恋文
年末の大掃除を済ませてから、私は夕飯の買い出しに出かけた。どうせ仕事で帰ってこない両親の分は買わず、自分が食べたいものだけを買う。そんな生活を何年も続けていた。それで荒まない女子高生がいるなら、誇っていいよ。
スーパーで買い物をして、寄り道せずに家へ帰る。そのつもりだったのに、駅前の商店街へと足を運んでいた。買い物袋を片手に、無意識が求めていたものを探す。
「なんだろなぁ」
特に目的があるわけでもない。
頭ではそう考えていても、心が何かを訴えていた。
稽古がしたくて身体が疼くとか? でも、道場は年末年始の閉館日を迎えている。というか、先日師匠に付き合ってもらった日も休館日だった。一年振りに復帰した私のために、わざわざお休みの日に師匠が稽古をつけてくれたのだ。そのお礼にとドーナツを奢ってあげたらすごく喜んでくれた。師匠も私に似て、甘いものが好きなのである。
「んー……それか? 甘味か?」
ドーナツ屋にでも行ってみるか、と足を伸ばす。
キャンペーンをやっているわけでもないのに、今日は珍しく混んでいるようだ。店内に入るなり、甘い香りが鼻腔を満たした。店員さんの元気の良い声に引っ張られるようにして列に並ぶ。客層はアラサーっぽい大人が多い。仕事納めを済ませた社会人たちが癒しとしての甘味を求めているのだろうか。……まぁ、私は仕事納めってのが何かも分かっていないのだけど。
仕事疲れを癒すために甘味を求めるって理屈だと私も疲れたOLみたいになる。まだ高校生なのにね。これからもっと社会の荒波に揉まれるはずなのに、今から壊れていたら到底持ちこたえられないだろう。
待機列で欲しいドーナツを考えていると、レジに見知った顔を見つけた。
彼女が会計を済ませたタイミングを見計らって、片手を挙げて挨拶する。
「おいっすー、ソラ」
「あ。湯上さん」
私の同級生。酒井空だ。
彼女もぎこちなく、片手を挙げて私に挨拶をしてくれる。生真面目な子だから、腕の角度が直角だった。綺麗な黒髪の少女だ。テンションが下がるほど寒い季節でも、彼女の髪質は相変わらず美しい。私が買い物を済ませるまで待っていてくれる、とても律儀な子だった。
「ね、ちょっとだけ時間ある?」
「はい。……湯上さんも?」
「うん。ね、お喋りしようぜ」
私が買った晩御飯の総菜は少々放置しても痛まないものばかりだ。ソラにも都合を聞いて、少しだけ近所の公園のベンチで喋っていくことにした。
駅前のドーナツ屋から徒歩三分。遊具がほとんどない公園でベンチに腰掛ける。あんまりにも寒いから、私はホットココア、彼女はミルクティーを自販機で買った。どうせならドーナツ屋の店内で駄弁ればよかったね、と笑い合う。まぁ、それはそれで時間がどれだけあっても溶かしてしまうだろうし、ちょっとお喋りするだけなら外に出た方が良いだろう。
温かい飲み物に口を付ければ、じんわりとした熱が広がる。
吐き出す息が、雲みたいに白かった。
「ソラ、ドーナツにハマったの?」
「……お恥ずかしながら」
「いいじゃん、別に。食べすぎには注意しなよー」
若さを理由に暴飲暴食すると大変なことになるからな。
冗談を交えながら適当な話をする。冬休みは一緒に遊ぶ時間もないかと思っていたので、ちょっとお得な気分だ。ホットココアが先になくなって、私の方が立ち上がる。彼女が慌てたように残りのミルクティーを飲もうとするのを、肩を揉むことで押しとどめた。
「ゆっくりしなよ。せっかくの冬休みなんだし」
「いえ、あの、思い出したことがあって」
「ん? あぁ、用事の途中だったの?」
だとしたら申し訳ない、と手を合わせて拝む。
ソラはもにょもにょと言葉を濁らせて、私から視線を逸らした。
はて、何の用事だろう。気になったので、ひょいとソラの顔を横から覗く。綺麗な肌をしていた。普段は外を出歩かないのか、彼女の肌はとても白い。芸術品のようでもあって、触れてはいけない貴重品のようでもあった。じーっ、と黙ってソラに視線を送り続ける。
「……あのー」
無言の圧力に負けたのか、ソラは小さくため息をついた。
それから鞄の中に手を突っ込んで、一枚の紙を取り出した。
「応募用紙?」
「違います。恋文です。代筆を頼まれたので」
「こいぶ……ラヴレター?」
「なぜ英語で言い直したんですか」
理解できない概念が数十個まとめて襲ってきたら、私は英語を使いたくなる性なのだ。嘘だけど。
「ラヴレターの代筆ねぇ」
ソラの言葉の意味を理解しようと努力してみたが、やはり無理だった。
恋文などを使うのは時代錯誤だと思っている私がいるし、それを第三者に代筆させるのは恋文の意味を失っている気がするし、ソラにそういうのを頼む子がいるんだと知って更に驚いている。どの感情から処分するべきか、と悩んだ私はソラの手から恋文とやらを奪い取る。そこには初めましての挨拶だけが書かれていて、差出人も受取人もまだ記名されていない。
「誰?」
「あー、守秘義務がありますので」
「学年だけでもいいから教えてよ」
「先輩に頼まれて。同級生の子に渡したいと……」
「それ、マユに届いたりしないよね」
ソラが頷いたのを見て、私はほっと肩の力を抜いた。
この恋文の送り主も、随分と代わったことをするものだ。自分の気持ちを伝えるために勇気を振り絞るのは素晴らしいと思うけど、それが他人を経由してしまうというのはなんとも複雑な心境だった。ソラは私の表情を見つめながら、不思議そうに首を傾げている。いかんいかん。いくら友人とはいえ、あまり詮索しすぎるのは良くないだろう。この代筆によって見知らぬ誰かと誰かが付き合い始めたとして、私はそれを素直に喜べるか怪しい。
こういうの、やり遂げられる子はホントにすごいと思うよ。
ちょいちょい、とソラが私の袖をつまんだ。
「あのー。湯上さん」
「ん? なに、ソラ」
「どういう恋文なら、貰って嬉しいですかね」
「えっ。いい恋文の書き方ってこと?」
「……みたいなことです」
そんなもの、書いたことも貰ったこともないので分からない。小学生くらいの頃に、マユとふざけあって書いたのが最初で最後である。あれ残しておけば良かったな。
「難しい話だねぇ」
「ですよねぇ」
よい恋文の条件は人それぞれだと思う。かっちりした文章が好みの人がいれば、浮ついたセリフが聞きたい人もいるだろう。「フツーに聞いてくれ」って言いながらラブソングを歌う人とか、原稿用紙二百枚の束に恋心を綴る変人なんかもいるはずだ。それらを十把一絡げにして最良の恋文を決めようなんて、面白みがないにもほどがある。こういうのは、グレーなところがいいんじゃないか。
「うーむ……」
でもなぁ。
私が貰うとしたら、どうだろうか。私なんかを好きになる送り主は想像できないので、マユで代用してみる。マユが貰って、喜びそうな手紙を書くなら……。
正直、なんでも良いんじゃないかなって思った。好きな人から貰えるものは、全部、特別だから。もしもひとつだけ制約をつけろと言われたら、やっぱり、好きだよって書いてほしい。その言葉が相手の本心から出たにせよ、冗談にせよ、文字として記憶と記録に残るなら思い出にもなるだろう。誓約にもなるし。浮ついた言葉とその時だけの雰囲気では残せないものも、この世にはあるのだ。
と、ソラが考えに耽る私の肩を突いてきた。
随分と弱い力で、遠慮しているようだった。
「湯上さんなら、どういうのがいいですか」
「うーん。……私、古武術の世界に復帰したんだけどさ」
この冬休みの話である。
近々の話題故に、欲していることがひとつだけ。
「趣味が合う人って分かれば、誰とでも仲良くなれそう」
あの幼馴染を差し置いて私の心の大部分を占めることが出来れば、きっと私とは恋仲になれる。そのためには、私の人生の多くを捧げてきた武術を愛してくれる人でないといけないのだろう。もちろん、ジャンルは問わない。剣術を学んでいる人だろうと、格闘技をやっている人だろうと、それこそ柔術をやっている人だとしても。
とにかく、趣味が合えば波長もあうだろうという安易な考えだった。
「そうですか……」
真剣な表情をしたソラは手元のメモに何やら書き付け始める。
しばらくすると彼女は顔を上げて、 ありがとうございますと頭を下げた。るんるんとスキップをして帰っていく彼女の背を眺めながら、なんだが不穏なものを感じる私だった。
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