占術

 師匠の家へと向かっている。

 クラスメイトも誘ったのだが、残念ながら同伴者はゼロだ。一人寂しく、私はコンクリートで舗装された道を走っている。

「くそぅ。せっかく誘ったのに……」

 まぁ普段から仲良しの相手はともかく、そこそこ親しい程度の相手が急に距離を詰めてきたら警戒もするよね。

 別に私に友達がいないわけじゃなく、怪しげな占術師の元へ赴くだけの胆力を持つ知り合いがいなかっただけの話だ。私に人望がないとか、そういうんじゃない。勘違いしないで欲しい。私にだって友達は出来る。いつか。きっと。多分。

 そういうことにしておいてくれ。

 自転車を漕いで、師匠が住むアパートへ向かう。手土産にお菓子でも買っていくか、とスーパーに寄ったところであることに気が付いた。

 奈乃師匠は、鹿野さんとの二人暮らしをしていたはずだ。お姉さんがいることにはいるが、一緒に住んでいるという話は聞いたことがない。ここ一年ほどの間に、お姉さんが居候を始めたのだろうか。

「うーん。気になるな……」

 身内の不幸、その他トラブル。

 不安要素を挙げればキリがない。

 スーパーの棚に並んだお菓子から、徳用詰め合わせのパックを選ぶ。色んなチョコが入ったお菓子袋だ。

 会計を済ませて店を出ると、身を切るような寒さに晒される。いやが応にも今が冬であることを実感させられた。

 さて。

 師匠のお姉さんは、とてもカラテが強い人だった。比肩する相手は極僅かで、奈乃師匠ですら勝てない。私は師匠に手も足も出ないので、つまりめちゃくちゃ強い人である。高校時代の無敗神話は今も語り継がれていて、一生をカラテと添い遂げる覚悟ももってそうなタイプである。そんなすごい人が、なぜ怪しげなチラシを投函するに至ったのか。とても興味があった。

「おっ。ここだ」

 私が辿り着いたのは、古めかしい二階建てのアパートだ。壁の塗装が剥げ落ち、雨風に晒されて変色した外壁が哀愁を漂わせている。この建物がどれだけの時を過ごしてきたかを物語っていた。

 階段を登って、師匠が住む部屋の前までやってきた。道場で会うことは多くても、アパートにまで押しかけたのは久しぶりのことだ。最後に来たのは、空手の稽古を止める前の話である。深呼吸をすると、思いの外震えていた身体に喝を入れる。怒られに来た訳じゃないんだし、もっと気楽にいこう。

 インターホンを押すと、金髪のお姉様が出てきた。ヤンキーと呼んで差し支えないが、どこか愛嬌のある女性だ。

 鹿野カノ。師匠の彼女さんだった。

「ん。おっ。懐かしい顔だな」

「鹿野さん。お久しぶりです」

「おう。また稽古始めたんだって? ナノから聞いたよ。頑張ってくれよな」

 鹿野さんもカラテの達人である。師匠について色々習っていた私に、様々な手助けをしてくれた面倒見の良いお姉ちゃんだ。うりうり、と鹿野さんが私の頭を撫でてくれる。ちょっと乱暴だけど、愛情がこもっていた。

「んへへ……」

「優香、ほんと撫でられるの好きよな」

「甘えたい年頃なので」

「よろしい。素直な子供は大好きだぞ」

 鹿野さんの手に、少し力がこもった。

 親しみやすいお姉さんだ。彼女は私よりもずっと背が高くて、セクシーな大人だった。それでいて、子供のように無邪気に笑う人だった。幼馴染で耐性をつけていなければ、私もこのお姉さんにコロっといっていた可能性がある。

 鹿野さんに頭を撫でられていたら、廊下の奥から師匠が出てきた。可愛らしいパジャマ姿だ。年齢は随分違うはずなのに、同級生の少女みたいに幼い雰囲気がある。淡い桃色のパジャマのせいだろうか。それとも寝ぼけたように眉を下げた童顔のせいだろうか。今日は道場も休館で、完全にオフだったらしい。気の抜けた師匠は、鹿野さんにぎゅっと抱き着いた。

「ん。おはよー、ゆっちー……」

「おはようございます。もう10時ですよ」

「お昼ご飯まで……寝る……」

「ごめんな、優香。休みの日のナノはこんなんだから」

 鹿野さんの腕に抱かれて、師匠は安らかな寝息をたてている。立ちながらに眠るのは割合、高等技術だと思うのだけど、師匠ほど訓練を積んだ人であれば問題ないのかもしれない。

 立ち寝の訓練ってなんだろう。

「あ、これ。お土産です」

「マジ? ごめんね、気を遣わせて」

「いいですよ。お世話になってますし」

 今日は情報料も兼ねているのだから。

 鹿野さんにチョコの入ったお菓子の袋を手渡しながら、私の手は自然と奈乃師匠の頬に伸びていた。ひとまわり離れた師匠の頬に、私の指が触れる。

 もっちりしていた。

 スキンケアをちゃんとやって、その上で本人のもち肌の基礎レベルが高いからこそのもっちり感だ。沈んだ指を押し返す力も強めの、レベルの高いもちもち感だった。

 本当に同い年ではないのだろうか、とその幼い寝顔を見つめた。ついでに頬を擦る。んむむむ、と師匠が小さく呻いた。彼女は私が小学生の頃から変わる様子がない。鹿野さんはめっきり大人びて、身体のラインも、格好いいよりもセクシーの方が似合うようになってきたのに、師匠はまだ子供っぽい。

 私もこんな大人になるんだろうか、と不安が鎌首をもたげたところで師匠がするりと鹿野さんの腕を抜けた。

 ぽすん、と私が抱き止める。

「お、おぉ……」

「大丈夫か、優香」

「はい。……師匠、かわいい……」

「一応、優香より十は歳上だぞ」

 苦笑いした鹿野さんは、私から師匠を取り返すでもなく余裕の表情だ。それに甘えて、師匠の頭を撫でてみることにした。

 普段ならあり得ない光景だ。

 逆はあっても、私が師匠をハグする機会なんて今後も訪れることはないだろう。私を抱き締めてくれる相手は、いつも私より背が高い相手ばかりだ。マユもそうだし、マユの妹達も最近では私の背丈を越える勢いですくすく育っている。

 師匠だけだ。

 今後も、私より小さいままなのは。

「私よりちっちゃいなんて……」

「本人の前で言うなよ」

「はい。……うへへ」

 背中合わせで立てば、多分同じくらいの背丈なんだろう。でも今回ばかりは、私の方が大きくなったように感じる。

 束の間の幸せを噛み締めていたら、師匠の家に来た理由を思い出す。鹿野さんに師匠を預けて、今日の目的を告げた。

「嶋井舞玄師範に会いにきました!」

 ヘンテコなビラの、意図を探って。

 私は師匠の家へと踏み込むのであった。

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