オマケシナリオ

節分

 今年の節分は金曜日だ。

 翌日が休みだからと、マユの家に泊りがけで遊びに来ていた。学校から自分の家を経由せず、直接にマユの家へと向かっている。荷物はマユの部屋にまとめて、着替えも済ませた私はマユの家の台所で恵方巻を作っていた。

 具材を切っていると、マユのお母さんが後ろに立って覗き込んでくる。あまり料理が得意ではない彼女は、私の手元を見ながら不安そうな顔をしていた。刃物よりも猟銃の方が安心して握れる、なんていうのは彼女くらいのものだろう。

「ありがとねぇ、優香ちゃん」

「こちらこそ、毎回すいません」

「いいのよ。娘たちをよろしくね」

 私の母親とは対照的に、常に微笑を浮かべている物腰の柔らかい人だ。娘の友達の私にも随分とよくしてくれた。いつか恩を返そうと思っているけれど、果たしてどう返したものか。膨らんでいく借金のように恩義は積み重なっていく。未来の私の妙案に期待しておこう。

 ちなみに、マユのお父さんは部屋で眠っている。このところは徹夜での仕事が続いていたらしく、休養を取っていた。晩御飯までに目が覚めるかも分からないから、彼のことは気にせず恵方巻パーティーをしてほしい、とはマユのお母さんの弁である。この人、なんでもかんでもパーティー呼ばわりするんだよな。

 酢飯を団扇であおいでいたら、マユのお母さんに話し掛けられた。

「最近、学校はどう?」

「楽しいですよ。まー、学級閉鎖もありましたけど」

「そうよねぇ。授業はちゃんと進んでるのかしら」

「それが、意外と。先生、無理やり進めていくんですよねー」

 恵方巻を作るための下拵えをしながら、マユのお母さんと世間話をする。

 私達の学校に限ったことではないが、インフルエンザなどの流行は収束の気配がない。リモートの授業もあるけれど、生徒の理解度を把握しないままに授業が進んでいくからイマイチ先生に教えてもらっているという感慨がない。教科書を読んでプリントを穴埋めして、文字列を暗記するだけのテストが社会の役に立つのだろうか。どうせ授業をするなら与太話も交えてもらって、この知識にはこんな枝葉が広がっているんですよと教えてもらう方がためになるのだけど。

 ないものねだりは終わらない。だから諦めることにした。

「あ。この前の体育の話ですけど――」

 跳び箱の上で宙返りしたら先生に怒られた話をした。マユのお母さんは聞き上手だ。口下手な私でも素直に色々な話をすることが出来る。

 あれやこれやと話をしていたら、恵方巻の準備が終わった。充分に冷ました酢飯と、適度な大きさに揃えた焼き海苔。そしてマユ達の好みに合わせた具材。私が好きだと言ったのを覚えていてくれたのか、蒸し海老も多めに用意してもらっていた。

 ぐっと背伸びをしたら、台所の扉が開く。

 マユ達が帰ってきたようだ。

「おっ、ベストタイミングじゃん」

「おかえり、マユ」

「ん。ただいま。準備ありがとね」

 こちらこそ、と言い掛けた私はマユに抱きしめられて言葉が出ない。マユの腕から脱出しようと藻掻くうちに、芽衣も背後からくっついてきた。相も変わらず甘えたがりな姉妹だ。目の前に母親がいるのにお構いなしである。日比家では平常運転だから、誰も気に留めてくれないんだけど。

 豆まきの後片づけをしていたマユ達が台所へ帰ってきたところで、晩御飯を食べることにした。と、その前に。家の外で片付けをした後なのにそのままテーブルへつこうとした四人兄弟を手洗い場へと追い返して、ちゃんと石鹸で手首まで洗ったのを見届けてから台所への入場を許可する。一番最後に手を洗った芽衣が私の右隣に場所を確保して、これでようやく晩御飯が食べられる。

 ご飯の前には手を洗う。

 とても大切なことだからね。

「よし、作ろっか」

「ユカちの分は私が作るからね」

「はいよ。任せたからね、芽衣」

 すりすりと私の腕に頬を寄せてくるマユの妹は、今日も私と一緒にいるだけでご機嫌のようだ。彼女から滲む独占欲がやや怖い時もあるけれど、可愛い妹分だった。これで私よりも背が低ければもっと可愛がってやれるのに。くっ、私はもう少し背が欲しかったぜ。

 お皿に海苔を広げ、薄めにご飯を乗せる。お好みの具材を並べて、偏りが出ないように注意しながら海苔で包んでいく。よし、うまく出来たぞ。マユ家での恵方巻は、それぞれがセルフサービスで恵方巻を作って食べるスタイルだ。でもこれ、恵方巻っていうか、手巻き寿司なんだよな。あんまりツッコまないようにしているけど。

 でもなぁ、と思う。

 直接、手で触れる食べ物だ。このご時世もあって、ちょっとだけ悪いことをしている気分になる。私の手が急に止まったのを不思議に思ったのか、マユの母親が首を傾げていた。釈明しておこう、別にたいした話じゃないんだし。

「ホントは、家族以外との食事は控えろって言われているんですよね……」

「あら、そうなの」

「大丈夫だよ、お母さん。私達、ユカちと家族だから……!」

「芽衣のその自信、どこから来るの?」

 そしてマユのお母さんも、そうだったわねー、などと娘の戯言を受け流さないで欲しい。まぁ、血は繋がっていないけれども家族並に親しい。それは嘘じゃないから、私も強く否定するのは控えておいた。

 意地でも作ろうとしないマユを除いて、三人の弟妹達の恵方巻は完成したようだ。光明君が作った恵方巻はご飯が少なめ、具が多めの贅沢使用だ。芽衣の双子の姉、睦が作ったものは平々凡々で特にコメントのしようもない。やや巻きが甘くて、子供が作ったんだなという感じはする。でも、がっしりと握りながら食べる睦なら問題もないのかもしれない。

「ユカ姉、恵方どっち?」

「んー……みっちー分かる?」

「あっち。冷蔵庫の方向」

「分かった。せんきゅー! いただきます」

 礼を言うなり、睦は冷蔵庫の方を向いてもぐもぐと恵方巻を食べ始めた。一歩遅れて、光明君も恵方巻を頬張る。マユのお母さんもいつの間に作っていたのか、子供達と一緒に口を動かしていた。よし、私もと思ったところで芽衣に袖を引かれる。

 そういえば、私の分を作るって言っていたな。

「出来た。ユカち、食べて」

「……大きさ、間違えてない? マユサイズだよ」

「ユカちゃん、それどういう意味なの」

 私を挟んで芽衣とは反対に陣取っていたマユに脇を小突かれた。

 でも、私のツッコミも受け止めて欲しい。

 芽衣が私に作ってくれた恵方巻は、随分と不格好だった。まず太い。一枚の海苔では収まらなかったから、隙間を埋めるように追加で海苔が貼ってある。ご飯がパンパンになって、追加したはずの海苔からもはみ出していた。そして具材がすごい。焼き海苔に巻かれているのは、マグロ、イカ、蒸し海老、いくら、錦糸卵、カニカマ、キュウリ、しその葉。芽衣が食べられるものを、全部ぎゅっと詰めたような恵方巻になっていた。

 芽衣は本気で、私が喜ぶと思っているようだ。

 キラキラと眩しいほどの視線を向けられた。

「どぞ。一息に」

「いや、喉詰まると思うけど」

「ユカちなら平気。強いから」

「うーん、喉は鍛えてないんだよねぇ……」

 芽衣が無茶苦茶なことを言う。

 微塵も悪意がないのは分かっているし、彼女なりに一生懸命作ったものだ。手を付けないのは私の主義に反する。期待の視線が失望や悲しみに変わるのを見たくなかったから、覚悟を決めて一口、かぶりついてみた。予想通りに、むにゅっと中身が飛び出してくる。慌てて手で受けながら、かじった分を急いで飲み込む。食べかけの恵方巻を皿へと一時退避させると、芽衣が残念そうな顔をしていた。

「ユカちが恵方巻に負けた……」

「こんなに太いのは無理だって。切り分けるからね」

「はーい。しょうがないかー」

 聞き分けが良くて助かる。

 でも今度は事前に考えてから動けるともっと助かるぞ。

 芽衣の恵方巻を切り分けて、かじりかけの部分は自分で食べる。残りを芽衣の前に差し出すと、彼女は嬉しそうに笑った。今度こそ私も自分のを、と思ったら背中を突かれる。マユの仕業だった。睦や光明君は既に一本目を食べ終え、二本目を作り始めているというのに。

 我が幼馴染は、甘えるように唇を尖らせる。

 この前の試合以来、マユの甘えん坊が加速していた。

「ユカちゃん、私の分は?」

「自分で作りなよ、マユ」

「えー。ヤだ。ユカちゃんが作ったの食べたい」

「……しょーがないなぁ」

 そして、私は彼女をどこまでも甘やかしてしまうのだった。

 自分のために作っておいた恵方巻をマユへと横流しする。私から恵方巻を受け取ったマユは、それを眼前に掲げて小さく笑った。

「ユカちゃん。これ、細くない?」

「そんなことないでしょ」

「なんかちっちゃいし。短いよねー」

「……海苔、切れ端のとこ使ったから」

「うわー。私に余り物を押し付けたんだー」

「文句言うなら返してよ。マユは意地悪だな」

 にしし、と幼馴染が笑う。

 そして、私があげた恵方巻を一息に食べてしまった。頬を大きく膨らませて、なんだか幸せそうだった。マユが喜んでいると、私も嬉しい。だから私は、彼女を甘やかしてしまうのかもしれないなと思う。つんつんと肩を突かれて振り返ると、口をもぐもぐと動かす芽衣が新たな恵方巻を用意してくれていた。今度はちゃんと、頬張れる程度のサイズにしてある。

「ん。ユカち、あーんして」

「やだよ、恥ずかしい」

「それじゃ無理やり押し込むしかない……!」

「分かったからやめて。芽衣、ストップ」

 可愛い妹分に恵方巻を食べさせてもらった。

 日比家で過ごす時間はとても楽しくて、この家の子になってもいいなと思えるほど居心地が良い。だからこそ、マユと芽衣の気持ちに正面から向き合おう。二人とも大切な人だし、どちらかを選べと言われても困るけれど。どうか幸せが、少しでも長く続きますようにと私は願い事を重ねるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る