2-2.アルズはシヴァの問いかけに答えられない
「お見合い用なら、誇張してでも美しく表現するものだろ? 幸いにもフリッカの見目なら嘘を描く必要はない。やんちゃすぎる性格が出ないように、表情には気を遣っているが……」
「……違う」
「……ああ。そうか。実際には存在しないのに、背景の壁に世界地図を描いたり、手に舶来の扇子を持たせたりしたことか? あれは、他国との交流があるという寓意を込めるための絵画技法だ。フラダは大国ランソワやステイツェンとも交流が深い。その王女フレデリカをけして粗末に扱うなよ、という意味だ。俺は余計なことをしたのか?」
「……それは構わないんだ。俺だって絵画の寓意くらい分かる」
「なら何を気にする? どうして俺に、肖像画の意味が分かっていないなんて言うんだ?」
「それは……」
押し黙ったシヴァが考えを整理しているのを察し、アルズは暫く無言で待つ。
やがて悩める男は苦々しい顔をして頭を軽く掻きむしる。
「くっ……」
「何を言おうとしている? 俺達の間で今更何を遠慮する必要があるんだ?」
「……そうだな。人の耳がないからはっきり言おう」
シヴァは室内を見渡し、改めて人が居ないことを確認してから、声を小さくする。
「政略結婚を破談させるため、肖像画を不細工に描き直せ」
「……ん?」
「言い間違いじゃないぞ。政略結婚を破談させるために、不細工に描き直せと言った」
「どういうことだ。妹の幸せを壊したいのか?」
「本人が望まない結婚だ」
「フリッカはそんなこと――」
「お前に言うわけないだろ」
シヴァは口調を僅かに荒らげてアルズの言葉に被せた。
「何故だ」
「お前のことが好きだから」
「そんなことは分か――」
「いいや、分かっていない。フリッカは妹として兄を好いているわけじゃない。女として、アルズが好きなんだよ」
「……は? なんの冗談だ? 俺達は兄妹――」
「血は繋がっていない。……近々大きな戦争が始まる。俺は軍を率いて前線に行く。その時、お前には一団を指揮してもらう」
「おい。なんの冗談だ。話が飛躍しすぎだ」
「もちろん歴戦の将軍達に補佐させる。王子の親友が戦功をあげて爵位の二つ三つも手に入れれば、王女を降嫁させる相手として十分だ。かつての思い人と結ばれるという物語は民衆も好む。世情が不安な時代では、民達は英雄を求める」
アルズは思わず腰を浮かせる。
「待て。話についていけない。軍の指揮? 俺が? ただの画家だぞ。無理だろ。それに英雄になって国を栄えさせるのはお前だ」
「絵の納期までに残された時間は少ないが、よく考えてくれ」
「考えろと言われても答えは変わらない」
「お前自身の本心に気付いてくれ」
「俺の本心?」
「その手で、フリッカを抱きしめたいと思ったことはないか?」
「この手で?」
指と爪の間に顔料が染みこみ、洗っても取れなくなった手だ。筆の当たる箇所にタコができている。まだ亡父程ではないが、画家の手になりつつある。
「暖をとるのに便利だから、寒い夜はよくフリッカを抱いたが……」
「小さい頃の話じゃない。もし他の男がフリッカを抱いたらどう思う? フリッカが嫁ぐペールランドの王子は四十歳を過ぎているぞ」
「それは……」
ムカつくなと言おうとするが、先にシヴァが口を開く。
「腹立たしく思ったのなら、何故そう感じたのか考えてくれ」
「いや、確かに不愉快だが……」
「肖像画を依頼してから今日まで十分以上の時間があった。仕事の速いお前が何故、まだ絵を完成させていない。お前ならモデルを数回見るだけで素描を終わらせて、後は工房に籠もって一週間で描きあげるだろう」
シヴァの瞳が放つ光に真っ向から射貫かれたアルズは視線を外す。
「……フリッカがじっとしていてくれないから」
「本当にフリッカのせいか? お前が絵を完成させたくなかったんじゃないのか?」
「……瞳の色を再現するのに特別な顔料が必要になった。手持ちの材料では調合できない」
「絵を描いている間は一緒に過ごせる。絵が完成すればフリッカに会えない。だからお前は完成を遅らせている」
「……」
「いつものお前なら、画材が足りなければとっくに山だろうと海だろうと調達に出掛けている。それに、道具の少ない城に来ずに自宅の工房で作業するはずだ」
「それは……。色々と都合が」
「フリッカは王族の暮らしなんて望んでいない。あいつが願っているのは……。いや、いい。後はお前が考えることだ。絵を描き直した結果がどうなろうと、俺はお前を庇う。俺は、今では執務の多くを父に任されている。父上も俺の言葉をあまり無碍にできないはずだ。……お前の本心に従ってくれ」
「そんなこと言われても俺は……」
「……喉が渇いたな。紅茶を淹れさせよう」
シヴァは立つと、チェストの上にある鈴を鳴らした。すぐに侍女がやってくる。
侍女を呼ぶことは、兄弟同然の関係を終えて王子と画家の関係へ回帰する合図だ。いつものことだがこの時だけは、アルズは妙にシヴァを遠く感じる。第三者の前で王太子と同じソファに座り続けるわけにはいかず、アルズは立ち上がった。
侍女が淹れてくれた紅茶は、いつもより少しだけ苦かった。
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