粘着
浮気相手は女子小学生だった。
我ながら意味不明なことを口走ってしまった。
「どこから訂正したものか……」
問題点が多すぎて修正出来ない可能性もあるな。
高校生活一年目のクリスマスを迎えようとしている。幼馴染のマユは部活仲間と遊びに行くらしく、都合が合わなかった。せっかく仲良くなったソラも家族との用事があるそうだ。
クリスマスをひとりで過ごすのはつまらないから、遊び相手に知り合いの女子小学生を誘った。以上。それだけの話である。私は高校一年生で、相手は小学六年生。僅かよっつの年齢差だ。知り合った経緯も幼馴染の妹だからで、怪しいところはない。そもそも付き合っている相手のいない私にとっては、浮気相手ですらない。
「ふぅ」
言い訳はこのくらいにしておこう。私の両親は当然のようにクリスマスも仕事をしているし、友人も少ないので遊び相手を探すのに苦労した。ようやく見つけた遊び相手が、偶然にも小学生だったと言うだけの話である。
そういうことにしておこう。
「しとかないとな。危ないからな」
「ユカ姉は誰と話してんの……?」
「内緒。睦には秘密の話」
「ふーん?」
もう一人の小学生、日比睦が不思議そうに首を傾げている。
日比芽衣。私がクリスマスの遊び相手に選んだのはマユの妹である。無口な女の子だった。無愛想とか無表情みたいな言葉は彼女に相応しくない。ただ、無口なだけの少女である。部活仲間と遊びに行ったマユと入れ違うようにして私は彼女の家を訪れた。日比家では夕方頃からクリスマスパーティーをやるらしく、ご相伴に与る予定だ。それまでの時間を、マユの弟妹達と一緒に過ごす予定だったのだが。
玄関で靴を履き替える睦、芽衣の双子の姉に聞いてみる。
「どこ行くの?」
「友達のとこ。めーちゃんのことよろしくね!」
「おう。任せろ」
「ん! 行ってきまーす」
「クルマと不審者には気を付けるんだよー」
差し障りのない返答をして、元気よく駆け出していった睦を見送る。
遊び相手がひとり、減ってしまった。
続いて玄関に現れた光明くんが三和土へと腰を下げるのを待って、彼の首根っこを捕まえた。マユの弟で、双子ちゃんからは兄にあたる少年だ。彼はじたばたと暴れるでもなく、げんなりとした表情で私を見上げている。履きかけの靴を爪先にぶら下げたまま、彼は上半身だけをこちらへ向けてくれた。よし、これならコミュニケーションもとれそうだ。
「光明くんはどこ行くの?」
「友達んとこだよ。ユカ姉、留守番頼むよ」
「えー。マユとか、マユパパはどこ行ったのさ」
「姉貴は部活の友達と遊びに行ったし、親父とオカンは仕事だよ」
知ってるくせに、と光明くんは唇を尖らせて抗議してきた。彼は姉に似て友達が多いようだ。色んな友達ととっかえひっかえ遊んでいるらしい。部活仲間、クラスメイト、幼馴染。それぞれに違う相手の名前を思い浮かべられる光明くんは、きっとマンガの主人公にでも据えられるべき人間なのだろう。
先に家を出ていった睦の方は、友達の数こそ多くないけれど、話を聞く限りでは常に行動を共にしている相手がいるらしい。正直に言えば羨ましい。私の側にいるのは依存度の高い幼馴染くらいだからなぁ、と年下の少年少女に嫉妬混じりの羨望を向ける。ついでに光明くんが靴を履いているのを邪魔してあげることにした。
「ユカ姉、姉貴と遊べないからって拗ねるなよ」
「別に拗ねてませんけど。退屈の灰色で青春を塗りつぶしているだけよ」
「たとえが微妙に小説的」
「ふふっ。賢く見えるでしょ?」
渾身のボケに対して、光明くんが心底不思議そうな表情を覗かせる。
まったく伝わらなかったことを恥じて、私は彼の肩を思いきり叩くことにした。
「どーよ。賢く、みえる、でしょ!」
「いてぇって、ユカ姉。ちょい、俺、もう行くから」
「けーっ。どうぞ楽しんでくださいましねー!」
「……ユカ姉のこと、信頼しているからな。芽衣を頼むよ」
「ん。任せろ」
どれだけふざけていても、締めるところは締める。それが私だ。光明くんが危惧している内容は深く理解しているし、対策は色々考えてきている。受け攻めいくつか用意してこそ、困難を迎え入れる準備も整っていると言えるものだ。対人スキルの低い私がどれだけシュミレーション重ねても無意味なんだけどね。
「みっちーは心配性だなぁ」
「しょうがないだろ。家庭内不和はみたくない」
「そっか。頑張り給え」
「ユカ姉の双肩にかかってんだぞー……?」
小学生の妹が高校生の知り合いにゾッコンなのを、兄として心配しているようだ。その誠実な態度に、彼をいい子だと感じる。だけど件の芽衣も素直な子なのだ。どちらもいい子だから、私は身の振り方を迷っているのだけど。
「よっし。行ってらっしゃい」
「ん。行ってきます。……マジで頼むよ?」
「おっけー。任せろっての」
羽毛よりも軽い言葉で安請け合いして、光明くんを解放する。少年は何度も振り返って冬の街へと消えていった。今年が最後の中学校生活ということもあって、彼は思い出を作るのに忙しいのだろう。睦も一緒だ。小学校生活最後の三か月を全力で楽しく過ごすつもりのようだ。
友達とどれだけ遊べるかを兄妹で競っているようにも見えた。そう考えると、私の背後にくっついたまま離れない芽衣はどうなんだと思うけど。
芽衣。
私と一緒で、すんごく友達が少ない子供らしい。
彼女は私に依存している。それこそ、姉よりも酷く。
「ユカち。終わった?」
「んー。まだまだこれからって感じだけど」
「やっとふたりきりだね」
言葉の意味は深く考えない。
声に応えて振り返ると、芽衣がいた。私の服の裾を掴んで離してくれない。墨汁よりも照りのある黒色の髪は滑らかで、前髪だけが少し跳ねていた。大きな瞳は猫みたいで、感情の起伏が少ないせいもあって人形のような印象を受ける。年不相応に落ち着いた雰囲気の女の子だ。マユと同じ血を引くだけあって、小学生なのに私とほぼ同じ背丈をしている。でかい。最近の小学生は健やかに育っているなぁ、と思うことで私は心の平穏を保った。芽衣が中学生になったら、間違いなく私が見上げる側になるだろう。
正面から抱き着いてきた芽衣を抱き返しながら、どうしたものかなと判断に迷った。芽衣は私に懐いている。それはいい。問題は彼女の甘え方にあった。
「ユカち……すき……」
「めっちゃ依存してんだよなぁ」
「だって好きだもん。ユカち、可愛いし」
「褒めてくれてありがと」
ぽむぽむと芽衣の頭を撫でると彼女は蕩けるような顔で笑った。
この子、私が年上だと理解した上でこんな態度を取ってくるんだよね。まぁ、年上に甘える年下の子は可愛げがあるっていうけれど。マユよりも湿度が高くて、その癖に欲望は浅い。芽衣は私が抱きしめて頭を撫でるだけで満足するほどに清純な子なのに、その独占欲だけが濁っていた。これさえなければ、と私は額に手を当てる。
「芽衣、そろそろ離れてくれない?」
「ユカち、冷たい……。もっと優しくしてほしい」
「はいはい。よーしよし」
「わーい」
呑気な台詞とは裏腹に、芽衣はニコリともせず私に全体重を預けてくる。
年齢差はあれど、体格にはそれほどの差がない。私は壁際に追い詰められてしまった。こうなっては仕方なく、彼女を連れて居間へと向かう。布団のある部屋ではなく、こたつのある居間を選んだのに大した理由はない。ただ、そこにいた方が都合が良かっただけだ。
布団だと、ホラ。
芽衣は絶対「一緒に寝よ?」とか言い出すから。
芽衣の背中を押して居間に連れ込むと、すぐに彼女は私の膝の上に座ってきた。まるで自分の椅子であるかのように、堂々とした座りっぷりだ。これがマユなら突き飛ばしているけれど、小学生相手にそこまで大人げないことはしない。しかも芽衣には邪念がない。心底から私に甘えたがっているだけなのだ。
だから、余計に、やりづらい。
「…………」
「ユカち。撫でて」
「それしか言わないねぇ」
「それだけが望みなので」
ぬはっは、と変な笑い声が漏れた。
小学生とは思えない達観である。彼女は私の鎖骨当たりに顔を埋めている。もう少し私に背があれば胸元に顔を埋めているんだろうな、と漠然とした予想があった。これで芽衣の方が背の高い子になれば、きっと私の頭頂部に頬を摺り寄せるのだろう。自らの状況に応じて適切な居場所を見つけ出しそうな芽衣の才能に脱帽である。いや、この場合は私の妄想だけど。
芽衣は匂いを嗅いで満足したのか、ぷぃー、と可愛い溜息を吐いた。
「ユカち、いい匂いするから好き。安心する」
「さいですか」
「なんでだろね。いいもの食べてるの?」
「うーん。どうかなぁ」
毎晩、自室で孤独を貪ってますが。
小学生相手に不満や不平を吐露する気にはなれなくて、適当な言葉で誤魔化した。頭を撫でているうちに、芽衣の目がとろんとぼやけてきた。こうして黙っていれば可愛い子なんだけど、口を開くたびに私への妄執的な憧れが滲み出てくるので、正直怖い。私にそこまでの価値はないはずだ。だから、そんな私を好きになってくれる相手がいるってのが信じられないのだ。
マユは別だ。幼馴染だし。血縁がなくとも結縁した、ごく僅かな魂の友である。だからこそ、彼女のことは好きになれると思った。でも、それは恋じゃない。家族愛とか友愛であって恋愛感情ではないのだ。
「ユカち……」
芽衣の声色が甘ったるくなっていく。
どうしようか、この子。
このまま放置しておけば、勝手に寝てくれるだろうか。そう思って彼女を撫でていると、私のスマホが鳴動した。芽衣は一向に目覚める気配がない。眠気じゃなくて、私への妙な憧れから。
スマホを確認するとマユからの連絡が入っている。
「マユ、帰りが遅くなるかもって」
「やった。ユカち、いっぱいぎゅって出来る」
「うーん。そうだねぇ」
芽衣が私のことを離してくれないからねぇ。
マユは四六時中私と一緒だから、逆に余裕がある。待てと言えば待つし、お預けを食らっても耐えられる。でも芽衣は私と毎日会えるわけでもないので、こうして顔を合わせるたびに無尽蔵な愛を求めてくるのだ。
そういうのは、お姉ちゃん相手にやりなさいよ。
「芽衣はどうして私のこと好きなの?」
そういえば聞いたことなかったな、と思って聞いてみた。
むにゃむにゃしていた芽衣は、ぼーっと考えるような表情を見せる。特に理由もなく好きになったというなら、そのうちに私への依存度も下がっていくことだろう。放っておけばいい。
でも理由があって私を好きになったのなら。なってくれたのなら、どうしようかなと悩む私がいるのも事実だった。
「んー。格好いいから?」
「どこが格好良かったのかな」
「カラテが強いし。キレイだったから」
「……そっか」
そういうこともあるのか、と得心した。
マユに憧れるファンがいるのだ。
私に憧れる子がいても、不思議じゃなかった。
私は中学時代、日本一に輝いたこともあるほど古武術に打ち込んでいた。芽衣にとって、それはカラテと呼ぶべきものらしい。まぁ、詳しく知らない子にとっては私のやっている武術はカラテとの違いも分からないだろう。芽衣は柔道よりもカラテの才能があったらしく、私と同じ道場で汗を流していたのを覚えている。けして筋のいい子だとは言えなかったけど、ひたむきに稽古を積む姿は印象に残っていた。
あの頃から私のことが好きだったのか。
へぇ、ほー、と簡単を漏らした後、どうしたものかと再び首を捻る。
「私、もうカラテの稽古してないけど」
「でも強いでしょ」
「いやぁ、そんなには――」
言い掛けて、芽衣が拳を握りしめたのが見えた。
咄嗟の判断で私は構えた。頭で考えるよりも先に、身体が動いている。小学生の稚気を相手に、私は全力で応戦する構えを取っていた。その事実を脳が否定しようとフリーズを起こしたのを見届けて、芽衣は拳を解く。そして、私に抱き着いてきた。
「まだ続いてる。ユカちの道は」
「……そう、なのかな」
「ん。いつでも戻ってきてね」
待っているよ、と呟いた芽衣が安らかな寝息を立て始めた。
私の腕の中で安らかに眠る幼馴染の妹。彼女を前にして、私の胸中には様々な想いが渡来した。どうすべきか悩みに悩んで、私が出した結論。
それは、マユを頼ることだった。
「今更、私に武術の道なんて……」
両親に認められることもなく、続けたとしても将来の就職に役立つかも怪しい。そんな泡沫流派の技を磨くことに意味はあるのだろうか。膝の上で眠る芽衣の身体が重くて、それでも逃げられないままに彼女の背中を撫で続ける。
私がもう一度、武術の道を歩むなら。
そこにはきっと、敵となる相手が必要なのだった。
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