第2話

 飛び降りるように建物から出て、わたしは走った。

 見えたにしても、結構な距離だったと思う。思いっきり走るとすぐに疲れたので、息を切らしながらもゆっくり駆け足ぐらいのスピードまで落とした。

 あれだけの大きさなのだから、動けばすぐにわかる、と思う。とにかく、こうなってからの初めての……


「ぶべっ!」


 慌てていたからか転んでしまった。素早く立ち上がってごめんなさいと顔を向ける。そうしてから誰もいないことを思い出して、恥ずかしくなった。

 少し立ち尽くして、すぐに元の目的に向かって駆け足で走っていく。建物を登っていたときより汗だくになってしまう。この服は今日には替えなくちゃいけないな。

 だいぶ走って、はっきりとわかるぐらい近くまで来た。やっぱり、とっても大きい。まるで、


「怪獣……?」


 そう、怪獣っぽい。どこがっていうと、主に大きさだけど。似ている動物がイマイチわからない。なんか間抜けっぽい顔してて、頼りなさそう。寝そべっているし、だらしない怪獣なのかもしれない。

 毛はなくて、うろこっぽい感じ。手足は体に比べて短い気がする。頭には耳っぽいものがあるけど、ぺたんと垂れている。

 怪獣はわたしのことには気づいていないみたいで、横になったままだ。寝てるのかな。

 足を止めて耳を澄ませると、寝息のような音が聞こえてきた。

 やっぱり、寝ているみたい。

 荒れた息が落ち着くのを待って、そろりと歩き出す。寝ているところを起こしちゃうと、怒られるもんね。

 ほんとに近くまで来て、思ったより大きいのがわかった。どれぐらいだろう。昨日わたしが寝た家よりはおっきい気がする。寝ているからよくはわからないけど。

 触れるぐらいのところまできて、どうしようと見上げる。寝ているのを起こすのは悪いけど、いろいろと話をしたい。

 いきなり、わたしのお腹がぐーっと鳴った。

 わっとお腹を押さえるけどもう遅い。顔が熱くなるのを感じながら、おそるおそる視線を目の前の怪獣に戻す。

 怪獣は動いていない。良かった、起こさずに済んだのかな。

 怪獣が起きるまでに食べ物を探しにでも行こうかな。そのうち自然に起きるかもしれないし。

 振り返ってその場を去ろうとして、怪獣の寝息が聞こえないことに気づいた。

 怪獣に向き直る。怪獣は面倒くさそうに上半身を起こして、伸びをするかのように背をそらしている。顔は伸びをしているので真上を向いていて、どんな表情をしているのかはよくわからない。

 伸びを終えた怪獣は、そのままわたしのことを見た。なんだか眠たそうな目で、わたしに顔を近づけてくる。

 わたしは怪獣の目を真っすぐに見返した。怪獣は今、わたしのことを見ている。わたしも、怪獣の目を見ている。

 怪獣はそのまま止まってしまった。何もしないし、何も言わない。眠たそうな目がなんだか困ってるように見える。やっぱり、どんくさい子なのかな。

 このままだと、どっちも何もしないままで日が暮れてしまう。


「ねえ」


 声をかけると、怪獣の耳がぴくりと動いた。聞こえているのかな。

 でも、怪獣は何も返事をしない。聞こえているのか、聞こえていても返事ができないのか。


「ねえってば、聞こえてる?」


 両手を振ってもう一度声をかけると、怪獣は少し頭を引いた。困ったように眉を寄せて少し首を傾げていて、わたしの言葉を理解しているのかはわからない。

 おーいともう一度手を振ってみる。怪獣は顔を戻して、どっかりと地面に座りなおした。少しだけ地面が揺れて、慌ててバランスをとる。

 体勢を立て直して怪獣を見てみても、怪獣は困ったような表情のままぼんやりとしている。


「お話、できないの?」


 呼びかけるというより、ほとんど独り言がわたしの口から出てくる。お話しできたらと思ったけど、残念ながらわたしの言葉がわかっているようには思えない。

 だったら、これからどうしよう。この怪獣のことは忘れて、食べ物を探しに行った方がいいんだろうか。お腹、とっても空いてるし。

 怪獣とは目があったままだ。何か言いたいようにも見えるんだけど、だったら何か言ってほしい。わたしは声かけたのに。


「もう行くよ。いい?」


 ゆっくりというと、怪獣は首を傾げたまま


「ドコ、イク?」


 普通に、そんなことをわたしに訊いた。

 わたしがびっくりして見上げていると、怪獣は首のひねりを大きくしてもう一度同じことを言った。


「ドコ、イク?」

「え、えっと、言葉わかる?」


 質問には答えずに聞き返しちゃったけど、怪獣はなんでもないようにうなずいた。


「ワカル」

「じゃあもっと早く返事してよ」


 文句を言うと、怪獣はますます眉を寄せて体を縮めるようにした。そんなことしても、大きいのはなにも変わらないのに。


「ゴメン」

「ううん、いいよ。わたしの言ってることわかるんだね」

「ワカル」

「そっか……」


 うんうんと首を縦に振って、その後が続かずにうーんとうなる。

 思わずここまで来てしまったけど、わたしはこの怪獣に何を求めていたのだろうか。

 怪獣は黙ってしまったわたしをじっと見つめている。どうしてだか、この怪獣は見つめられても怖くない。優しいっていうのもなんか違う。ただ、見ているだけ。

 それが、すごく心地いいって思ってしまった。


「ここで何していたの?」

「ネテイタ」


 それはわかってる。そうじゃないんだけど、なんかこれ以上訊いてもダメな気がしてきた。


「あなた、何か目的とかあるの?」

「モクテキ?」

「したいこと」


 わたしの答えに、怪獣は目をぱちくりとさせた。目を明後日の方向に向けて、そのままぽけーっとしている。

 この怪獣、きっとおばかさんだ。

 怪獣はわたしに視線を戻すと、何度か瞬きをして答えた。


「ワカラナイ」

「じゃあさ、どこから来たの?」

「アッチ」


 この質問にはしっかりとした答えがあった。指までさしている。怪獣が示した方向は、わたしが歩いてきた方向とあまり変わらなかった。でもわたしはこれまでこの怪獣をまったく見なかった。ずーっと寝ていたのか、たまたま気づかなかったのか。

 考えてもわからなそうなので、もういいやと首を振った。怪獣に別のことを訊いてみる。


「これからはどこに行くの?」

「……ワカラナイ」


 たぶん、考えてもいないんだろうな。それはわたしも同じなんだけど。

 怪獣がぬっと顔を近づけてきた。少しびっくりして、わたしは身を引いた。


「オナカ、スイテル?」

「え? ……うん」


 お腹はずっと空いてる。正直ちょっと忘れてたけど。また鳴ったわけじゃないよね?

 怪獣さっきとは別の方向を指さして、なんてことないようにあっさりと言った。


「アッチ、タベモノアル」

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