも、惨劇に遭遇した彩月さつきちゃんが笑うようになったから、とか?

私が、うんうんと、頭をひねっていると、お父さんが更に口を開いた。


 「朋子さんもそろそろ彼と結婚したいそうだ」

「あら、そうなの?でも、まだ難しいのかしら?彩月さつきちゃんは、あなたをお父さんだと思い込んでいるのでしょう?」

「……離婚したと、説明すれば」

「あとから、こじれるわよ?」

「うむ……」


 え?本当に、従姉妹なの?異母妹じゃなくて?いや、まあ、父が叔父さんの代わりに認知したなら、戸籍では異母妹になるのかもしれないけど。

というか、彩月さつきちゃんのお母さん、朋子さんっていうんだ。


 だけど、朋子さんのお腹には、今付き合ってる彼氏との子供がいるそうで、さすがにこれ以上、自分の娘彩月ちゃんのために、私の父との家族ごっこを続けたくはないと悩んでいるらしい。


 ここで、彩月さつきちゃんに真実を伝えないと、あの小説みたいなことになるのかな。

私も今日、彩月さつきちゃんのことを聞かなければ、彼女を父と浮気相手との間にできた異母妹だと思い込んだままだっただろうし。


 結局その後、彩月さつきちゃんは医師の付き添いのもと、少しずつ現実を受け入れていき、父親だと思っていた人が父親の兄だと、ちゃんと受け入れることが出来たらしいんだけど、初めて会った私を突き飛ばしてきたんだよね。


 私からお父さんを取った!!て。

それ、私のセリフだからね?何で彩月さつきちゃんに言われないといけないのよ?


 でも、彩月さつきちゃんは、その直後に母親の朋子さんから、ゲンコツくらってた。

「お父さんを取ってたの、あんたでしょうが!!」と怒ってたんだけど、朋子さんに怒る権利ないような気がするんだけど。


 だって、家族ごっこしてたの、楽だったからでしょ?

錯乱する彩月さつきちゃんを宥めて慰めるよりも、違う父親を与えておけば大人しくしてるんだから、そっちを選んでたんだよね?


 それで、彼氏が出来たから、その家族ごっこをやめたくなっただけでしょ?


 だから、私は言ってやった。

あなたが、それを言うんですか?て。


 私はそう言って朋子さんを睨んだ後、ゲンコツされて泣きじゃくる彩月さつきちゃんを抱きしめて、「取ってないよ!だって、彩月さつきちゃんは、ううん!彩月さつきは、私の妹だもん!」と言った。


 しゃくりあげてる彩月さつきちゃんは、私を見上げると顔を歪めて「おねぇちゃん!!」と言って抱きついてきた。


 こうして、彩月さつきは、戸籍を移して本当に私の妹になった。


 でも、小説「砂上の城」で、瑞湖の彼氏を奪ってしまうことになった異母妹との関係よりも、ちょっと悪化してなくもない、かな?ということになっている。


 私が就職した会社に、私がいるからという理由を隠して彩月さつきも就職したんだけど、今日も今日とて彩月さつきは、私に近付く男性に、「お姉ちゃんに寄るな!クズ男め!!」と威嚇している。

その人、必要な書類持ってきてくれただけだから。仕事してるだけなんだから、あんたは自分の部署に戻りなさいよ。


 何もしてないのに、クズ男はないでしょ?失礼よ。そう言って彩月さつきの頭を書類でパコンと叩くと、「だってお姉ちゃんと私を何度も間違えるんだもん!」と、むくれた。

私に間違えられたことに腹を立てているとかではなく、私を誰かと間違うこと自体に怒っているみたい。


 あの小説のように、たまたまではなく、私がいるからという理由で、同じ会社に就職した彩月さつきは、今日も私に近付く異性を遠ざけていく。

姉として慕ってくれるのは嬉しいけど、仕事の邪魔はしないでね。


 このままでは、結婚に縁がないかもしれないな。

でも、前世で幸せだったということもあって、今世では結婚することにこだわりはないから、別にそれでもいいかとも思うの。


 あ、そうそう。

お父さんが家で無口だったの、お母さんに照れてただけなんだよね。


 お母さんに頼んで、お父さんに抱きついてもらったら、茹でダコみたいになったもん。

しかも、夜の営みは、お酒で少し酔ってないと照れてカチコチに固まって無理なのだと、大人になってから聞いた。


 小説のような胸くそ展開にはならなかったけど、でも、あれって瑞湖の選択がおかしかった所もあっと思うんだよね。

だって、現実ならそっちを選ばないだろうけど、小説の中は、作者の意向で選択肢を変えられてしまうもの。


 さて、と。仕事も終わったことだし、ケーキ屋さんへ寄って、弟の誕生日ケーキを買って帰りますか。


 朋子さんの子じゃないわよ?

お母さんをけしかけた結果、両親の間に男の子が誕生したのよ。


 今は、やっと少し慣れたのか、酔ってなくてもお母さんと手を繋げるようになったお父さんは、嬉しそうな顔をして照れている。

弟に、お父さんは無口で、表情もほとんど変わらなかったのだと言うと、「うっそだぁー!」て返って来るくらいには、お父さんは喋るようになったのよ。


 前世を思い出したときは、こんなにも穏やかで幸せな未来が待ってるなんて、想像もしなかったな。


 やっぱり、思いは口にしないと伝わらない。

彩月さつきも、私が妹だと言ったから、素直に姉と呼べたのだと、あの当時を振り返ってそう言う。


 そんな彩月さつきは、まだ仕事が終わらず、ピーピー言ってるので、少し手伝ってあげることにした。

まったく、サボって私のところへ来てるからよ。さっさと終わらせないと、ケーキ屋さん閉まっちゃうわよ?



 ― 完 ―

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