安堵の再会

賀詞、淡々

 正月太りした。

 私じゃない。マユの方だ。

 クリスマスに会ったときよりも明らかにふっくらしたマユは、気にする様子もなく屋台巡りを続けている。その手には食べかけのフランクフルトが握られていた。次はどれを食べようかと品定めに余念のない彼女だが、私が大口を開くと食べさせてくれる。お世話を焼いてくれる子がいるのは、なんとも嬉しいことだった。

 今日は初詣に来ている。

 三が日を過ぎたのに、神社はまだ賑わっていた。

「すごい人だかりだね」

「ねー。迷子になっちゃダメだよ」

「そんな心配ご無用だけど。幼児じゃないし」

 もう一口、とマユにねだる。

 フランクフルトも、久しぶりに食べると美味しい。マスタードがピリっとして、甘いものが食べたくなる。マユに倣うようにして、私も屋台に目を向けた。正月だからと言って特別珍しいものがあるわけじゃないけれど、湯気の出るものが食べたい気分だ。

「次は何を食べようかなぁ。たこ焼きもいいな」

「マユ。もっとお正月っぽいもの選びなよ」

「えー。お餅とか? 家で沢山食べたし」

「こう、煮物的な……」

「ないじゃんね。あっ。ユカちゃん、アレ見て」

 マユの視線の先には、綿あめがあった。どう考えてもお正月に食べるものじゃないだろう。今年は兎年だし。未年ならギリギリで理解できる。もこもこした羊の毛皮と綿あめのもこもこを重ねるのだ。

「マユ、あれのどこがお正月に相応しいのよ」

「ウサギちゃんも白くてふわふわじゃん」

「……そういうタイプもいるけれど」

「ふっふー。ユカちゃんには想像力が足りないなー」

 真っ白なウサギは換毛期だけじゃないのか。

 私が知っているウサギちゃんは茶色くて、もっと落ち着いた配色だったと思うんだけど。気になってスマホで調べてみたら、やっぱりウサギは茶色だった。

 ふんす、とスマホをマユに見せつける。彼女がひょいひょいと操作を重ねて、私の手元へ返ってくる頃には真っ白なウサギのイラストが画面を埋め尽くしていた。実物のウサギは茶色いのに、描かれたウサギは白色ばかりだ。あと、たまにバニーガールのえっちなお姉ちゃんが流れてくる。

「えー、これは大衆のイメージであってぇ」

「ユカちゃん、たまに往生際が悪いよね」

「違うって。ウサギちゃんは茶色で、焦げ茶のが一番可愛くてぇ」

 マユに私の推しウサギ動画を押し付けているうちに、白くてふわふわした綿あめがウサギっぽく見えてきた。似たような感受性になってしまった、と嘆くより先に財布の紐を緩め始めたマユの肘を掴む。綿あめよりも、もっと他のものを買ってほしい。正月っぽくなくていいから、せめて温かい食べ物にしてほしい。

 じゃないと、私のお腹も冷えてしまう。

「あれにしようよ、マユ」

「はしまき? お正月っぽさは?」

「諦めた」

 ふらふらと香ばしい匂いに誘われて屋台に近付いた私を、がっしりと掴んでマユが更に前へ押す。目標の屋台を通り過ぎても歩かされて、マユが腕の力を緩めたのはもつ煮込みの屋台だった。ちょっと厚めのカップに山盛りのもつ煮込み。確かに美味しそうだけど、ご飯が欲しくなりそうだ。これが食べたいのか、と私の背中に密着したまま列に並ばせたマユの顔を見上げる。首を斜め上に向けようと動かすも、ぎゅっと抱きしめられているせいか今イチ彼女の表情は拝めなかった。

「……ユカちゃん、暖かいねぇ」

「ユカのユは、湯たんぽのユだから」

「ちっこいと体温が高いって言うもんねー」

 マユが笑う。失礼な彼女に肘内をしてやろうと思ったけど、その笑い声に免じて許してやった。私は、とっても寛大なのだ。

 幼馴染と一緒になるのは、それもふたりきりになるのは随分と久しぶりだ。最近は同級生のソラや、マユの弟妹達が身近にいてばかりだった。今も周囲には他の人の姿があるけれど、このお参りでしか顔を合わせないからね。甘えている姿を見られたとしても気にしなくて済むのだろう。みんなの前では、なるべく格好良くて頼れる子を演じたいマユの乙女心だ。確かに柔道をやっている時のマユは凛々しいし、そのせいで厄介なファンからも声援を向けられていることがあるけれど。普段のマユは、緩くて可愛い。そんなの、私だけが理解していればいいのだ。

 待機列が半分になったところで、マユが財布を用意した。屋台に掲げられた値札を確認して、財布の中を覗き込む。私とマユが共同で軍資金を放り込んだこともあってか、かなり余裕があった。お参りと屋台巡りをもう一度繰り返しても、まだ余裕がありそうだ。

 私を抱えながら屋台前に辿り着いたマユは、私の頭上から店主へと注文を告げる。当然、頼むのは一番の大盛だ。私が両手で受け取った丼には、山盛りのもつ煮が乗せられていた。いくつかの屋台が集まっていることもあってか、近くには簡易のテントが張られた座れるスペースも設けられている。

 風を避けるように、私達は吸い寄せられていった。

「どこか座れそうな場所は……」

「あそこの家族連れ、もう帰りそう」

「おっ。ユカちゃん、よく見つけたね」

「目聡いのよ、私」

 適当な返答をして席に座る。

 どこも家族連れが多い。あとは、ご年配の夫婦がいるばかりである。私達みたいに若い子は、あまり連れ立ってきている様子がなかった。

 ニコニコ笑顔でもつを食べ始めたマユに遅れて、私も割り箸でお肉の山を突く。味噌風味のもつ煮だ。醤油風味のもつ煮もあったけれど、マユの一存で味噌になった。もし聞かれていたら私も味噌がいいと答えていたので異存はない。

 屋台のもつ煮だし、と舐めてかかったら意外にも侮れない深い味がした。端的に言えば美味しかった。野菜ばかりだろうと高を括っていたのに、野菜を探す方が大変なくらいお肉が入っている。すごいなと思って屋台の方を振り返る。掲げられた店名はお参りの道中、沿道にあった店舗と同じだった。なるほど、これがホントの出店ってことね。

 切れっ端の大根にもよく味が染み込んでいる。

 凍るほど寒い季節にはぴったりの、あったかくなる料理だった。

「美味しいねぇ」

「マユ、それしか言ってないじゃん」

「んふふ。ユカちゃん、食レポしてみてよ」

「味噌のコクと野菜の旨味が抜群でーす」

「うーん、満点!」

 上機嫌なマユから拍手を貰う。

 絶対下手な食レポだったのにな。

 モツって内臓のどこの部分を差すんだろうね、と話しながら私は周囲に視線を向けた。テントの下には老若男女問わず、幅広い年齢層の人が集っていた。といっても、高齢者に比重が偏っている。子供は家族に連れられてきたような若い子ばかりだ。

 大学生くらいの組はもっと少なくて、マユの後ろの方にいる席のふたり組くらいだろうか。長い黒髪が綺麗な美人さんと、ベリーショートの格好いい人がペアを組んでいる。ベリショのお姉さんがどこからか唐辛子を持ち出して、もつ煮に振りかけていた。もつ煮の茶色い山が真っ赤に変色する様子を眺めつつ、対面に座る黒髪さんの表情が緩んでいく。もつ煮の山が活火山に名称変更を余儀なくされたところで、黒髪さんが手を叩いて笑い出した。

 喧噪に紛れて聞こえないけれど、ベリショのお姉さんが文句を言っているようだ。私に背中を向けているから、その表情は分からない。分からないのに、なぜか楽しそうにしているのが羨ましかった。

「ユカちゃん、どこ見てるの?」

「年上の美人」

「むむっ……」

 私の言葉に浮気レーダーが反応したのか、マユも振り返って件の美人とやらを探す。その隙に、私はもつ煮を食べることにした。お肉の部分も美味しいけれど、モツの旨味は白くてプルプルしたところに集約されていると思うんだよね。甘いし。

 ひょいぱく、ひょいぱく、ともつの山を減らしていく。金華山から名前のない小山くらいの量になった。煮込む過程で余分な脂が抜けているから、思ったよりも沢山食べてしまえそうだ。美味しい料理ほど沢山食べたくなる。マユが正月にふっくらしたのも似たような理由かもしれないな。

「ねぇ、ユカちゃん」

 呼びかけに答えて顔を上げる。

 マユは笑いながら、小首を傾げた。

「どっちが好み?」

「やっぱり味噌かなぁ。醤油もいいけど、甘味が足りないよね」

「もつ煮じゃなくて、美人さんの話だよ」

「……えー。どっちって聞かれてもなぁ」

 そこまで考えてないし。やや悩んだ末、そもそも失礼な質問では? と美人さん達を眺める。食べていたのは小鉢だったのか、私達よりも早く片付けを済ませたようだ。ベリショさんのご尊顔は、思っていたよりもずっとクールで素敵だった。涼し気な目元は爬虫類を思わせるし、口元は笑っていない。表情に乏しい人だ。

 なのに、楽しげな雰囲気が全身から滲んでいた。器用なのか、不器用過ぎて表情が硬いだけなのか。気になるけれど、私にそれを知る術はない。あの親しそうなふたりには、彼女達だけの秘密の関係があるのだ。

 おっと。

 まずはマユの質問に応えなくちゃな。

「強いていうならベリショさん」

「髪の短い人? へー、そうなんだ」

 マユが振り返ると、ベリショさんが黒髪さんにお世話を焼かれているところだった。化粧っけの薄いベリショさんの口元が汚れていたのか、ポーチからウェットティッシュを取り出している。彼女が自分で拭こうとするのを制止して、美術品にでも触れるようにその唇をぽんぽんと叩いていた。

 あれ、ふつうの友達じゃないな。

 なんとなく察するものがあって、視線を逸らす。

 食い入るように見つめていたマユの肩をつついた。

「マユ、食べないとなくなるよ」

「はいはーい。……かなり減ってない?」

「私じゃないし。マユが食べたんだし」

「ユカちゃん、もつ煮が好物だったんだねぇ」

「久しぶりに食べたからだよ。めちゃ美味しいし」

 ふたりで食べ進めると、あっという間に丼の底が見えてくる。

 我が湯上家では煮物なんかしない。総菜で買ってくることも滅多にないから、お店のもつ煮は随分と美味しく感じた。マユに促されるまま最後の一口を放り込んで咀しゃくしていると、いつの間にかマユが私の隣に座っていた。頬杖を突いてこちらを見つめてくる。私は唇の端についた味噌を舐め取ってから応じた。

 ふわっとした笑みを浮かべながら、マユが私にくっついてくる。先の二人組の女性をみて、彼女も私に甘えたくなったのかもしれない。家族連れが多いこともあって、周囲のグループも各人の距離が近かった。これなら恥ずかしくないか。なんにせよ、マユの体温は心地良い。彼女を肩で受け止めて、私は白い息を吐いた。

 美味しいものを食べて、胃袋も元気になった。明日からも稽古、頑張ろう。この正月も毎日の走り込みを続けていて、今日だってマユと会う前に軽く走って汗を流してきた。シャワーも浴びて、身綺麗にしてから参拝した私を神様は褒めてくれるのだろうか。

 まぁ、神様なんていないと思うけど。

「そろそろ帰ろうか」

「帰ったら何しよ」

「私がマユの家に行くこと前提なのね」

「そうだよー。……もしかして帰っちゃう?」

「行くから、安心して。よーしよしよし」

 無駄に幼馴染の不安を煽ってしまったことを反省しつつ、どうしたものかなと思案する。両親は既に仕事始めを迎えていて、家に帰っても寒くて冷たい虚無が待っているのみだ。仕方ない。そうだ。仕方がないから、私はこの選択をするのだ。

 椅子から立って、今度は私がマユにもたれかかる。なぜ立っている私と座っているマユの視線の高さが一緒なのかは考えないことにして、彼女の耳元に囁く。

「泊まりに行っていい?」

「うん! えっへへ。夜更かししてお喋りしようね」

「えー。それは稽古に支障出るからヤだ」

「真面目ちゃんじゃん。それじゃ、明日は一緒に稽古しよ」

 立ち上がったマユと腕を組んで、日々家の面々へのお土産にお饅頭を探して歩く。

 この穏やかな日常が、今年も続くといいなって思った。

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