春に爆ぜる

@enoz0201

春に爆ぜる

 こんな世界なんて、滅びてしまえ。

 半ば本気で、そんなことを考えた。

『──、』

 だって、俺は何も悪くない。何もしちゃいない。これほどの責め苦を受けるようなことは、何も。だというのに、外界との接触を持つだけで俺の身体は狂気に染まり、自らの武器で自らの細胞を破壊し始める。俺自身の手で、俺は拷問を受けることになる。

 これが全人類に課された宿命ならば、それも悪くはないと思えただろう。先ほど俺は罪など犯していないと主張したが、人間という種として生きていくうえで逃れられない、生物としての業の存在に関しては、流石に否定することはできない。俺だって人間だ。他の生命を殺し、食らわなければ生きていけない、どうしようもないまでのケダモノだ。その代償として自壊する運命を授けられるのなら、喜んでそれを受け入れよう。

 しかしこの病は、人類の中でも選ばれた者にしか課されない。五分の一の確率に選ばれた者のみが、理不尽にも自己との戦いを強いられるのだ。俺達が苦しんでいる間、ただ運が良かっただけの勝利者は、呑気に花なんぞを眺めに行ったりしている。俺達の苦労も知らず、この世界の美しさと素晴らしさを語る。なんと度し難い。なんと許し難い。許すことなどできない。許さない。許さない。

『──、』

 そんな風に、曖昧な世界の中で不条理を訴えていると、俺の身体がふいに異変を訴えてきた。病とぬるま湯のような熱量で鈍化した感覚が、意識すら朦朧としか保てていなかった脳髄が、少しずつ震えていく。全て一点に吸い寄せられるように、段階を踏んでいく。爆発の準備が、着々と整っていく。この、感覚は……。

「っ、」

 それが意味する事象を、これから起こるであろうことを想像して、溜まりに溜まっていた赤い憎しみが、より一層激しく湧き出てくる。さっきから断続的に聞こえてくる誰かの声も、俺を正気に戻そうと頭を叩いてくる柔らかい手の平も気にならないほどに、爆発と怒り、二つのボルテージだけが高まっていく。

「はっ、」

 ああ、くそ、ふざけるな。また俺は、あの苦しみを味わわなければいけないのか。あの行為から始まる痛みと痒みの洪水を前に、頭を抱えるしかないのか。

「はあっ、」

 もう、どうしようもない。終わりの始まりへと、全てが収束していく。寄り集まったそれらが、火をつけたように爆ぜ、

「はっっっっくしょん!」

 ──俺のくしゃみが、稲妻のように轟いた。



「うわっ、びっくりした」

 俺の意識は、その爆発で一気に眠りから覚めたようだ。目を開けると、俺は教室の中だった。俺の前で、黒い制服の少女が驚いたようにこちらを見つめている。長い黒髪を揺らして思い切りのけ反っているため頭との距離は遠いが、足の置かれている位置を見るに、こいつはさっきまで俺のすぐそばで何やら怪しく蠢いたようだ。

「さっき話しかけてたのは、貴様か」

「……ああ、うん。そうだけど。君がご飯食べ終わってうつらうつらとしてるのが可愛いなと思って見つめてたんだよ。そしたら、なんか寝言でぶつぶつねちねち世界が滅びろだのなんだの言い始めて。何か嫌な夢でも見たの?」

「己に与えられた自壊の宿命を呪っていただけだ」

 俺の深淵なる言葉の意味が捉えあぐねたのか、彼女は眉をひそめて動きを止める。しばらく時間をかけて俺の真ん前にある自分の席に戻り、机の上に乗った弁当箱を片付けた後、はっと気づいたようにこちらに振り返った。

「もしかして、花粉症に対する恨みつらみを延々言ってたってこと?」

「そうだ」

「そういうことかー」

 すると、何故か呆れたように肩をすくめる。

「全く、そういう年頃なのはわかるけど、いちいち言い方が大袈裟なんじゃないの?」

 ──こいつ。

 彼女は、幸運にも世界に選ばれなかった人間だ。日の本という花粉大国に生まれながら、五人に一人が花粉症を患っている国に生まれながら、それのもたらす苦しみに苛まれない者だ。だというのにその幸福を当然のもののように振りかざし、あまつさえ俺の不幸を大袈裟とは……許せない。

「貴様、言わせておけばペラペラと。その苦しみを知らないからそんなことが言えるのだ。政府の無暗な植林政策のせいで蔓延った花粉により、自己の防衛機能……免疫が狂い花粉に過剰反応し、結果破滅していく。春の抱える熱量と病の症状で、世界が曖昧になっていく。こんなしょうもない原因で自己の認識が危ぶまれる、その苦しみが! だから貴様ら非花粉症患者はこの季節にのこのこ桜なんて身に行け……はっくしゅん!」

「花粉症の人だって桜は見に行くでしょ。ああああ、もう、鼻水出てるからほら、鼻かんで」

「んー」

 鼻という呼吸において必要不可欠な、いわば急所をティッシュで押さえられ、仕方なく言う通りに鼻をかむ。その光景が世話好きの姉と反抗期の弟のようにでも見えたのか、クラスメイトが失笑したような気配がした。

 ……。



「花粉症がある世界なんて、滅びてしまえ」

「やっぱり大袈裟なんだよなあ」

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