悪戦 // 苦闘
始まりの一枚
クリスマスも終わった。
終業式も終わった。
これから、何をしよう。
「……しまった。私には趣味がない」
退屈を紛らわすには友人と集うのがいい。
私には親密な関係の幼馴染がいるのだ。呼び出せば、マユはきっと私の元へ馳せ参じてくれる。でも、それじゃダメだと思うから新しい趣味を探すことにした。依存するのがダメだって話は、既に何度も繰り返しているし。脳内会議で結論まで出ているのに、なかなか実行に移せていなかった。
「どうしよっかなー」
うんうん唸った末にスマホの電源を入れた。何か趣味の切っ掛けになるものはないかと写真フォルダを開く。クリスマス会の写真がずらりと並んでいる。楽しかったけど、まだ思い出に浸るフェーズじゃないだろう。
「よっしゃ、やるぞ」
スクロールバーに指を当て、思い切り下へ吹っ飛ばす。サムネ画像の読み込みが追い付かないほどスクロールして、くるくると回る一枚の写真をタップしてみる。
それは私が通っていた道場の写真だった。畳敷きの稽古場で、師範の女性と門下生が組手をしていた。師範があまりにも若いのが気になる。はて、あの人は今年で三十路に突入したはずだが……と写真に目を凝らす。すると、見覚えのある少女が端に映っていた。今よりも遥かに暗い顔をしたマユだ。その幼い風貌から察するに小学生になったばかりの頃だろう。彼女は私と同じ道場に、僅かばかりの期間だけ在籍していたことがある。どうせなら私と一緒に通ってくれれば良かったのに、彼女は体験入会をしただけで辞めてしまった。今や柔道の選手としてバリバリに活躍しているから、私と違う道を歩んだことが間違いだとも言えないけれど。
でも、マユが一緒にいてくれたなら。
私はもう少し、笑顔で鍛錬が出来ただろうに。
不意に浮かんだ疑問に思考が途切れる。
「……どうして、このスマホに?」
当時の私はスマホを持っていなかったはずだが。
そして、持っていたとしてもデータを毎回移し替えているわけじゃない。首を傾げながら、マユに連絡を取ろうと別のアプリを立ち上げる。と、マユとのトーク画面を開いた瞬間、思考に電撃が走る。
「あぁ……」
思い出した。これはマユから貰ったデータだ。
私の親は娘の写真など一枚も撮影したことがない。あれだけゴネてクマ吉を買ってもらったけど、誕生日すら覚えていないだろう。事実、誕生日にお小遣いをせびると不思議な顔をされる。けれどマユの両親は彼女のことをちゃんと愛してくれていて、記念日なんかには写真を撮りたがるらしい。この前のクリスマス会だってそうだった。私もマユママの好意に甘えて、日比家の一員として写真の隅に紛れ込むことが多い。それどころか、今回のクリスマスの写真では私とマユがセンターを飾っている。私は芽衣を、マユは光明くんを反対側に抱える格好だ。そして、そんな私達の間に立って肩を抱くのが睦である。マユの両親も満面の笑みを浮かべていて、とてもいい写真で……。
と。
その話は、今はやめておこう。
日比家とウチを比べると、死にたくなるから。
「このちんまいのが私だな」
大人しくしているマユの横に、やたら元気のいい小娘がいる。
現在の私からは到底想像も出来ない、太陽ほどに眩い笑みだ。面影は一体どこに? って感じだがこれも時間の流れってやつだ。
それにしても、今の私がこれを見ることになるなんて思ってなかった。昔の自分を見つめるのは何ともむず痒くて居心地が悪い。他にも何枚か、記念日に撮ったとおぼしき写真がある。ほとんどにマユが映っているのは、やはり彼女のために撮られた写真だからだろう。私だけを写したのもあって、日比家の懐の深さには驚かされる。家庭環境の違い、それは心の余裕にも違いを生む。急な眩暈と動悸に苦しくなって、胸を押さえながらスマホをベッドへと放り捨てた。
縋るものが欲しくて、私はクマ吉を腕に抱く。
ぎゅっと、いっそ壊れてくれと願いながら抱きしめた。
荒い呼吸音が他人のもののように聞こえる。喉の奥に異物感があって、吐かないように五感を遮断する。耳を塞いで、目を瞑る。口を閉じ、鼻をクマ吉に埋めた。最後に心が沈んでいくと、そこには静かな世界が広がっている。何も考えなくていい、何も苦しまなくていい場所だ。ただ、身を任せるだけで私は救われる。
気付けば、私は浅い眠りに落ちていたようだ。
カーテンの向こうはまだ明るいが、部屋は乾燥していた。ちゃんと上着を着ていたのが功を奏したのか、風邪をひいた様子はない。もう一度クマ吉を抱きしめると、私は部屋の隅へとクマ吉を押し込めた。年末年始も両親は仕事で忙しい。今日も一人で晩御飯を食べることになるだろう。それならばいっそ、と私はクローゼットの奥深くに仕舞い込んでいた道着を取り出した。幾度かの衣替えを経ても、道場へ通うことがなくなっても、どうしても捨てられなかった道着だ。袋に詰めて背負うと、私は携帯と財布を掴んで部屋を出た。
廊下の寒さに凍えて、一旦、部屋に戻る。
防寒着を装備して、色々なグッズを持って再出発だ。
「道場に行こう」
あの写真を見たのも何かの縁だと信じて。
私は雪で白くなった外の世界へと、めちゃくちゃ嫌な顔をして踏み出すのだった。
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