仕合
道場の扉を開けると、そこには見慣れた幼馴染の姿があった。
マユは私を見るなり、口角を釣り上げて不敵に笑った。互いに会釈をして道場の奥へと進む。道着姿のマユは格好良かった。観客席から眺めるより、ずっと胸が躍る。道場の反対側にそれぞれ居を構えて準備運動を始めた。マユの側にはソラがいて、楽し気に談笑をしている。マユの弟妹、睦と光明くんも向こう側にいた。どうやら私とマユの試合を観戦するつもりのようだ。
なんだか、ちょっとだけ緊張する。
「すぅー。はぁー」
深呼吸をする。
久しぶりの"試合"は、とても楽しみだった。
「ユカち」
声に従って顔を向けると、芽衣がふんすと鼻を鳴らしていた。マユの妹で、睦とは双子の女の子だ。彼女は姉ではなく、私を応援してくれるようだ。
「頑張ってね」
芽衣は私の手を掴んで念を送り込んでくる。身長は私と同じ位なのに、その手は私よりも細く感じた。信頼と憧憬を全力で私に向ける彼女は、とても健気でいい子ちゃんだ。この子は本当に私のことが大好きらしい。私と仲良くしてくれてありがとう、と彼女の額を撫でる。めちゃくちゃ懐いた犬みたいに、芽衣は喜んでいた。存在しないはずのしっぽを振っている様すら幻視できる。
ぎゅっと私に抱き着いてきた芽衣は、目を輝かせた。ユカち、とその薄い唇が私の名前を呼んだ。
「お姉ちゃんを、ボッコボコにしてね!」
「やけに物騒な言い方だね、芽衣」
「うん。昨日も喧嘩したので」
「私怨じゃん。支援できそうにないなぁ……」
芽衣に手伝ってもらってストレッチをする。試合で怪我をするのはよろしくないから、そのための準備運動だ。芽衣に色々と話を聞いていたら、どうやら本当にマユと揉めたらしい。私と試合できるのが羨ましくて口論になってしまったようだった。
とても可愛らしい理由だが、姉妹仲が私のせいで険悪なものになってしまっては目覚めが悪い。ここはマユの顔を立てておこう。
直前に善行を積むことで、少しでも勝利の可能性を上げるのだ。
「芽衣。今度、試合してあげるからさ。マユと仲直りしなよ」
「お。ユカちがデレるの、珍しい」
「だって私、強い子が好きだから」
わしわしと芽衣の頭を撫でる。ホントに嬉しそうな顔をするから、つい甘やかしてしまいがちだ。こういうの、良くないんだろうなぁと思う。芽衣が私に懐いてしまうのも道理な話だった。
芽衣は私よりも才能があった。世代が違うから嫉妬もそれほどではないけれど、彼女がもし私と同い年だったなら、ここまで仲良くなっていないだろう。そんな確信めいた予感があった。ストレッチも終わりかけた頃、芽衣が私のお腹周りに視線を落とした。むっ、そんなに体型は変わっていないはずだけど、と思いつつ腰を締めていた帯に手を掛ける。
手に触れた刺繍の感触が心地よかった。
「ねぇ、ゆかち。その刺繍は……?」
「可愛いでしょ。お母さんが縫ってくれたの」
「ユカちのお母さん、すごいね」
「でしょ。可愛くない?」
どうだ、と帯を振って芽衣に自慢する。
彼女は屈んで帯の刺繍に目を凝らす。
「ユカちが、オシャレに目覚めちゃった……」
まるで普段の私が御洒落に微塵も気を遣っていないような物言いだ。失礼なやつめ、と芽衣にデコピンをお見舞いしてやった。痛がりながらも、なぜか芽衣は楽しそうだ。
もう一度、帯の刺繍に触れる。正月に少し喋ってから、私は少しだけ両親と会話をするようになった。まだ普通の家族ほどに弾んだ話は出来ないけれど、なんとか顔を合わせれば挨拶をする程度の仲にはなっている。すれ違っても床ばかりを見ていたユカちゃんにとっては、相当な進歩と言えるだろう。武術の稽古を再開して、幼馴染と試合をすることを説明したら、母が道着にちょっとしたお洒落を施してくれた。
帯に縫われているのは、クマ吉の顔である。道着の胸元にも、愛嬌のあるクマ吉の顔が縫い付けられていた。我が母親がこれほど器用だとは、この十数年知らずに生きていた。仲良くなってみるもんだな、と高校生にして初めて親に感謝する。初めてか? 初めてかも。だって、あんまり家族との思い出ってないし。
準備運動、おしまい。
「いってらっしゃい、ユカち」
「うん。勝ってくるね、芽衣」
手を振って可愛い妹分と別れる。
私がゆっくりと道場の中央へ向かって進むと、自由稽古していた人達が場所を譲ってくれた。マユも、私の対面に歩み出てくる。私はマユともっと仲良くなりたい。だから、この試合に勝とう。とっておきの、あの技で。
マユが私の瞳を見据えて口を開いた。
「ユカちゃん。約束は覚えている?」
「負けた方が告白するんだよね」
「……まぁ、そういうこと」
「告白の内容は恋愛限定? 隠し事でもいいの?」
「それはユカちゃんにお任せします」
「はっはー。告白するのはマユの方だぜ」
パチン、とウィンクを飛ばす。
マユは投げキッスを返してくれた。
気合十分、準備万端。私とマユの試合の審判を務めてくれるのは奈乃師匠だ。彼女は私達の様子を眺めて、静かに微笑んでいる。引き受ける前は散々に愚痴を零していたのに、その表情はどこか嬉しそうだった。私達の勝負を止めようとしないのは、何かを期待しているからだろうか。
審判旗をくるくると回して、師匠が私達に向き直った。師匠が旗を構えると私達も身構えた。泰然自若、試合直前とは思えないほどマユは自然体だった。彼女の手がゆらりと宙を漂う。空を掴んだ彼女の指がポキポキと小気味の良い音を鳴らした。
私は両手を前に差し出し、軽く握る。
祈るように、拝むように。
「はじめっ!」
師匠が旗を振ると同時に、私は構えを解く。
だらりと腕を降ろして、沈む身体の反動を利用して蹴りを放った。体格差のある相手にこそ電光石火を狙うべき、との金言に従ってみる。マユの下顎を狙った我ながら綺麗な蹴りは、彼女の腕に阻まれる。掴まれそうになった私は軸足の力を抜き、マユの腕が空を掴む。自由落下の最中、繰り出した蹴りがマユの鳩尾を正確に捉える。膝を折りかけたマユがまだ倒れないのを察知して、バク転しながら距離を取った。観覧していた同門の武人たちから、拍手と笑い声が巻き上がる。正試合じゃ到底繰り出さない体術を披露したことに対して、称賛と呆然があるようだ。
身体を起こした私は、再び腕を前に構えた。
「流石にダメか。いい一撃だったのに」
マユは不敵な笑みを浮かべたまま答えない。お腹に少し手を当てたところを見るに、私の蹴りはちゃんと効いているようだ。
お喋りする余裕が油断になると考えているのか、それとも大会規定じゃ余計なお喋りが指導の対象になるからか。真面目ちゃんなマユに向かって、私は両手で投げキッスを飛ばす。私にとっての武術は自己表現だ。私という存在を十全にアピールするための、唯一無二の表現方法なのだ。
重心を落として踏み込む。
対応したマユに合わせ左足を後ろに引いて、右足を軸に円を描く。
遠心力を乗せて、左の裏拳を叩き込んだ。
「っ」
マユが微かな声を上げて、私の技を真正面から受け止める。そして彼女が右手で私の襟元を掴むと投げ技の攻防が始まった。当然のことながら私に柔道の才覚はない。古武術を教わる過程で培った知識はあれど、マユほど実戦経験は多くないのだ。それでも、私は負けたくない。
勝って、マユにすべてを晒してもらうのだ。
襟を掴んだマユの拳が、私の顎を打った。柔道の試合で、先生達の見ている前でやったら怒られるだろう。マユも分かっていて、一瞬だけ表情を暗くした。でも私の頬は微笑みで緩んでしまう。多種多様な裏技があり、それを駆使して勝利を掴むのだ。外道に堕ちることもなく、正々堂々と勝負できるなんて最高じゃないか。その証左に、彼女は私の頸を絞めることはなかった。これが命懸けの殺し合いならあるいは、でも違う。私達は、武術の試合のただなかにいる。
思わぬ打撃に、やや体勢が崩れる。
マユが私を投げようとした。
ぐっと腕に力が入って、私の身体が浮き上がる。肩から私の懐に入って、密着したマユが私を綺麗に投げ飛ばした。背中から地面に堕ちながらも、私はマユを投げ返した。受け身を取って起き上がったマユが笑う。体勢を整える間、彼女の視線は私の隙を伺っていた。楽しそうだ。真剣に向き合ってきた柔道とこの試合では勝手が違うということを、ようやく理解してくれたらしい。
「柔道なら、ユカちゃんの負けだよ」
「顎打ちも反則じゃないの?」
むっ、とマユが唇を尖らせる。
「これは武術家の試合です」
「それも異種格闘技だしね」
マユは少し考えて、 分かったよ、と答えた。
彼女が構えると、周囲の空気が歪む気がした。ずるりと音を立てて、平穏のヴェールが剥ぎ取られるのだ。悍ましくも美しい気迫だ。
「いいね、マユ」
「でしょ、ユカちゃん」
私がマユに抱く感情は複雑だ。嫉妬もあるし、憧れもあるし、友情だってある。マユと一緒に過ごした時間は、他の誰よりも長いと思う。だから私は彼女のことをよく知っているつもりだった。それでも彼女は私に何かを隠している。
私が、彼女への憧れを隠していたように。
「じゃ、再開しようか」
「うん」
マユの首肯に、私は正拳突きを持って返した。
無言の応酬が続く。ソラや芽衣、その他の観客が声援を飛ばしてくれているのが遠くに聞こえる。誰がどちらを応援しているのかを聞き取れないほど、私はマユに神経を注いでいた。
マユの掌底が私の上体にめりこむ。私の方が手数は多くても、浅い打撃ばかり重ねていた。対してマユは掴めば勝ちとの確信があるからか、打撃に対してかなりの余裕を持っているようだ。体格差も覆しがたい。打撃練習をするはずもないのに、その型だけは十年選手のものだった。
というか。
「それ私の技なんだけど」
「いいじゃん。ユカちゃんのケチ」
マユが正確に私の技をコピーしてくる。
戦いの中で成長していくとか、主人公っぽくて格好いいな。でも、私の必殺技を前にしても平静を保てるだろうか。古武術の試合でも使わなかったとっておきを、マユにだけは晒してあげよう。私がこの技を使えると知っているのは、奈乃師匠だけだ。
数度の攻防の末、体力に優れるマユが私の攻撃を退けて間合いに踏み込む。
マユの指先が私の襟に触れた。
流れるように美しく、彼女が背負い投げるために動く。それがマユの必殺技だと骨身にしみて理解している。伊達に、彼女の幼馴染兼ファンをやってきたわけじゃないのだ。
マユが技を出すより早く、私がマユの襟を掴んでいた。釣手、引手、脚の向きや懐へ潜り込むタイミング。そのすべてがマユのものだった。彼女が私の打撃を見様見真似で繰り出すのなら、私だってマユの必殺技を完コピしてみせる。彼女が柔道を始めてからずっと、格好いいなと思って練習していた技だった。
マユが目を丸くする。
幼馴染の身体が浮いた。
「行くよ、マユ」
憧憬と羨望を一心に込めて、そこに隠し味の愛を加える。
私が、マユを投げた。
綺麗な放物線を描いて、マユが背中から地面に落ちる。ただ投げるだけでは勝利じゃない。しっかりと固め技も決めてマユが暴れても拘束が解けないようにした。ぐっとマユが下半身に渾身の力を込め、起き上がろうと藻掻く。抵抗虚しく、マユの腕は空を切るばかりだ。
私が正試合で投げ技を披露したことはない。奈乃師匠との個人練習で、こっそりと稽古していたから私が背負い投げを使えると知る人もいない。道場はざわめいて、芽衣が一際に大きな歓声を上げているのが聞こえた。あとで、これはカラテの試合じゃ使えないのよ、と説明しておこう。
旗をくるくると回して、師匠が歩み寄ってくる。
そう言えばこの人、審判だったな。
「そこまで、と言いたいけれど」
まだやる? と師匠が首を傾げた。
一本勝ちが存在しない試合だ。マユに継戦の意志があり、まだ戦えるならば師匠もそれは止めはしない。ただし、今回は既に勝敗が決していると判断しての声掛けだろう。私の腕に抱かれていたマユの身体から力が抜ける。ぷふーっ、と肺の空気をすべて抜くような溜め息が漏れた。
「参りました。降参です」
「ん。じゃ、ゆっちーの勝ち」
ぴらぴらと師匠が旗を振る。
なんだか最後は締まらないけど、勝てて良かった、と私も身体から力を抜く。同時に、マユが私を押し倒すように抱き着いてきた。道場にいた門徒のみんなから、温かい拍手もしてもらえた。
マユは床に転がったまま、地団駄を踏んでいる。
「みゃぁー! 悔しい! なんでユカちゃんが背負い投げできるの」
「ふふっ。すごいだろ」
「どこかで柔道習ってたっけ?」
「へへっ。秘密だよ」
私の技はマユの模倣に過ぎない。
強い憧憬が実を結んだだけの、紛い物だ。
でも。少し考えて、師匠がいるから、と答えた。
「それよりも告白をしてもらおうか、マユ」
「えー。こんな衆人環視で? しょーがないなぁ」
へらへらと笑ったマユが、試合中とは別の緊張を滲ませる。
「ユカちゃん、好きだよ」
周囲を取り巻いていた人達から、今日一番の感嘆と拍手が巻き起こる。私はどう答えるか迷い、そして掌を彼女に向ける。その額に指を立てて言った。
「知っているよ、そんなこと」
後でまた、話をしよう。今の私達なら、何も隠すことなく喋れるだろう。手を繋いで、試合を見守ってくれた観客に向けて頭を下げる。はやく家に帰って、話の続きがしたいなと思った。
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