第3話 同居人と遊んだ話

 昔から姉に、ズルい、と言われることが多かった。それは半分冗談のような声色で言うが、逆に半ばは本気なのだと思う。

 私だけではなく、全国の妹や弟は大体が私のように兄や姉からずるいと思われていたに違いない。

 理由は色々あるけど、やはり上の失敗を見て育つものだから要領良く生きていける。

 主語を大きくしてみたが、やはりそうは言っても、本人の気質によるものが大きいとは思う。

 とはいえ、私は姉の生き方を見て育ってきたので、姉が親に怒られたり叱られたりしたのと同じ失敗はしなかった。

 でも、私からしたら、姉の方がズルいと思うことが多い。いつも自分より先に大人になっていってしまうし、生き方だって、失敗も多いけどその分私なんかよりずっと楽しそうに生きていた。

 私の親は特別厳しいという訳ではなかったけど、それでも普通の家庭と同じくらいに教育には熱が入っていた。

 私はそんな親の顔色を伺って、やりたくも無い宿題を自らやり、特別行きたくもない塾にだって通った。

 一方で姉は、親からすれば手のかかる子供だったのだろうけど、その分他人に対する思いやりとか、見知らぬ人に手を差し伸べるような優しさとか、なんというか、真っ当な人間らしさを手に入れていた。

 結局社会に出てから求められるのは、多分そういうところで、私は人の目を気にしながら卑屈に生きていくだけの薄暗い存在になってしまったと思っている。

 何か言葉を発する時は、あれこれ考えてしまうし、一つ行動する度に割に合わない後悔と反省を繰り返してしまう。

 そんな人間だというのに、私の心が思考のフィルターを通さずに初めて生の感情のような言葉を発した。


「——じゃあ、一緒に住もうか」


 ◇


 首の辺りが、やけに温い。

 モゾモゾと動く感覚があるが、触れていて気持ちの良い感触なので夢の中にいたはずの私は、むしろその感覚を楽しみたくて頬擦りをすると、低く唸るような声が聞こえた。

「……ん、レテ?」

 どうやら気持ちよく寝ていたレテは私の頬擦りで眠りを邪魔されたことにご立腹らしい。

 しかし怒りよりも外気の寒さの方が勝ったらしく、掛け布団の隙間から更に奥へと入り込んでいく。

 寝相でレテを巻き込むのも嫌なので仕方なく布団から出て私は起きることにした。

 スマホを見るとまだ朝六時半だ。二週間前までの私なら起きなければ遅刻してしまう時刻だが、今の私にとってはかなり早起きだ。


 さて今日は何をして過ごすかな、と。欠伸を噛み締めて洗面所へと向かうと、大して広くもない台所で藤堂さんが朝食を作っていた。

「おはようございます、和泉さん」

 レテがいることは自然に受け入れていたのに、私は昨日から藤堂さんがルームメイトになっていたのをすっかり忘れていた。

 なんという迂闊さ。藤堂さんはキチンと着替えてその上エプロンまで着用しているというのに、一方の私は高校の時の指定ジャージとパンツのみ。

 先輩として威厳とやらは、今この瞬間お亡くなりになったに違いない。

「お、おはよう。朝、早いんだね」

「いえ、初日位は流石に」

 言いながら手際良くフライ返しでトーストをひっくり返す藤堂さん。朝からフレンチトースト二枚も食べるのか、中々の健啖家っぷりだ。

 顔を洗ってから、さて私は何を食べようかなと冷蔵庫開いて考えていると、藤堂さんが不思議そうにこちらを見ていた。

「あれ?和泉さん、フレンチトースト苦手でした?」

「え?あ、もしかして私の分も?」

 そりゃそうですよ。と、藤堂さんは笑う。

 誰かと一緒に生活するなんて、暫くしてこなかったからどうもその辺りの感覚が抜け落ちていた。

 一緒に住むと言っても、ご飯は別々に用意するもんだと思っていたし、何ならタイミングによっては顔を合わせない日もあるんじゃないかと思ったいたくらいだ。


 2DKのこの部屋は、お互いの部屋はあっても共有スペースは台所とトイレと洗面所と風呂しかなくて、二人でご飯を食べるなら自然とどちらかの部屋で、ということになる。

 誰かと生活することに慣れていない私はすっかりそんな事頭から抜けていたのだけど、藤堂さんはちゃんとそこら辺まで考えの行き届く人らしい。

 昨晩は段ボールの山が出来上がっていた彼女の部屋はすっかりきれいに整頓されていた。

 その部屋の中心に、折り畳みのテーブルが鎮座していて、ご丁寧に座布団が二つ置かれていた。

「まさか、和泉さんと朝ごはんを食べてるなんて、少し前の私だったら想像できませんでした」

 卑屈な私は、いつもなら今の彼女の言葉すらネガティヴに捉えているところだが、どうやら藤堂さんに限っては私は馬鹿みたいなネガティヴ思考は働かないようだ。

 珍しく言葉の文面を明るい意味で受け取った。

「藤堂さん、料理上手なんだね。美味しいよ」

「本当ですか!?和泉さんが良ければ、ご飯は毎日私が作りましょうか?」

 褒めた私が照れるくらいに、藤堂さんは大袈裟に喜んでくれた。そんなに料理好きだったとは。

 しかし、元がつくとはいえ後輩に一方的にご飯を作って貰うのは体裁が良くないし、先輩としての威厳も危うい。

 ただでさえニートなんだから、ある程度働かなければ。

 フレンチトーストを牛乳で流し込んでから、私は一つ思いつく。

「ルールを決めようか」



 人が共同生活を営む上で必要なのは厳格なルールだ。決まり事というのは、多分人間が発明した中で神様よりも先に人間社会に溶け込んでいる習慣の一つなのかもしれない。

 あんまり覚えてないけど、そんなことを歴史の授業で習った気がする。モンテスキューだっけ?パスカルだっけ?

 まぁ、そこまで大層なことじゃない。

「食事当番とかゴミ出しとか掃除とかさ。あとはまぁ、食費のあれこれとか」

「先に住われてたのは和泉さんですから、そういうのは私が……」

 ルールを決めなければ全部藤堂さんがやってしまいそうだ、という予想はやはり当たっていた。無職なのに家事まで全てやってもらうのは流石に私の精神衛生上良くない。

「それはダメ。家賃だって折半なんだから、そういうのも分担にしないとね」

 とはいえ、朝からこんなに美味しいフレンチトーストを出されてしまうと、私なんかは少々料理を出すのが気恥ずかしくなる。

 あとで、レシピサイトでも覗いてみよう。

「で、どうする?」

 当番とは言ってもお互い無職だ。要するに日がな一日中暇な二人である。

 人間とは不思議なもので、あれだけサボりたいとか休みたいとか思っていても、やるべき事が無い状況では仕事をしたくなるものであって。

 二人で仕事の取り合いをする羽目になった。

「和泉さんは水曜日のご飯当番も取っていきましたから、次の日ぐらいは私が作ります」

「いやいや、藤堂さんはこれから就職活動で忙しいんだから、少し位は私の負担が多い方が」

 とまぁ、こんな具合だ。

 お互いがお互いに気を遣うものだから、なかなか決まらず、食後のコーヒーの時間までも長引いてしまった。


「あ、そうだ和泉さんって、ゲームとかします?」

 レテが起床してご飯をねだりに来たので当番決めを中断していると、餌皿にキャットフードを入れ終えた藤堂さんが前触れもなく訊く。

「ゲーム?一応ハードは買うけど、やるのは話題になったやつくらいかなぁ」

 現行の最新機種はあるけど、それも動物の村で暮らすゲーム一本しかない。テレビの横で埃を被ったままだ。

 まぁ、基本的にはあまりやらないなぁ。あとは、スマホで麻雀ゲームをやるくらいかな。

「そうなんですか。折角だし、勝負事で当番決めてもいいかなぁって思ったんですけど」

 藤堂さんは結構ゲーマーなのかな。視線をテレビの方に向けると、テレビ台の棚に最新ハードが二つとも鎮座していた。

 うーん、結構ゲーマーっぽいな。

「和泉さんは普段何して過ごしてるんですか?」

「普段ねえ……。ドラマ見たり、小説読んだりかなぁ」

「あ、昼休みとか本読んでましたもんね。私は趣味がゲームくらいしかないからなぁ。あ、オススメの本とか借りてもいいですか?」

「オススメかぁ。ミステリーがいい?それとも歴史とか?」

 私がメインで読むのは大体が古典SFなのだけど、流石に普段本を読まない人には勧められない。

「あ!なら歴史ものがいいです。ほら、こないだ発売したゲーム、幕末が舞台なんですよ。和泉さんもやります?協力プレイできますよ」

 言いながらソフトのパッケージを見せてくる藤堂さんが少し面白くてつい笑みが溢れる。


 なんだ、結構会話が弾むじゃないか。

 結局決まり事の話はどこへやら、その日は二人でゲームをしたり、お勧めした小説を貸したり、気になっていた映画を二人で見ているといつの間にか一日が終わっていた。

 それは、社会人になってから、初めて誰かへの忖度なしに楽しいと言える一日だったのかもしれない。


 もしあの日、一緒に住むことを提案しなかったら。

 いつもの通り、言葉が喉から出て行く前に一度逡巡してしまっていたら。

 彼女と共に暮らすという今はなかったのだろう。

 勢いに身を任せるというのも、案外良いものなのかも知れない。

 藤堂と過ごした二日目の夜は、そんなことを思いながら眠りについた。

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