Your eye is scary

Nekome

Your eye is scary

親友の橘が、殺人罪で捕まった。人を刺し、二人も殺したらしい。

ニュースで見たときは、驚いた。

手錠を掛けられ、うつろな瞳で連れられている姿は、普段から温厚で優しい橘からはとても想像できないものだった。


一か月ほど前までは俺と橘で、共通の友人の誕生日を祝っていたのに。

一か月前まで、橘は普通だった。橘に何があったのだろうか。

俺は有休をとって、橘に会いに行くことにした。


週末、車を運転しながら橘のいる拘置所へ向かった。

車のハンドルを握りながら、橘のことについて考える。


橘とは、中学の時に出会った。

 

「その本、面白いよね。誰が好き?」

 

入学初日、一人で本を読んでいるときに、橘が急に話しかけてきたのだ。


「え?あ……」


「僕、主人公好きなんだよ。かっこよくて、惚れ惚れしちゃう」


「俺は、ジョンが好きかな」


「ジョン!良いね!ジョンもかっこいい。何か、カウボーイって感じ?最後の場面とか……あ、ごめん!まだ読んでる途中なんだよね?ネタバレしちゃうとこだった」


「今読み返してるだけで、一回読んだことはあるから、大丈夫」


「ほんと!?最後とか衝撃だったよね!まさかあんなことが起こるなんて……」


 底抜けに明るい。

 当時コミュ障だった俺にとって、俺がどんなに返答に詰まっても、気にせず話続けてくれるというのは、ありがたかった。


 それから俺と橘は毎日話すようになった。本を交換し合って、感想を言い合ったりもした。

 ……今考えても、どうして橘が俺と話してくれていたのかが、全くわからない。

 俺は簡単な返答しか返せなかったから、話していてもつまらなかっただろうし、橘はイケメンだから、話し相手に困るということもなかったのに。


 中学の時、友人が一気に増えたのも、橘のおかげだ。友人が増えたおかげで俺のコミュ障もだいぶましになり、人並みに話せるようになった。

 橘が居なかったら、俺はきっと不登校にでもなっていただろう。

 

 高校生になると同時に、橘は他県へ引っ越した。

 頭の良い、レベルの高い所へ行くためだ。

 引っ越すとはいえ、連絡先は交換していたし、他県と言っても電車で数時間もかからない所だったから、疎遠にはならなかった。

 橘は、高校生になっても変わらなかった。

 誰にでも優しく、いつも人当たりの良い微笑を浮かべ、人好きしそうな声で話す。

 橘のことを八方美人だと言う奴らもいたが、橘と小一時間話しさえすれば、そんなことを抜かさなくなった。

 皆、橘のことを好いていた。

 

「橘は大学どこ行く気なんだ?」


「うーん、今どうしようか悩んでてね!海外に行っても良いんだけど、皆と会えなくなるのは寂しいし…そっちこそ、どうするの?」


「俺は……近場の所にいくつもりだよ」


「ああ、一人暮らしはしないんだ?」


「わざわざする必要も無いし……それに、あそこの大学、俺の好きな教授が居るんだ」


「良いじゃん!好きな教授が近場の大学に居るだなんて、運命的だね」


「橘は好きな教授とかいるのか?」


「いないよ。自分の興味のあることで選ぼうと思ってるんだけど、多すぎてどれを選択しようか迷っちゃうんだよね!」


「お前なら何でもできるだろうから、難しい奴を選べばいいんじゃないか?そっちの方が退屈しない」


「確かに!それ良いね、そうするよ」


 そうして橘は県内で一番頭の良い大学の、医学部に入った。

 橘は俺の理想で、憧れだった。


 だから、だからこそ、そんな橘が人殺しになっただなんて、信じられなかった。

 受付で手続きを済ませ、橘のもとへ向かう。

 

 案内されるがままに進むと、金属でできたドアがあり、開けると、橘が居た。

 

「久しぶり」


「……ああ、久しぶり」


 橘の何気ない様子に、いたって普通の状況だと錯覚しそうになる。

 俺たちを遮断するアクリル板が、それを否定しているのだが。


「ここって退屈だから!橘が来てくれて嬉しいよ」


「……本当なのか?」


 明るく話す橘の言葉を遮り、俺は今日一番聞きたかったことを問う。


「人を殺したってこと?」


「ああ」


 俺は、ニュースで逮捕されている様子を見ても、信じることが出来なかった。

 いや、信じたくなかった。だから、もしも橘が冤罪だというのなら、どれだけそれが筋の通ってない主張だとしても、信じようと思っていた。

 橘のことを、信じようと思っていた。


「本当だ。殺したよ、二人」


 頭が、真っ白になる。


「……なんで殺したんだ?」


 何とか冷静さを保ちながら、俺は橘に問う。その答えは、俺が想像していないものだった。


「イラっとしたんだ。感情的になって、殺した」


 そんなはずは、信じられない。きっと、何かやむを得ない状況だったのだと思っていたのに。

 私情で殺した?


 俺の知ってる橘は、そんな屑野郎じゃない。


「何か隠してるんだろ?誰かを庇っているんだろ?お前にとってその人がどれだけ大事だろうと、お前が犠牲になる必要はない」


 思わず前のめりになって、まくしたてる。


「なんで」


 空気が、変わった。


「なんでそう思うんだ」


 橘は酷くおびえた様子で、俺を見つめる。


「なんで、期待するんだ」


 こんなのは、知らない。これは、誰だ?

 橘は、自嘲的に笑う。

 

「君にだけ、言うよ。僕は、良い人間なんかじゃない」


 これは、誰だ


「僕は人と純な気持ちで接したことなんて無いんだ。みんなの気持ちなんて、全くわからない。楽しいと思ったことなんて、一度もないんだ」


 あんなに、笑っていたのに?


「僕を慕って告白何てことをしてくる女も、僕は売女のようにしか思えなかったし、僕を取り巻く男、もちろん君も、男娼のように見えた」


 橘から、話しかけていた。みんなそれに惹かれていたんだ。

 

「中学の時君に話しかけたのだって、陰気ですぐ友達になってくれるんじゃないかと思ったからだ。友達がいないと、母さんと父さんに嫌われて、家から追い出されると思ったんだ。大げさに言ってるんじゃない。本当に、そう思ったんだ」


「僕が一個でも失敗したら、嫌われて、嫌悪の目にさらされるのかと思っていたんだ」


 そんなわけない。そう言おうと思ったが、言えなかった。


「友情は、利害一致の関係だというじゃないか。君は、僕が明るいから、話していて楽しいから、付き合っているだろ」


「そんなことない」


 言えた。


「じゃあ、君は僕と初めて会ったときに僕が陰気で一言もしゃべらなかったとしたら、仲良くしてた?」


 否定が、できない。


「僕は、嫌われないように、明るく、面白い奴かのように振舞った。演じてたんだ。でも、それが失敗だった」


「君たちは、僕に期待するようになった。僕は明るく演じるとともに、期待に応えるということもいなきゃいけなくなったんだ。君たちの過大な期待を少しでも減らすことが出来るように、高校からは口数を減らして、活発に動きすぎないようにしたんだ。そうだろ?」


 言われてみれば、そうだ。橘は、中学生の時の方が活発で、明るかったような気がする。


「それで、大学に上がる頃にはみんなの期待も薄れて、僕は普通の一般的な人間に見えていると思っていたんだ。覚えてる?大学はどこにいくかの話をしたときのこと。あの時君は『橘ならなんでもできる』と言ったでしょ?その時、君たちからの期待は少しも薄れていないことが分かった。だから、医学部に入って、君たちの期待に応えた。医学に興味があるわけでもなかったのにね。君たちの理想を保たないと批判されると思ったんだ」


 もう、何も言えなかった。


「期待が薄れないものだと分かった時、僕は君たちのことが酷く恐ろしくなった。理解が出来ないんだ。大して何もしていなくても、評価が変わらないだなんて」


「その馬鹿みたいに心酔しきっている目が嫌悪の目に代わることが、酷く恐ろしかった。血反吐を吐く想いだった」


「だから、殺したんだ」


「人を殺せば皆僕のことを軽蔑して、僕に見向きもしなくなるだろうと思って、殺した。それは僕が最も恐れていたことだったけど、このまま恐怖に怯えて生きていくより、吹っ切れた方が、楽だと思ったんだ。もう期待の目を向けるものは誰もいない、そう思ったのに」


橘と、目が合った。自嘲的な目でなく、怯えた目。


「理解できないよ、本当に、なんでそんな馬鹿真面目に信じれるんだ。やっと、逃れれたと思ったのに……まあでも、君もやっとわかっただろ?」


囁くように言う橘は、まるで迷子の子供のようだった。


ドアが、ノックされる。


「面会終了です」


そう、言われた。


「僕は、君の目が、怖くて怖くて仕方がなかったんだよ」


「俺は……お前の事、親友だと思ってる。今も」


 橘の顔が、さらに歪んだような気がした。

 面会室から退出する。

 咄嗟に言った。絶対に言う必要は無かったし、俺が本当に思っていることなのかもわからない。


 もう、二度と会わない。

 橘は然るべき判決を受けるのだろう。


 

 あの、酷く怯え、取り乱した奴は、橘ではない。

 橘は明るく穏やかで優しい奴だと

 彼からの話を聞いてもそう思ってしまう俺は、きっと馬鹿で残酷な酷い人なのだろう。

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