第11話 恋人と未来を見た話
惑う。惑い進む。
決して目の前を遮る霧が晴れることはなく、手を前に出して指先に何かが触れるまで、恐る恐ると進む。
惑いが霧を呼び、霧が惑いを呼ぶ。
指の先に触れたものが何であれ、触れて仕舞えば、そこまでだ。その正体が幸か不幸か、そのどちらであれ、それを享受するしかない。
そういうものが人生だと思っていた。濃霧の中に浮かび上がる輪郭の形に、希望と絶望を想像して手探りに進むものだと。歩みを止めない両の脚を、称賛しながら憎みながら進むものだと。
だが、それは勘違いだと。
思い知らされた。
「やっぱり、喫茶店はこういうのですよね」
ホットサンドメーカーから出来上がったホットサンドを取り出す栞は、エプロン姿のまま隣に腰掛けた。
「定番のハムタマゴに、ハムチーズ。それからサーモンピクルスなんてのも作ってみました」
喫茶店のメニュー決めを兼ねての朝食だったが、流石に二人でホットサンド三つは少し多いが我慢して胃に収める。
仕入れ先だとか原価だとかは値段設定だとかは二の次にして取り敢えずメニューは自信を持って出せるものにすると決めた。
「珈琲も少し配分を変えたオリジナルにしてみたけど、どうかな?」
少しずつ自分の好みの味には近づいてはいるが、世の中の一般的な嗜好とは異なる可能性もある。とはいえ、それは画一的ではなく、だからこそオリジナルブレンドに価値はあるのだろうけど、それでもやはり私以外のの評価は気になるもので。
「うーん、飲みやすいですけど、オリジナルっぽさは無いもしれないですね。特徴的な方が店の顔って感じになるんじゃないですか?」
確かに言われてみればそうかも知れないけど、あまり尖り過ぎてる味というのもどうなのだろうか。
「何種類か用意するのが妥当かもね。あ、個人的にはアイスコーヒーは水出しがいいかな」
「あれって結構手間かかるらしいですけど、大丈夫なんですか?」
手間というよりもひたすらに時間が取られるのだが、まぁそれくらいの拘りがあってもいいだろう。
それなりにメニューも固まってきたし、いよいよ今日はテナント契約の日だ。
「ま、ダメだったらまた貯金すればいいだけだしね」
「なんか微妙に後ろ向きですね……」
大繁盛とまではいかなくても、充分に生活ができる稼ぎがあれば、私はそれでいいのだ、
そんなこと思いつつも閑古鳥が鳴くのは少々寂しいので、それでもやはりある程度は客入りがあればありがたいが。
◇
「結構良い雰囲気じゃないですか」
いつの間にか、栞と暮らし始めて半年が過ぎていた。
目星をつけていたテナント物件は生憎開業資金と折り合いがつかなかったので、結局一から探すことになった。
結果としては、中古の一軒家をローンで購入することになった。一階を店舗に二階を私達の暮らす住居スペースがあり、今は引っ越しを数日後に控えた下見だ。
「しかし、女手二人でDIYなんて大丈夫かな…」
何となくのイメージはあるけれど、元々は普通の住宅なので壁をぶち抜いたりしなければならない。
「ほら、最近私がよく見てるDIYのユーチューバーとか動画は一杯ありますから、それ参考にしましょうよ。何とかなりますって」
妙に前向きな栞に苦笑しながら、ようやく実感する。
ここで、栞と——恋人と新しい生活が始まるのか。
そこまで考えてから、気付く。
「ん、何か気になることでもありました?」
栞の横顔を見て惚けていると、急に黙りこくった私に栞が訝しむ。
「あー、ホームセンターで色々買わないとなって」
「私は結構楽しいですけどね。こういう、自分の手で作るのは」
言いながらも栞はスマホであちこち写真を撮っていく。
「マメだねぇ」
「やっぱビフォーアフターみたいなのあると面白いじゃないですか。それに内装考えるのにも、役立ちますし」
珈琲を出すことしか考えていなかったので、栞が居てくれると大分助かる。私としては隣に居てくれるだけで嬉しいのだけど、私なんかよりも余程気が利く性格なので、接客業にはうってつけなのかもしれない。
「昭和レトロっていうか純喫茶みたいな内装にしたいんだけどさ、新しい店舗なのに狙い過ぎかな」
「でも最近昭和レトロみたいなの流行ってますし良いんじゃないですか?ほら、私もスイーツの候補にパフェとか入れてますし、昭和な喫茶店っぽく無いですか?」
「客入りの伸びにもよるけど、食材のストックとか考えると、食事メニューはサンドウィッチとパスタとケーキって感じになるかな」
そこら辺は追々増やしていけばいいと思うけど、いつの間にか喫茶店の食事メニューの柱は栞になっていたりする。
「あ、あと思ったんですけど、週に何日かは夜はバーみたいにお酒提供するのってどうですか?カフェバーって私結構好きなんですよね」
「だったらおつまみもいるかな?乾き物だけってのも寂しいしね」
となると、提供するお酒も考えなくてはいけないけど。
アルコール類は好きだけど上等な物を飲んできた訳じゃないしあまり詳しくないのも事実だ。
「でもバーは店が軌道に乗ってからでも良いですからね。取り敢えずは、改装の準備始めちゃいましょうか」
言いながら笑いかける栞を、何となく愛おしく思いながら私も作業に取り掛かる。
事業計画書、というものがある。銀行から融資を受ける際に必須な物ではあるが、飲食業に限らず何かしらの事業を起こすなら銀行からの融資の有無を問わず作るべきものだ。
大雑把に言えば、原価や利益率、人件費や光熱費など店舗運営に関わる支出と利益の計画書であり、その予定通りの営業が出来れば計画通りの利益が保証される。
まぁ、現実でそうそう上手く計画通りにいくなんてことは滅多に無い。
私は未来のことを考えるのが苦手だった。だから、以前までの私は、最悪の事態を想定した事業計画書を作成していた。今にして思えば、もう少し期待とか希望とかあっても良いんじゃ無いかと思う位に。
昼間、栞との会話でバーの話が出たので試しにそれを織り込んで事業計画書を練り直してみると、以前作ったものとは打って変わって、なんというか、夢のある内容になっていた。
正確に作らなければならないのだから、あまり現実離れし過ぎていると、それはそれで問題なのだが。私は苦笑しつつ、改めて計算し直してみるが、地に足のついた中身で、以前までの私の計画書が悲観的すぎるものだと気付いたのだ。
「そうか……栞が、居てくれるからか」
濃霧の中に浮かび上がる輪郭の形に、希望と絶望を想像して手探りに進むものだと。歩みを止めない両の脚を、称賛しながら憎みながら進むものだと。
人生とは、未来とは、そういう物だと思っていた。
一寸先は闇。行き当たりばったり。
捉え方によっては酷く悲観的にも思えるこの考え方が、当たり前だと思っていたし、それ以外は単なる希望的観測に過ぎないとも思っていた。
しかし、どうやらそれは違うらしい。
少なくとも、私にとって栞が隣にいてくれる未来というのは、どう転がろうとも。
「——我ながら単純だなぁ」
幸福にしかならないようだ。
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