入学式

 久しぶりに、育った中学校へと足を伸ばす。

 高校生の私は、中学の入学式へと出席することになっていた。

 もちろん、中学校からやり直すわけじゃない。芽衣と睦、ふたりが入学するから記念の写真を撮影するために顔を出しただけである。

「どうしてこうなった……」

 思い返せば先週の土曜、マユのお母さんから頼みごとをされたのが発端だ。仕事でどうしても娘達の入学式に参加できないから、私に写真を撮ってきてほしいとせがまれたのだ。マユに頼めばいいじゃないかとも思ったが、マユは光明くん――長男の高校入学の写真を撮る使命を与えられていた。射立てられた白羽の矢をへし折るわけにもいかず、私は自分も通っていた中学の門の前に立つ。

 妙齢のお母さん方が次々と校舎へ吸い込まれていくのを眺めながら、自分がすごく場違いなことに気付いてしまった。

 うむ。

「どうしてこうなった……」

 使い勝手のいい台詞を繰り返しながら、意を決して校門をくぐる。

 他の親御さんの姿が、ほとんど見えなくなってから行動している。こうすれば、高校生の私でも目立たずに入学式へ潜り込めるというわけだ。本当か? 絶対、嘘だよな。ま、いいけど。

 生徒用の通用口ではなく、来客者向けの昇降口を使った。滅多にない経験で、なんだか嬉しかったりする。ちょっと緊張しつつ、靴箱の前でスリッパに履き替えた。上履きに名前を書いていた、あの時代も懐かしい。

「受付はこちらです」

「あ、はい。お願いします」

 不審者を弾くためか、生徒の親だろうと入学案内に同封されていた証書がなければ入学式には参加できないらしい。やや不安になりつつも、受付をやっている先生へと証書を手渡す。

 私の顔を見て、絶対に親じゃないよな、と先生の手が止まった。

 そりゃそうだ。分かっていたことだから、言い訳を紡ぐために口を開く。だけど、私が喋るよりも先に、受付の先生が言葉を発した。

「湯上さんじゃないの」

「……あ。主任せんせーだ」

「どうも。元気にしてた?」

「はい。それはもうモリモリです」

 懐かしい顔に出会ったことで、喋り方も中学時代のノリだけの口調になってしまった。

 受付をやっている先生のうち、片方は私が在学していた頃に学年主任をやっていた先生だ。縁が角ばったメガネが似合う、四十代後半の女性教師だ。いや、今年で五十代になるのかな? ともかく、厳しいことで有名な先生だった。私は怒られたことがないけれど、規律正しくて仲良くしにくい人だと言う印象がある。……だというのに砕けた口調で喋ってしまうのが、当時から続く私の悪い癖である。

「湯上さん、高校はお休み?」

「えっと、色々あって。”妹”の写真を撮りに来ました」

「そう。教育者としては高校に行くよう指導すべきなんだけど」

 先生は手元の資料へと目線を落とした。

 私の母校である中学校は、少子化の影響で生徒数が減っている。私が在学していた頃と比べて格段に減っていて、クラスもひとつ減ってしまったようだ。

「子供が少なくなったなら、ひとりひとりに配慮したいものね」

 何かを諦めたように笑う先生に、私はオトナを感じた。

 中学生だった頃には分からなかった機微が、今になってみて初めて分かる。厳しいだけと感じていた先生の指導も、彼女なりの理想と現実があってのものだったのだろう。それが生徒だった私達へ十全に伝わっていたかは分からないけれど、ともかく今は、彼女が悪い人じゃないということだけは確かだった。

「日比さんは元気?」

「はい。マユの妹ちゃん達を撮りに来たんですよ」

「あら、そうなの」

 先生に軽く事情を話すと、彼女は口元に手を当てて笑った。

「面白いことしてるわねぇ。不良だわ」

「……その割に、先生も楽しそうですね」

「えぇ。だって、悪いことではないですもの」

 不良なのに? と思いつつ私は否定しなかった。

 高校を休んで、中学校の入学式に出る。

 なかなか出来ない体験だろうから、正直、胸が躍っていた。

「それじゃ、楽しんでらっしゃい」

「はーい。先生もね」

 手を振って別れた後、私は会場となっている体育館へと向かった。

 順路の案内など見なくとも、体育館までの道筋は分かっている。途中、寄り道をしていこうかとも考えたけれど、今の私は部外者だ。中学校での生活はこの学校に在籍している中学生達が楽しむべきもので、私が土足で踏み入ってはいけない。そんな気がした。

 体育館には、既に沢山の保護者が集まっていた。

 ぼーっとしているうちに、入学式が始まってしまう。当時の私は関係各位の話を聞いているうちに船を漕いでしまって、話の内容を半分も覚えていない。長々と拘束されるだけ時間の無駄なんだから、話したい内容を紙にまとめて配布してくれ、とか考えていたような気がする。今日の私は、芽衣と睦の姉妹を写真に収めると言う大役を仰せつかっているので居眠りすることはなかった。

 まぁ、見つからないんだけどね。

「……どこだろ」

 式の最中に写真を撮ってもしょうがない。

 ホームルームが終わったところをひっ捕まえて写真を撮るか、ホームルームへ移動していくふたりを捕らえて写真を撮るか。どっちにしろ、ユカちゃんは芽衣ちゃん睦ちゃんを捕まえる運命にあるのだ。ふふん。

 とか考えておかないと、眠すぎて倒れてしまいそうだった。どうして大人達は、あんなにも長々と無意味でつまんない話を語り続けられるのだろう。甚だ疑問である。私が先生になったら、あらゆる時候の挨拶を五秒で終わらせて伝説を作ってやろう。

「……お、終わった」

 入学式の閉幕とともに、体育館には弛緩した空気が流れる。

 ぞろぞろと教室から出ていく一年生達に睦と芽衣の姿を探した。ソロ勢が圧倒的な多数を占めているこの空間で、双子が連れ添って歩いているのが目立たないはずもない、とか思っていたけど全然分からない。ダメじゃん。やっぱり、人の数が多すぎるようだ。

 この後は、ホームルーム。そして、新入生にとって初めての部活見学だ。芽衣は部活にも興味がないだろうから直帰するにしても、睦は一度スイッチが入ると私では抑えきれない。ホームルームが終わり、帰る支度をしているはずの彼女たちを捕まえるよりも今この瞬間で彼女達をみつける方が楽に決まっているのだ。だから、ここで待とうと思った。

 体育館の壁際に寄って、背を預ける。

 私が目を凝らしている間に、群衆にあった人影が不意にひとつ、立ち止まる。

 魚雷のように飛び出してきた少女と、やや遅れて駆けてくる少女がいる。

 芽衣と睦。私の幼馴染、マユの双子の妹ちゃんたちだった。

「ユカち! なんでいるの?」

「入学式の写真撮るって話だったじゃん」

「あれ? そうなの? でもユカ姉も学校が……」

 言い掛けた睦も、私が学校を休んだことに気付いたようだ。だけど、それを口には出さなかった。周囲には事情を知らない大人達がいる。誰もが、私の恩師のように物分かりの良い大人ではないのだから。

「んー。どこで写真撮るの?」

「体育館の出口のとこ。ほら、立て看板あったじゃん」

「おー。いいね。そこにしよう」

 芽衣に腕を抱かれたまま私は体育館を出る。

 左手側に見えた中学の校舎を見上げる。こんな私でも、三年間通った場所には思い入れもある。感慨深いけど、今日は浸っている場合じゃないから手早く切り上げた。ひょっとしたら、いつかまた。どこかで、縁を結ぶ機会もあるだろう。

 入学式会場、と書かれた立て看板のまわりには写真を撮っている親子がいた。入学式が始まる前に撮れなかった人が、今のうちにと撮影をしているらしい。ホームルームが始まるまでにも余裕があるから、こうして時間を潰すのもアリなのだろう。

「おっ。順番が来たね」

「じゃ、ユカち。一緒に撮ろう」

「や、主役は君達なんだけど……」

 近くにいた女性に私のスマホを渡して、芽衣と睦の写真を撮ってもらった。ご機嫌に笑うふたりに挟まれて、なぜか私まで写真を撮られている。これでいいのか。いいんだろうな。ふたりの中学校生活が楽しく、眩いものでありますようにと私は願わずにはいられないのだった。

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彼女と秘蔵の抱合体 倉石ティア @KamQ

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