告白
マユの部屋にいた。
マユと私はパジャマ姿で、のんびりお菓子を食べている。彼女の膝に座って、グミを口に運んでもらっていた。これが勝者の特権だ、とマユに全体重を預ける。仕方ないなぁ、と幼馴染はやや困った顔で私を甘やかしてくれていた。うん。勝った後はやっぱり、私を全身で抱きかかえてくれる相手が必要だ。それが家族じゃなくて、幼馴染でも良いと気付くまでに時間は掛かったけど。
道場では語れなかったことを、この場で語りつくしてもらおう。
「んじゃ話して」
「えー。もう試合の負債は払い終えましたけどー」
「あの告白じゃ不十分です」
ぺちぺちとマユの太腿を叩く。
マユは不満げに唇を尖らせた。彼女の膝の上、至近距離から見つめればその表情がよく分かる。幼馴染の瞳を見据えて、お願い、と再度促した。マユがむぅ、と眉間にシワを寄せて考え込む。
マユが黙っている間、私は彼女の部屋をぐるりと見渡した。特に変わり映えした点はない。机に置かれた写真立てに、先日の試合後にとった集合写真が飾られている程度だろう。見慣れてしまった幼馴染の部屋で足をパタパタしてみる。やっぱり、何も変わっていないようだ。
「ユカちゃんは、何が聞きたいの?」
「マユがカラテを選ばなかった理由」
「……やっぱりそれか」
「話せなくても話してね、マユ」
のらりくらりと日々を過ごしてもいい。でも、いつか側にいる理由がなくなって、不意に虚しくなって離れ離れになる日が来るかもしれない。それは嫌だった。もっと喧嘩してみたいけど、私とマユほどの仲良しだと試合をするのが限界だ。拳で語り合っても、それが流血沙汰になるのはあり得ない。その程度には温くて、居心地の良い関係だ。今もマユは私の額に手を当てて、ずっと撫でてくれている。
普段と変わらない調子で、彼女は語り出す。
どうして彼女が柔道を選んだのか、その理由を。
「私は、ユカちゃんに憧れていたんだよ」
「……そうなの?」
「うん。ユカちゃんは友達多かったし。勉強もスポーツも得意だし」
「そうかなぁ」
「そうだよ。私にはヒーローだったもん」
記憶補正で随分と持ち上げられてしまった。
今は勉強もテキトーだし、スポーツも他人に自慢できるほど得意じゃない。身体を動かすのは好きだけど、恐らく今の実力で、何でもアリの古武術の大会へ出たところで微妙な成績しか残せないだろう。それこそ、市大会のベスト8です! なんて言ったところで誰が褒めてくれると言うのか。でも、マユが褒めてくれたのは素直に嬉しい。私の努力が認められた気がして。
マユが私に憧れたのは小学生あるあるの延長だ。やや引っ込み思案だったマユは、友達が欲しかった。そして、他人の機微に無頓着ゆえの自由な気風をしていた私に憧れたのだろう。私が彼女を道場に連れて行ったのも、ただ身近にいた幼馴染だという理由に他ならないのに。マユは、私の幼馴染でいることに意味を見出してくれていた。
マユが私の頭を撫でる手を止めた。
ぽつぽつと語り始める。
「私、ユカちゃんに嫌われたくなかったんだ」
「どうしてカラテでマユを嫌いになるのさ」
「だって私、スポーツ苦手だったから」
「……そうだっけ? あれ、記憶にないけど」
心当たりがないので素直に聞く。
返答はなく、マユに頬を突かれた。ぷにぷに、ぷにぷに、と私が止めるまで続く。抗議の視線を向けるとマユは苦笑を浮かべた。悩みの種は十人十色だ。コンプレックスは星の数ほど多くて、ほとんどは日陰に隠したまま誰もが墓場まで持っていく。その代わりに、共有して痛みを慰めてくれる相手を見つけられたのなら、悩みは自我を肯定する骨子にも姿を変えるのだ。
マユが私の頭をぽんと叩いた。
「スポーツは苦手も苦手。ユカちゃん、私に興味ないねー」
「いや、マユは普通に運動出来たじゃん」
「そんなことないよ。ユカちゃんと比べて、いつも落ち込んでたのに」
それは知らんかった、とは口が裂けても言わない。
幼馴染のプライドを守り、私の顎をくすぐってくるマユの指先が喉を潰してくるのを防ぐためにも必須の対応だ。まぁ、小学生の頃の私はそれなりの優等生だった。頑張れば成績が良くなるし、運動もある程度は出来たし、それで両親に褒めて貰えると思っていたからな。だから同級生達よりも少しだけ良い子ちゃんだった自覚はある。
古武術の世界にのめり込むほど、大会の成績が良くなるほどに学校の成績は平々凡々なものに落ち着いてしまったけれど、特に後悔もしていない。高校生になってからは、更にのんびりとした日々を過ごしていたわけだし。
その裏で、マユがそこまで私に執着していたなんて知らなかった。うん。ちょっと嬉しいかも。歪んだ愛情との自覚はあるけれど、やはり私の幼馴染は私だけのものであってほしい。そんな気持ちがあることを否定できない。
「カラテをやると、またユカちゃんと比べちゃうから。負けて落ち込むの、もう嫌だったもん」
「私よりも優れているものを見つけたかったのね」
「そういうこと。ユカちゃんは天才だから」
手放しに褒められて、ちょっと怖いくらいだ。
マユが私に抱いている感情は恋ではない、と思う。友情と呼ぶには熱烈すぎるけど、恋愛と呼べるほどのものではない。そもそもマユが誰かに惚れたところを見たことがないし、これから先も無いだろう。多分。そうであってくれ。
彼女は私と一緒にいるだけで満足している。私以外の誰かと友達になることはあっても、私の代わりになる誰かを見つけることはないのだ。それが間違いのない事実だと聞かされて、ただ嬉しかった。
マユの手が私の唇に触れる。
少し、くすぐったかった。
「ユカちゃんは、私が弱くてもいいの?」
「弱いも何も、マユは強いじゃん」
「…………そうかなぁ」
「強いよ。武術も。人間的にも」
私は、背中にいる幼馴染の顔へと手を伸ばした。
彼女の髪を掻き分けて、そっと耳に触れる。ぶるっと彼女の身体が震えた。そのまま首筋へ指を這わせて、肩を撫でる。腕を伝って掌を重ねると、指を絡めて握り返された。マユの体温を感じながら、私は言葉を紡ぐ。彼女への想いを口にする。
「私だって、ずっとマユが羨ましかったよ」
私もマユが好きだった。
恋人とか、そんなんじゃない。
それよりも、もっとずっと、深く。
「私が持ってないものを持っているマユに、憧れていたんだ」
それは家庭環境の話かもしれない。私が両親とのコミュニケーションを上手く取れない間に、マユは両親のみならず、私にはいない弟妹達との絆を育んでいた。様々なものに無頓着だった私が家族との距離感を掴めない間、マユは優しい温もりに包まれていた。それが、どこまでも羨ましかった。
でも、それだけじゃない。私がマユを羨ましく思ったのは、きっと彼女が私とは違う強さを持っていたからだ。私とマユでは性格が違う。好きなものも違う。趣味も違う。考え方も違う。得意不得意も、長所も短所も違う。何もかもが違うからこそ、私は彼女に憧れていたのだろう。
マユも私に憧れていた。
それだけの話が、やけに嬉しく思える。
「私達、共依存だねぇ」
マユがぽつりと言った。
返事をする代わりに、私はマユの膝の上で向きを変えた。彼女と向き合い、抱き合う格好だ。マユが私の背に手を回して、ぎゅぅと強く抱きしめてくる。痛いけど我慢した。
それが愛情の発露なら、私は無言で受け入れよう。
マユが私の頭を撫でた。さらさらと髪の隙間に指を通していく。心地よいリズムに、私の意識がふわふわし始めた。マユが私を優しく見つめている。
鳶色の瞳が、どこか懐かしい色をしている気がする。この感覚は何だろうか? 思い出せない。でも、悪くない。むしろ心地良いくらいだ。正面から互いの身を抱きしめる。彼女の抱擁は心地良くて、天国にいるみたいだった。実際、これほど心身がリラックスするのも滅多にない経験だ。マユと二人きりだからか、それとも私達が幼馴染だからなのか。
ぼーっとしていたら、マユが何かを問いかけてきた。
半開きの眼で彼女を見つめ返す。
マユが私の頬をぷにっと突いた。そのまま、むにーっと引っ張られる。私のほっぺに、そこまでの魅力があるのだろうか。幼馴染にとって私の頬は随分と執着のしがいがあるらしく、ご機嫌な彼女が頬摺りをしてくるのも止められない。あぁ、そういえば。私は彼女に言いたいことがあったのだ。気合と根性で眠気を振り払って、口を開く。
マユの手を取り、私は言った。
「私達はふたりで一人だよ。共依存でもいい。魂を縫合するように、心から抱き合っていたい。恋人じゃないけど、家族とも違うけど、それよりもずっと深く繋がっていたいの。だって、私はマユのことが好きだから」
言いたいことを言えてスッキリした。
ぽすん、と幼馴染の胸に落ちてウトウトと眠気に誘われる。
マユが目を丸くして、それから破顔した。
その表情が可愛くて、満足しながら瞳を閉じる。マユがそっと、私の耳元に唇を寄せてきた。緊張しているのか、少し息が乱れている。震えは私を抱きしめる腕からも伝わってきて、私だけが聞く彼女の台詞は、確かに愛を告げていた。道場での告白よりもずっと真に迫る声色が、私の魂まで蕩けさせる。
「私も、ユカちゃんのことが好き」
その言葉が、やけに心に染みた。
幼馴染として、親友としての好意ではなく。
きっと私と同じ意味で、マユは私を好いている。
今はそれで充分だ。
私達の関係性が歪んでいることは理解している。
だから、今だけは。
もう少しだけ、このままで――。
友達でもなく、恋人でもなく。
ただの幼馴染の一線を踏み越えた私達は、少しだけ大人になった。
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