夜の囁き

 幼馴染の妹と運動した後、一緒にお風呂に入った。

 ラブコメチックな展開は訪れず、その後のクリスマスパーティーも平和のうちに終わったところだ。これが恋愛小説なら怒られていることだろう。でも私にとっては平凡な毎日の1ページに過ぎない。

「この平和は、捨てられないわけですよ……」

 ケーキを食べて、ボードゲームをして。

 トランプとか、ウノとかもやって。

 とにかく沢山遊んだ。マユの両親や、弟妹とも遊んだ。夜更かしをして体調を崩すのも嫌だから、早めに解散してそれぞれの部屋へ分かれたところだ。小学生の双子ちゃんは早く寝かせてあげようとの配慮もあった。

 芽衣は私と寝たがっていたけれど、睦に連れて行ってもらった。マユの監視がある手前、ずぶずぶといつまでも甘えさせるわけにはいかないのだ。寝惚けていた芽衣が双子の姉の肩にくっついて歩く姿は可愛くて、これが"萌え"なんだろうなと妙な感慨に浸っていた。

「やはり、ちっちゃいのは可愛い……」

「それ、デカい私は可愛くないってこと?」

「誰もそんなこと言ってないでしょ」

「ホントにぃ? ユカちゃん、意地悪だしなぁ」

「マユほどじゃないですけど」

 私が唇を尖らせると、マユは満足したように笑った。

 私はマユと一緒に、彼女の部屋でくつろいでいた。部屋の隅に置かれた本棚には、教科書や参考書の他に沢山の漫画が並んでいる。壁に掛けられたコルクボードには、お気に入りのアニメのアクリルキーホルダーが飾られている。女の子らしい小物なんかは見当たらないけれど、殺風景とは感じない程度の可愛さがあった。

 マユは私の正面に座っている。テーブルの上にはマグカップが置かれていて、中にはホットミルクが入っていた。晩御飯に山ほどの料理を食べたはずなのに、まだお菓子をつまむ余裕があるらしい。そのお腹周りの様子は如何ほどに、と伸ばし掛けた手は自重した。マユも私と同じ、多感な時期の女子高生である。幼馴染とはいえ触れてはならない領域があるのだ。まぁ、好奇心に負けることもあるけどね。

「マユは何してんの?」

「ん? 先輩と連絡とってる」

「ふーん。見せてよ」

 私が声を掛けてもスマホから目を離さない。よほど大切な連絡のようだ。

 興味半分、仔細不明の感情半分にマユへと手を伸ばした。が、こたつで温まっていた私の手はベッドに背を預けるマユまで届かない。

「………………」

 少しだけ考えて、こたつを出る。私を無視してスマホをいじるマユの隣に座った。

 ―――ぴとり。と、冷たい金属の表面に体温を分け与えるように手のひらを押し付ければ、マユがびくりと肩を震わせた。

「なになに、どうしたの?」

「最近のマユ、私に冷たい気がして」

「いや、そんなことないけど……」

 彼女は少し迷う素振りを見せた後、ロックを解除した画面をこちらへ向けて差し出してきた。メッセージアプリが起動されていて、そこでは写真付きのやり取りが繰り広げられている。アニメのアイコンもあれば、男性俳優の顔写真をアイコンにしている子もいる。これが普通の女子高生か、と部活にも所属していない、友達も少ない私は情報の奔流を前に稚拙な感想を抱く。

 グループのタイムラインには次々に写真が投稿されている。マユが抜けた後も集まって遊んでいた子達がいるようだ。高校から指定された帰宅時間を守っている子は皆無と言っていい。

 投稿された写真を遡っていく。みんな楽しそうに笑っていた。羨ましいな、と思うよりも早くマユの隣にいる割合が一番高い子が誰なのかを調べてしまう私がいる。黒髪ボブカットの小柄な女性だった。大人しめな雰囲気がどことなく先輩っぽい。この人は、部活中のマユが組手をしているところを何度か見たことがあった。

「これ、誰?」

「…………」

「え、誰? 答えるとまずい系の人?」

「いや、普通に先輩だけど。二年生の。ユカちゃんが束縛系彼女に見えて怖いわー」

「いや彼女じゃないし。ただの幼馴染なので」

 即答する。頓珍漢な指摘だけど、否定しておかないとね。

 マユが取り返しにこないので、そのままメッセージを遡っていく。

 僅か一年、されど一年。マユは柔道部の子と仲良くなっている。私の与り知らぬところで、私の知らない人と仲良くなっていく。すごく羨ましかった。私だって友達を増やしてマユへの依存度を下げなくちゃいけないのに、気付けばマユの隣にいる。天性のぼっちちゃんだしな、私。ソラみたいに真面目全振りな子には普通に話し掛けられるし友達になれるけど、そうじゃない子とはなぜか距離を作ってしまう。肌感覚で彼我の差を感じ取っているのかもしれない。

「うらやましーなー」

 それだけじゃない。

 でも、言葉にするのは難しい感情だ。

 グループトークを眺めながら、自分の気持ちを整理していく。

 マユと一緒にいる時間が心地よい。それはずっと変わらない。でも、その居心地の良さに甘えてばかりはいられない。私達はもう子供ではないのだ。いつまでも一緒にはいられない。いつか破綻するはずの関係に縋って、依存して、マユの優しさに寄り掛かっているだけの私では永遠に大人になれない。借りていたスマホをマユへ返して、ついでに私自身もプレゼントした。

 なんかもうダメだ。今日はマユにくっついていたい。

「モラトリアムゥ……」

「どったのユカちゃん?」

「マユに友達がいるの、羨ましい……」

「あぁ、いつものダウナーモードか」

 よーしよし、と猫を慰めるような手つきでマユが私の頭を撫でてくる。

 冬場は寒いせいか、気分の乱高下が激しい。特に落ちるときは底がない。幼馴染との例年通りのクリスマス会で楽しんだ後ですら、この低いテンションだ。自分で自分が嫌になる。マユを押して、無理やり同じ辺からおこたに足を入れた。凍えるほどの寒さに手がかじかんでいる。昼間は晴れていて、まだマユの家のガレージで芽衣と稽古をすることも出来たけど、今や外は真っ白な銀世界になっていた。

「明日、家に帰りたくない」

「……月曜日、終業式だけど」

「休む。風邪って言っといて」

「ユカちゃん、心折れるとすぐ仮病使うよね」

「弱い子だもの、私」

 ぐしぐしとマユの肩に頬をすりつける。マユは優しいから、私がどんなワガママを言っても許してくれる。それが分かっているから、私はどんどん甘えたがりになっていっている気がする。このままじゃ、きっといけないのに。私は弱い子だから、誰かに依存していないと生きていけない。空手を極めても心まで強く育てることが出来なかったのが悔やまれる。

 どうすればいい。

 何をすればいい。

 分からなくて、マユにくっついたまま目を閉じる。マユの手が私の頭を撫でるうちに、ずるずると姿勢が崩れていく。気付けばマユに膝枕をしてもらっていた。せっかくおこたに突っ込んでいた足も外に出てしまっている。でも、なんか暖かかった。マユの指先は優しく、私の顔の輪郭を撫でていく。するりと動いた指が、私の耳に掛かっていた髪を退ける。耳たぶををつついていた指が首元へ移って、喉を通過した後、私の頬をつまむ。

 ごそごそとマユが動く気配がした。

 なんだろう、と蕩けた頭で考える私の耳もとに、静かな風が吹いた。

「ふーっ」

「…………マユ。キモい」

「うえーっ。せっかく癒してあげようと思ったのに」

「だからって耳にふーってしないで。ぞわってした」

「気持ちよかったってこと?」

「…………いや。別に」

 跳ねた肩を見られている。

 マユには言い訳にしか聞こえないだろう。

 幼馴染は手を私の頬に添えて、上から覗き込んできた。そこには悪戯心も、目を背けたくなる欲もない。ただ慈愛に溢れた視線が私を射抜いて、恥ずかしくなった私は顔を覆った。返事がないことを肯定と受け取ったのか、マユは私の髪を梳く。その手がただひたすらに優しくて、まだ彼女にクリスマスプレゼントを渡していないことを思い出した。

「……明日、渡すから」

「ん? 何を?」

「プレゼント。お揃いのハンカチにした」

「おー。いいね。毎日使おう」

「……うん」

 素の私を、弱い私を、マユはきっと受け止めてくれる。

 それじゃダメなんだろうなぁ、って我ながら将来が心配になった。

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