占術②

 師匠が鹿野さんと暮らすアパートへ足を踏み入れる。

 古ぼけた外壁とは裏腹に、内装は小洒落ていた。落ち着かないので、すすすと廊下の端に移動した。

「なにしてんの? 行くよ」

「へい……」

「怯えんなって。虐めたりしないから」

 掃除の行き届いた廊下を奥に通してもらう。鹿野さんが案内してくれた部屋では、師匠のお姉さんが机に大量の資料を並べていた。嶋井舞玄師範だ。師匠とは僅か二歳違いらしい。容姿端麗かつ多彩な才能を持っていることもあって、彼女を嫌いな人を探す方が難しい程の人気者だ。

 舞玄師範は資料を読んで勉強をしている最中のようだ。開いている書籍の背表紙には、私でも知っている超有名な占い師の名前が書いてあった。ただし、評判の良い占い師ではない。詐欺で捕まって有名になった人だった。

「…………」

 いや、何を言えばいいのか分からない。

 怪しげな占いを始めた知り合いを前に、私は何をすればいいのだろう。せめて他の人の書籍を使って勉強した方がいいですよー、とか忠告すればいいのか? でも舞玄師範だぞ。彼女に出来ないことを探すのが難しいほど、才能に満ち溢れた人である。彼女が選んだからには、何か特別な理由があるに違いなかった。悩みに悩んで、何も見なかったことにする。

「えっと……。あの……」

 挨拶をしようにもしどろもどろだ。奈乃師匠と比較しても、あまり喋った経験がない。雲の上の人、というイメージが先行している。舞玄師範も私が入ってきたことに気付いていない様子なので、声を掛けるべきかどうか迷っているうちに時間が過ぎていく。右往左往する私に、様子を見に来た鹿野さんが助け船を出してくれた。

「おい、舞玄。お客さんだぞ」

「ん? ……あ。忘れてた」 

 ようやく私に気が付いたと思えば、舞玄師範は資料の山をペンで叩く。

 そして言った。

「ようこそ。舞玄の占い室へ!」

「いやここ、私と奈乃のアパートなんだけどな……」

「鹿野のケチ。家賃は折版しただろう」

「勝手に金だけ押し付けてきたんだろ」

 鹿野さんが迷惑そうに顔を歪めている。

 嶋井舞玄師範は、こういう人だった。

 カラテは文句なしに強いし、その美麗な技術はメディアにも取り上げられ、彼女の活躍によって競技人口が増えたとも言われている。だが、その内実は妹の奈乃師匠に負けず劣らずの変人である。多趣味が高じて、今日みたいにイロモノチックな奇行に走ることも少なくない。外見だけは文句のつけようもない美人だから、残念な内面が際立ってしまうのだろう。メディアの取材も、最近はカラテよりも師範の私生活に密着するタイプが多いし。

 そんな人が、私に何を求めているというのか。言い争いを続けるふたりに、私は声を掛けた。

「えっと。今日は舞玄師範に呼ばれたんですけど。どう、すればいいんですか」

「うむ。よくぞ来た、湯上優香よ……」

 雰囲気たっぷりに師範は両腕を広げた。どこで買ってきたのか、頭には妙な帽子まで被っている。

「私がお前の悩みを紐解いてやろう……」

「優香。付き合う必要はないぞ。アホは適当にあしらえ」

 二十年来の付き合いがある鹿野さんが、ドヤ顔で腕を組んだ舞玄師範を蹴り飛ばした。荒々しく瑞々しい、師匠とは別種の魅力に満ちた技だ。鹿野さんもやはり、実力のある人だった。

「なっ。このっ。昨日占ってやったのに」

「当たるも八卦の四方山話だったろうが」

「はー? その割に楽しそうでしたが?」

「それは……お前に合わせてやったんだよ!」

 ぎゃいぎゃいと言い合うふたりは仲の良い幼馴染だった。恋愛感情は微塵も持っていないようだけど、その距離の近さは血の繋がった家族にも匹敵する。私とマユの関係にも似ているけれど、随分と湿り気が少ない間柄だ。ちょっと羨ましいような、私の求めているものとは違うような。まぁ、気にしないでおこう。

 奈乃師匠は、寝ぼけ眼でふたりのやりとりを眺めている。彼女が大欠伸をして、鹿野さんがお世話のために言い争いから身を引いた。自然、舞玄師範と向かい合う形になる。彼女は、道場では絶対に見せない柔らかな表情をしていた。そも、どうして私を呼んだのだろう。本当に占いを仕事にでもする気なんだろうか。道場の経営とか、色々あるだろうに、なぜ?

「……あの」

「うむ」

「……私は何をすれば?」

「お悩み相談かな。あぁ、あのチラシは気にしないで。暇だから作っただけ」

 マジですか? と喉元まで出掛かった言葉を飲み込む。寝室から戻ってきた鹿野さんが、呆れたように溜め息を吐いた。

「あのなぁ、舞玄」

「黙って。私はマジなの」

「……はぁ。優香、頼むぞ」

 舞玄師範が何を考えているのか、私には見当もつかない。

 鹿野さんの言葉に耳を傾けようともせず、師範は真剣な面持ちで私を見つめている。これは、真面目に答えないといけない空気だ。私は姿勢を正して向き直った。

 舞玄師匠は少しおめかししているようだ。いつもは化粧っ気のない顔も、今は薄らと紅を引いている。私を招いたから、多少は気を張っているのかもしれない。うむむ、と唸って差し支えのない範囲で相談をすることにした。

 ひょっとしたら、彼女は本当にお悩み相談をする気なのかもしれないし。

「えっと、私は最近、稽古を再開したんですけど……」

「うん。奈乃から聞いた。道場でも会ったよね」

「はい。私は……強く、なれますかね?」

 師匠の顔が曇る。

 この質問は不味かったか。

 でも、私が相談できるのはこの程度までだ。私が道場に通わなくなって、一年近く経っている。その間も空手や古武術を嫌いになったわけじゃない。むしろ好きだからこそ、辞めたのだ。未練がなかったといえば嘘になる。道場の敷居をまたぐたび、どうしても昔の自分と比較してしまう。あのまま稽古を続けていたら、天才には及ばずとも強者の一角ではあれたかもしれない。だが、今の私は昔取った杵柄を後生大事に抱えた半端者だ。素人に毛が生えた程度でしかないのである。

 だから、強くなりたい。

 なれるのであれば。

「何のために強くなりたいんだ?」

「……それは」

 暇つぶしのため。

 そして、マユから自立するため。

 マユは私に依存している。私もマユに依存していた。だけど、いつまでもこのままじゃいけない。私たちはお互いに依存していて、その関係が当たり前になりつつある。私はそれを変えなければいけない。

 空手は好きだった。道場に通うことは苦痛ではなかった。道場のみんなは良い人たちばかりだったし。新しい依存先を見つけるために、私は道場へ通っているのだ。

「強くなるだけなら簡単だよ」

「……師範だから言えるジョークですね」

「本当だとも。稽古をすれば誰でも昨日の自分を超えられる。これは天才も凡才も、才能ナシな誰かさんも同じことさ。大事なのは、何のために強くなりたいのか、だ」

 師匠が目を細めて微笑む。

 その笑みは優しくて、どこか悲しげで、とても寂しそうに見えた。

 私より長生きしているだけあって、舞玄師範の言葉には経験によって生まれた含蓄がある。師範がペンを振って、山と積んだ資料から適当な一冊を抜き出した。師範が握っているのは、ただのボールペンだ。しかし師範が資料へとペンを振り下ろすと、容易くページが破れた。バターをナイフで切り取るように、彼女は資料から一枚の紙を抜き出した。

「はい、どうぞ」

 手渡された紙にでかでかと印刷された文字を読む。

「……後悔先に立たず、ですか」

「イエス。やってみるのが一番だよ」

「師範が占い師を始めたのも?」

「まぁね。面白そうだったから。今日で廃業しそうだけど」

 お客来ないし、と大口を開けて笑いだした彼女に、私は返す言葉もない。

 師範が荷物を散らかす部屋は、奈乃師匠と鹿野さんが暮らしているアパートの一室である。元々は鹿野さんの部屋だったのだろう。鹿野さんの私物を押しのけるようにして置かれた数々の荷物が、彼女達の生活における舞玄師範の立ち位置を象徴していた。門弟から貰ったのか、それとも自費で買ったのかも定かではない贈答用の詰め合わせセットも部屋の隅に積まれていた。

 師範ほど、他の人に迷惑をかける気もしないけど。

「自分の、ために」

「うん」

「私自身のために強くなっても、いいんでしょうか」

「当たり前じゃん。”家族”のため、の百倍は健全な目標だよ」

 むかしの私が武術を嗜んでいた理由も、師範は勘付いていたようだ。

 師匠のお姉さんからお墨付きを貰って、僅かながらも視界が開けた気がする。舞玄師範はボールペンで破いた書籍をゴミ箱に放り込むと、鹿野さんへと駆け寄っていく。がっしりとその肩を掴み、なんとも悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

「よし。鹿野、稽古を手伝ってやれよ」

「は? 舞玄がやればいいじゃん」

「取材とかで忙しいの。湯上も鹿野お姉ちゃんの方がいいだろ?」

「え、あの。私は奈乃師匠に教えてもらってますので……」

「あらー。鹿野がフラれた」

「あ、でも、たまに稽古してほしい……」

 ケラケラ笑う師匠を無視して、鹿野さんが私に向き直る。しょーがねぇなぁ、とぼやいた彼女は私の第二の師匠である。

 私のような小心者は、一歩を踏み出すだけでも足が震えてしまう。でも、奈乃師匠が前から手を引いて、鹿野さんが背中を押してくれるなら。そして、舞玄師範が遠くから声援を飛ばしてくれるなら、私は前へ進めそうな気がした。進んだ先に待ち構えているものが、徐々に明らかになったとき、私は歩みを止めずにいられるだろうか。

 大丈夫だろう。

 そう信じて、私は先輩達に礼を告げるのであった。

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