2.政略結婚と肖像画

2-1.アルズは兄貴分に真意を尋ねる

 アルズとシヴァはフレデリカの部屋を後にすると円塔を降り、城の反対側にある南西の円塔へ移動して階段を上る。ヴァニカラード城を覆う城壁の四隅に円形の壁塔があり、南東に王女の、南西に王子の居室がある。城郭内で最も防備の固い壁塔の上階層が、一般的に王族の居室になる。


 螺旋階段を上る二人の足音は石造りの壁面に沿って上方へと響く。普段、家に籠もって絵を描くだけで体力のないアルズは辟易としつつ首をあげ、まったく息を切らしていないシヴァの背中を睨みつける。


「おい、シヴァ……。塔と塔の間に橋を渡したらどうだ……。木製の軽い橋だ。人が一人渡れるくらいの幅で……。腕のいい職人を連れてきてやる」


「橋を造るよりお前の体を鍛える方が早いし安上がりだ。それに、ひすがら家に籠もって絵を描き続けている画家の交友範囲に大工職人は居ないだろ」


「くそっ……。国民の苦しみを理解しない王子め……。反乱を起こしてやる」


「反乱を企てた罪により貴様を階段上りの刑に処す」


「……次の絵のテーマが決まったぞ。魔王ガーブの軍門に降るフラダの王太子だ」


 アルズの言う魔王は、実在が定かではない歴史上の人物だ。現在のガストール大陸にモンスターは生息するが、それを生みだしたとされる邪悪の化身は存在しない。ただ、魔王ガーブの実在を否定すると、それを封印した勇者ラージュや聖女アルマースの存在まで否定されてしまう。そのためガストール大陸の諸国は、魔王ガーブの実在を認めている。


 アルズが勇者伝説の誤謬について舌を回す体力すら失った頃、ようやく王太子の居室に辿り着いた。


「人払いはしてある。遠慮せずに入れ」


 室内は王女の部屋よりも調度品が多く、王子が国王直属の騎士団長を務めていることもあり、華美な装飾の武具も並ぶ。騎士団長は壁に掛けられた剣を顎で示してから、画家に挑発的な笑みを向けた。


「絵筆より重い物を持ったことがない画家に稽古をつけてやろうか?」


「そんな嫌みを言うために俺を呼んだのか?」


 以前一度だけ画家は興味本位で剣を手にしたが、重くて両手でも扱いきれなかった。正面に構えるだけで両腕が痙攣してしまう始末。だが、騎士団長は片手で軽々と振り、けしてお飾りで役職に就いたわけではないと証明した。


「お前の耳に痛いことを言うために連れてきたのは確かだ」


 部屋の主は三人掛けソファの中央に両脚を投げだして腰を置く。マホガニー製ソファの脚には刀剣が、脚先には竜の頭部が繊細に掘りこまれている。竜を討伐する英雄譚で飾り立てたソファは、騎士団長が腰を据えるには相応しい家具に見える。


 貧相な肉付きのアルズはソファの前に立つと、引き締まった体のつま先をこつんと軽く蹴る。


「おい王子様。俺がお前の教育係になってやろうか? このソファの作りは南方ガルサラード王国で隆盛を極めている様式だ。現地から連れてきた職人に、輸入木材で作らせたものだろう。足を投げだして座っていいようなものじゃない。すぐに侍女が紅茶を淹れにくるぞ」


 アルズは暖炉の上にある東国の湯沸かし器サモワールを顎で示した。炭を入れて湯を沸かす道具を始め、異国の家具はフラダ王国の交易が盛んなことを意味している。


「アルズが俺の教育係? お前のは、単なる蘊蓄の語り聞かせだ。魚の獲り方も、食べられる植物の見分け方も、小便を遠くに飛ばすやり方も、お前に教えたのは全部、俺だ。あれが教育というものだ。それとな、侍女には紅茶を出さなくてもいいと言っておいた」


「おいっ。紅茶が庶民に飲めない高級品だと分かっていて、そういう嫌がらせをするのか」


 一般的に貴人の部屋にあるソファは部屋の主のみが座る。来客は立つか、チェストに腰掛ける。だがアルズは礼儀を無視して主の隣に勢いよく腰を下ろす。腕や膝がぶつかるが互いに気にしない。共に暮らしていた頃には、フレデリカを加えて一つのベッドで川の字を描いたこともあるので、今更多少ぶつけたくらいでは文句の一つもない。


「紅茶なんて、どうせフリッカの所で既に飲んできただろ。それともなんだ。水分補給して、ここから小便が何処まで飛ばせるか競いあうか?」


「王太子殿下のありがたいお言葉を国中の女にも聞かせたいな。お前は教育係を増やせ」


「……俺は教育係より義弟がほしい」


「義弟? 俺はただの平民だが、お前を兄だと思っている。今更それを不敬だと言うなよ?」


 アルズはシヴァが口を開きかけてやめるのを見た。


 怪訝に思いつつもアルズも口を閉ざしたため、不意に暫く無言の時が訪れる。


 静寂の中、時折、暖炉で薪が爆ぜる。


(城はもう薪に火をつけているのか……。うちは隙間風が酷くなってきたし、早めに備えないといけないな……)


 林檎のような甘い匂いがアルズの鼻をくすぐる。


(薪にしているのは林檎の木か? サルファとは違うな……)


 サルファとは豆に似た実をつける野草だ。日当たりの良いところであれば何処にでも群生する。十分な薪を確保できない庶民は、冬の間にサルファの実を燃料にするが、これは燃やすと腐った落ち葉のような饐えた臭いが漂う。


 アルズが越冬に考えを巡らせていると、シヴァが訥々と喋りだす。


「……肖像画のことだがな」


「そうだ。何故あんなにケチをつけた。父さんには及ばないが俺だってそれなりに……」


「ああ。上手いよ。俺の所にご機嫌取りに来る画家よりも、お前の方がよほど腕が立つ。だがな、アルズ。お前は肖像画の持つ意味をまるで分からずに描いている」


「お見合い用だろ? ペールランドの王子に送って気にいってもらうためのものだ」


「そうだ。お見合い用だ。だから、精確に描いたらいけない」


「精確に描いたらいけない?」


 確認のためにアルズは鸚鵡返しにするが、シヴァは押し黙る。


 アルズはシヴァの整った眉に縁取られた瞳を覗きこむが、やはり返事はない。

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