手に兆す戦
果たし状を書いた。
人生初の挑戦である。
「ゆっちー、ホントにやる気?」
奈乃師匠が怪しげなものを見るように、遠巻きから私へ声を掛ける。私へと向けられた視線は、まるで不審者を眺めるようなものだった。
「やりますよ。当然です」
「うーむ。意志も固いな」
「分かってて許可をくれたのでは?」
「私は場所を貸すだけ。危険だと判断したら実力行使で止めるから。いいかい、ゆっちー。そこは覚悟しておくように」
師匠に念を押されて、私は何度も首を縦に振る。分かってますよと言葉にするのは簡単だけど、それを信じてもらうのは難しいものだった。
放課後、私は道場へと顔を出していた。稽古の日と言うのもあるけれど、今日は別個の用事もある。マユとの他流試合に、道場を使わせてもらいたかったのだ。学校の武道場を私用で使うには色々と問題があるし、路上で喧嘩をするほど私達は無謀でもヤンチャでもない。ついでに立会人をお願いしたら、師匠は渋々ながら承諾してくれた。決闘ではなく試合だ、と熱弁したのが功を奏したのだろうか。その割に、まだ不承不承といった雰囲気が抜けていないけど。
むむむ、と唸った師匠が私の額に手を当てる。
風邪などひいていないのだが。
もちろん、平熱である。
「ゆっちー、お姉ちゃんに変なこと吹き込まれた?」
「いいえ。特に何も」
「人生相談にかこつけて高い教材売りつけられたりは?」
「してませんよー」
師匠は実姉を何だと思っているのだろう。
「そういえば、師匠は寝てましたね、あの日」
「うん。起きたらゆっちー帰ってたし、お姉ちゃんは占い師を廃業してたし」
「あ、そんなに早く諦めたんですね……」
奈乃師匠のお姉さんこと、舞玄師範。
彼女はノリと雰囲気だけで生きているからな。
占い師はサービス業である。人生相談をメインに据えて明日を占う仕事は、舞玄師範には合わなかったようだ。他人を炊きつけておいて自分は仕事を放棄するなど、かなりの自由人である。それでも社会人カラテで好成績を残し続けている第一線の武人だというのだから驚きだ。
私も奈乃師匠ではなく、舞玄師範から色々なものを教わっていたら自由に生きていられたのだろうか。少し考えて、ないなと首を横に振る。私は愛されたくて武術に手を伸ばした。愛と憧れで武術を続けてきた奈乃師匠に教わった今の私が、一番私らしい武術を披露できるだろう。
果たし状に誤字がないかを確かめていたら、師匠が横に座ってきた。その視線は、果たし状ではなく私に向いている。やや照れてしまい、恥ずかしい気分になった。
「相手は幼馴染なんだっけ」
「はい。あ、昔は道場にいましたよ」
「ふーん。覚えてないや。強いの?」
「柔道だけは。カラテは弱いですけど」
そこが、試合のミソになる。ただの喧嘩なら体格差で私がボコボコにされそうだけど、そこに武術が絡めば話が変わるのだ。
老若男女問わず、自己を表現する一種の究極系が武術だ。小説家が文章に魂を込めるように、漫画家が絵に命を注ぐように、武術家も技に愛を込める。相手と出会えたこれまでのすべてに感謝して、一期一会の邂逅の果てに勝敗が揺蕩っている。私のすべてをマユにぶつけ、マユのすべてを私の前に晒してもらうには、試合をするのが一番手っ取り早いと思う。
果たし状を丁寧に畳む私を横目に、師匠が頬杖をつく。小柄な師匠が一層小さくなった気がした。どうか来年の今頃には、師匠よりミリ単位でもいいから背が高くなっていたいものだ。
奈乃師匠が小声でぼやく。
「幼馴染と決闘ねぇ……」
「決闘じゃないです。試合です」
「似たようなもんでしょ」
「むぅ。手厳しい」
「……後悔すんなよ、ゆっちー」
何かを懐かしむように、師匠が私の肩を叩いた。
幼馴染と試合をするのが、そんなに変だろうか。いや、確かにちょっと字面はアレかもしれないけど、中身は至極真っ当な青春ごっこだぞ。果たし状だって、どこに出しても恥ずかしくない内容だ。それに、私はこの手紙に嘘偽りは書かなかった。全て真実で、本心からの気持ちである。私はマユと真剣に向き合わなければならないのだ。
しかし、いざ文面に起こすと恥ずかしさが込み上げてくる。内容は既にマユに伝えてあるし、この果たし状は雰囲気を出すためだけの小道具だけど。でも、私とマユとを確かに繋いでくれるものなのだ。
「うあー。緊張してきた」
「なんかラヴレターみたいだね、ゆっちーのそれ」
「師匠も書いたことあります?」
「ラヴレターの方はね。果たし状はないけど」
師匠が歯をみせて笑う。
随分と楽しそうだ。性格の悪い人である。
今更怖気づくな。頑張れ私。マユともっと仲良くなるため、ひいてはマユともっと一緒にいる時間を増やすためにも必要なことだ。ここで躊躇うわけにはいかない。私は震えそうになる指先を抑えながら、マユ宛の果たし状に封をした。奈乃師匠は私の様子を見届けると、満足げに微笑んで道場を後にした。これから用事があるらしく、今日はもう来ないそうだ。
誰が監督役になるのだろうと道場を見渡したら、鹿野さんが入れ違いに入ってくるところだった。奈乃師匠の彼女さんである。師匠の用事が、鹿野さんとのデートじゃないことに吃驚した。
鹿野さんは私が手にする封筒に目を丸くした。
「ん? 何それ」
「果たし状です。友達と試合するので」
「そうか。怪我はするなよ」
何を察したのか、鹿野さんはオトナな対応をしてくれた。
「友達と喧嘩したのか?」
「いいえ。ただ、本気でやりあってみたいんです」
私だって、マユと本気で戦ってみたい。その境地に至るまでに脱ぎ捨てなければいけない感情があまりにも多かった。友達、幼馴染、その他諸々。そして空手家と柔道家が本気で他流試合をするなら、それはルール無し、問答無用の真剣勝負である必要があった。正確には、ちゃんとルールはある。眼球や急所を狙うのは禁止だとか、関節を必要以上に攻撃しないとか。でも、それ以外は自由に戦ってみたい。
「きっと、楽しいですよ」
友達としての一線を越えない私達が、武芸者として歩み寄れるのだろうか。握った拳で空をついて、ようやく取り戻した勘に安堵する。マユが傍にいるだけで安心できた。マユがいないと寂しかった。私はマユと離れたくない。マユもきっと同じだ。
でもそれは、何かを隠したままの依存だった。
だから私達は、いつまでも中途半端な関係を続けてしまう。マユは私をどう思っているのだろう。私達はどんな関係でいたいのだろう。マユと一緒に居たいからこそ、もっと深く知るべきだったのだ。
ずるずると共依存したまま、その依存の理由を知らずに側にいるのは危険だ。致命的な地雷を踏み抜く前に、いっそロケットの弾頭にして相手へぶち込んでスッキリしてしまおう。それが、今回の試合の目的である。
私はマユのことが好き。マユが好きだ。でも、その好意は恋人に向けるそれとは異なる。家族に向けるようなものだ。私の側にはマユがいて当然と考える気持ちがあって、初めて好きだと言えるのだ。いっそのこと、マユのことを嫌いになりたい。マユがいなくても大丈夫だと思いたい。それが不可能だと知っているから、私はもっとマユと仲良くなる必要があった。
それも、依存ではない関係で。
「鹿野さん。幼馴染に恋をするの、難しいですよね」
「どうしてそう思ったんだ?」
「……だって、家族よりも仲が良い相手だから」
自分のことなんて、全部分かってくれていると思って油断してしまう。相手のことも完璧に理解していると思って慢心してしまう。友達とも恋人とも呼べない間柄の私達は、その一線を踏み越えようとしている。
そこにあるのは、ほんの少しの恐怖と、興奮と。
ぶるりと背筋が震えた。
手に兆す戦と書いて、挑戦となる。
私達の関係に正しい決着をつけるため、マユの元へと向かった。
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