堅果

 不肖、湯上優香。

 幼馴染のマユの家で行われるクリスマスパーティーに参加するはずが、気付けば彼女の家のガレージで稽古をつけることになっていた。相手はマユの妹、芽衣である。幼馴染本人は部活仲間と遊びに出掛けていて、帰ってくるのは夕方頃になるだろう。

 午後二時を過ぎてもやや薄暗くて埃っぽいガレージで、準備運動を済ませた芽衣の身体からは薄く湯気が立ち昇っている。流石に寒い。道着の下にインナーを着込みたいけど、今日は用意してないんだよな。

 私に稽古を申し込んできた芽衣は、やけに元気だ。

 そも、クリスマスに稽古って。

「芽衣は練習熱心だねぇ」

「……? 稽古しないと、強くなれないよ?」

「クリスマスも稽古しているのは、芽衣くらいだよ」

「ユカちもやってたじゃん、むかし」

「よく覚えているね」

 忘れてもいいぞ。貴重な脳のメモリを無駄にしないでほしい。

 マユとのクリスマスパーティーは夕方から始まる。それを待つ間、特に予定もない私は日比家の留守を預かり、芽衣の子守をすることになった。せっかくクリスマスプレゼントに選んだボードゲームも、みんなが揃ってからやりたいと言われてしまっては取り出せない。まだ開封の儀も済ませていないしなー。これじゃ、私との稽古が彼女へのプレゼントになってしまいそうだ。

 とか考えていたら、私も身体を解し終わった。

「んー。よし。準備完了!」

 稽古とは名ばかりの手合わせだ。

 実戦に勝る経験はないと師範も言っていたし。

 どこから調達してきたのか、私にちょうど良くフィットする道着まで用意してあった。ひょっとしなくても稽古相手の芽衣、つまりマユの妹と私の体格が同じだったからだが、それは女子高生としてどうなのだ。相手は小学生だぞ、と頬を膨らませる。私にも日比家の血が流れていれば体格に恵まれる未来もあったのかもしれない。

 意味のない"たられば"を頭から追い出して、芽衣に向き直る。ともあれ、身体を動かすのはいいことだ。思いのほか、すっきりとした気分になれるし。

 芽衣は既に臨戦態勢を整えていた。

「ユカち。いい?」

「うん。いつでも掛かっておいで」

「……うん!」

 私の言葉を聞くなり、芽衣が勢いよく突っ込んできた。

 突き出された手刀を払い除けると、続けて二撃目が来る。払い退け、打ち落として、それでも芽衣は攻めの手を緩めない。小学生らしく、彼女の攻撃は単調だ。そのくせ、小学生にあるまじき速度を持っていた。とにかく速い。この年頃の少女にしては驚異的な身体能力だと思う。私にもこのくらいの才能があればなー、と思いつつも片手で十分に捌けている。

 所詮は、その程度の力量差だ。

 私だって、強者の端くれである。

「がんばれー。いいぞー」

「……っ、……っ!」

「腕の力だけで技は出ないぞ。もっと全身を使えよー」

 真剣な表情の芽衣を上から観察する程度には、私は余裕を残している。

 芽衣はマユの妹だが、目指した道は彼女とは違う。柔道の教室には通わず、なぜか私がいた古武術の道場へと足繁く訪れるようになったのだ。理由は定かではない。しかし、彼女が真剣に稽古へ励む姿をみれば、そこにあるのはただの浮ついた感情でないことは容易に推察できる。

 私は、端的な指摘を繰り返した。

「脚が動いてない」

「腕が下がってきた」

「ガード下げすぎ」

 圧倒的な素早さがあっても、芽衣には攻撃力が足りていない。そして防御力も低いようだ。カウンターで入れた軽い一撃で芽衣は数歩後ろへと吹き飛んでいった。私と同程度の背丈でも、体重差があるから踏ん張りが効いていないようだ。

 脂肪じゃなくて、これは筋肉の差だな。

「もっと食べないとね、芽衣」

「…………食べたら、ユカちみたいになれる?」

「かもね。ほら、おいで」

 攻撃の手が止まった芽衣を促す。第二ラウンドも攻撃の精度が落ちないのは、高い集中力の賜物だろう。まだ軽い彼女の拳を、私は片手で捌き続けた。

 日比芽衣。

 真っ黒な髪を持ち、人形のような容姿の少女だ。大人しい性格の持ち主だが、引っ込み思案というわけではない。自分の意見も持っているのに主張は少なくて、いつも誰かの顔色を窺っているように思われがちだ。彼女を大人しいだけの少女と評価するのは間違っている。芽衣は無口なだけで、その内面には燃え盛る炎よりも熱く、粘り気のある感情を隠している。

 彼女は強い。

 私やマユよりも、武術の才があるかもしれなかった。

「ほら、どうした、そんなもんか」

 激を飛ばして、芽衣を煽る。

 私との手合わせを所望してきたのは芽衣本人の意志だ。型稽古ではなく、こうして試合形式の稽古がしたいと望んだのだ。芽衣が本気だと悟るまでにいくつかの問答を要したけれど、最終的には彼女の意気を認めて立ち会うことを決めた。が、それは手加減をして彼女の遊び相手になってあげるなんて意味じゃない。

 私。そんなに器用じゃないの。

 芽衣の拳が空を切って、私は軽い裏拳をお見舞いした。ぐらりと芽衣の身体が揺れる。彼女はフル装備だ。試合でも使うヘッドギアと、胸当てを付けている。それでも私の一撃は堪えるだろう。中学時代、何人もの相手を畳に沈めてきた拳だ。

 技の冴えは現役時代と遜色ないし。

 ……こっそり練習しているからな。

「防御の意識、薄すぎ」

「……!」

 芽衣の拳が再び虚空をついて、隙だらけの胸元へと指貫きを放った。教科書に載せたいほどのカウンターだ。痛みによろめいた彼女が私を恨みがみがましく見上げていて、それもまた武術だと割り切る。勝敗があり、強弱がはっきりと分かるジャンルだから、小学生のちっぽけな自尊心など数日で折れてしまうだろう。

 天賦の才だけでは越えられない、努力を要する壁が武術にはあるのだ。

「まだ戦える? 頑張ってみる?」

「……やる。ユカちに一泡吹かす」

「んふふ。やる気だね」

 構え直した芽衣の瞳には、まだ炎が燃えている。

 今日初めての蹴りは、私の顔を狙っていた。

 思わず、使っていなかった側の手で防いだ。

「ん。惜しい。あと少しだね」

 私は高校になってからの一年、古武術の大会に出ていない。

 それでも、これだけ戦える。昔取った杵柄とは言うけれど、私のそれは十年物だ。実戦から離れていても、年季が違う。一朝一夕では追いつけないほど深く、この身体には武術の精髄が刻み込まれている。

 私の余裕に、芽衣も更なる闘志を燃やす。

「ユカちに、必殺技、みせてあげる」

「いいね。最高じゃん」

 気を高める芽衣に向けて、この前読んだ漫画の主人公を真似てポーズを取った。芽衣がどんな技を繰り出そうが、そう簡単に遅れを取るつもりはない。とはいえ、相手は幼馴染の妹だ。かつて本試合をしていた頃のような殺伐とした雰囲気はなく、ひりつくような肌の感覚もない。つまり、私は芽衣を舐めているのだ。

 ダメなんだよなぁ。

 武術をやる人間が、油断なんかしちゃ。

 深呼吸の後に構えた芽衣は、再び私の顔を狙って蹴りを放ってきた。

 この程度なら受けるのも容易い、と私は腕を上げる。それは理解の範疇からやって来た。私の顔を狙っていたはずの芽衣の脚が、私の胴へと狙いを変える。そして、無防備な腹へと一撃を加えたのである。ダメージは少ない。しかし、芽衣の得意げな顔が癪に障った。

 私は両親に愛されたくて、そのために努力して、古武術を学んだ。目的のものは手に入らなかったけど、それでも、一度は最強の名を手にしたのだ。その私に一撃を加えた。それが、芽衣の言う一泡吹かせるの正体だった。

 ……私も、ガチになろう。

「芽衣。顔を狙うよ」

「よーやく本気になったね、ユカち」

「……記念に一発蹴らしてあげたの」

 本気になったら、こてんぱんにしちゃうから。

 狙う部位を宣言をして、私はゆったりとした蹴りを放った。

 芽衣でも防御の構えをとるのが難しくない程度には遅く、しかし重い蹴りだ。小学生の彼女が全神経を腕に集中し、私の脚を受け止める。と同時に私は足の甲を返して、芽衣の腕をひっかけた。ぐいと引っ張り込んで、彼女の体勢を崩す。僅か三秒で、芽衣の身体は私に組み伏せられていた。ぷにぷにとヘッドギアの隙間から芽衣の頬を突きまわす。みゃー、と猫みたいな声を出して彼女は抵抗した。

 顔を狙うと宣言してから、たった五秒の出来事である。

「どうだ。まいったか」

 大人げないとは言わせない。

 強者であること。それが私を支える根底にあることを、芽衣は白日の下に晒そうとしている。理由は知らない。分かろうとも思わない。ただ、芽衣は本気なんだと思った。きっと彼女は強くなるし、いつか私が敵わなくなる時が来るかもしれない。その時には全力で戦おう。本気でぶつかり合える相手がいるというのは幸せなことだし、きっと楽しいことなのだから。

「どうよ芽衣。彼我の差を思い知った?」

「まだ降参しないもん」

「よろしい。んじゃ構えて」

「……」

 今度は私が攻める番だ。

 前へ出て、右腕を伸ばす。応じた芽衣が左脚を上げた瞬間、空いた足元へと倒れ込むようにして身体を沈めた。前回り受け身からの、胴回し回転蹴りである。空手の技としては大技も大技で、真正面から受けた芽衣は壁際まで吹っ飛んでいった。

 再戦は三秒で決着がついたな。

 防具を付けているし、当て方としては完璧だった。怪我をしているはずはないけれど、と思いつつもガレージの床に倒れたままの芽衣の元へ向かう。打ちっ放しの天井を見上げる芽衣は、満面の笑みを浮かべていた。

「ユカち、すごい……」

「芽衣もやれるようになるよ。来年くらいには」

 私が回転蹴りを覚えたのも中一の冬だったし。私よりも才能に溢れた彼女なら、夏休みくらいには覚えられるだろう。助け起こした芽衣の額には大粒の汗が浮いていた。

「もう終わりにする? 結構汗かいてきたけど」

「ううん。もっとやる!」

「……そっかぁ」

 稽古終了の提案は、無邪気に首を横へ振った小学生によって無に帰した。冬場の汗と疲労は危険だけど、芽衣と遊べる機会は少ないからなぁ。風邪をひくと、年末年始のお休みが台無しになるし。悩みどころだけど、彼女が元気なうちは言うことを聞いてあげよう。

 汗を拭って立ち会い直すと、芽衣がウィンクを飛ばしてきた。姉に比べて下手っぴだが、愛らしさでは勝るとも劣らない。今日は珍しくハイテンションだが、何かいいことでもあったのだろうか。

「ユカち。あとでお風呂。一緒に入ろうね」

「ん、いいよ」

 お姉ちゃんのマユが怒らなかったらね。芽衣には聞こえないように情報を付け足して、再び稽古という名目の手合わせを繰り返した。結局、睦が帰ってくるまで私たちの稽古は続いて、私は世界で一番真面目なクリスマスを過ごした高校生になってしまったのである。

 ……でも。

 久しぶりの対人稽古はすごく楽しかった。

 この楽しさが、芽衣から私へのクリスマスプレゼントなんだろうなって、そんなことを不意に思う程度には感謝の気持ちを抱く私だった。

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