選外

 テストの結果は散々だった。

 学年の平均点がかなり低かったらしい。それならいっか、と普段よりもひとまわり点数の低くなった答案用紙を眺めながら思う。クラスメイト達はテストが終わった安堵と、芳しくなかった結果への不満が混じる微妙な塩梅の溜め息を漏らしていた。

 私は重い雰囲気の教室を離れ、図書室へと顔を出している。

「ソラはどうだった?」

「そこそこでした。あまりいつもと変わらずです」

「へー。成績上位者の貫禄があるね」

 ソラに仔細な点数を教えてもらう。平均点だけ聞いても十分なほど、彼女の頭が良いことが分かった。テスト直前に彼女から勉強を教えてもらっていたはずなのに、この彼我の差はどこでついたのだろう。

 元々の才能の差だと思えば、簡単に諦めることが出来た。

「追試は大丈夫でしたか?」

「私はセーフ。マユは数学だけ課題提出の刑に処された」

 赤点こそ免れたようだけど、僅か2点の差で、我が幼馴染は冬休み前にプリント学習をする羽目になってしまった。私は苦手科目の赤点も回避して、平穏無事な冬休みが迎えられそうだ。今回のテストは気合を入れて作りすぎた、と珍しく教師陣が反省をしている。だからと言って次の試験に教科書を持ち込ませろという要求を飲むつもりはないらしいけど。

 ま、テストのことはどうでもいいや。

 テスト明けの図書室は、思っていたよりも随分と和やかな雰囲気だった。オタクっぽい子達がそれぞれの趣味の本を広げて雑談に耽っている。普段は見ない顔もいて、今回のテストがどれだけの心労になっていたかを想像するに忍びない。まだ2月のテストが残っているけれど、最終的な成績はほぼ今回のテストで決まってしまうからな。高校一年の締めくくりとして、気合を入れない子の方が珍しいのだろう。

 普段より一回り低い点数と言えど、私はそこそこ点数が取れていたからな。ソラほど高くはないけれど、充分に胸を撫でおろせる点数だ。

 平々凡々な自分をキープできればいいと思っているし、実際にそうなった。だから悲しむことも、苦しむこともない。テストが終わったなぁ、と実感の薄い日がやってくるのみである。図書室の窓際に飾ってある造花を眺めていたら、ソラが私に視線を送っていることに気が付いた。珍しいこともあるものだと彼女に向き直る。

「どったの?」

「えっと……湯上さんは空手が強いんですよね」

「んー。平均よりは上って程度かな」

「……元、日本一と聞きましたけど」

 おっと。

 私の中学時代の偉業を、誰かか何かを経由して耳にしたようだ。話したことあったっけ、と過去に遡る気もない私は神様に問いただしてみる。返答はない。喋った記憶がないので、恐らくはソラがどこからか手に入れてきた情報だろう。彼女は私の首肯に目を輝かせると、手にしていた小説を閉じた。挟まれた栞にくくられた紐が、私を招くように揺れている。

 彼女の隣に座っていた私は、ソラの願い事を聞いてみることにした。

「何をしてほしいの?」

「あの。正拳突きとやらを見てみたいのですが」

「なぜに?」

「純度100%の興味です」

「……そこまで素直だと、逆に断り辛いね」

 好奇心に素直なソラのために、一芸を披露してあげることにした。

 深く構えて、前に拳を突き出す。ごく簡単な正拳突きの構えだ。突き出した拳に遅れて、微かに空気の爆ぜる音がする。技を披露すると、彼女は小さく手を叩いた。その手元にあった小説は時代劇風の武闘小説で、なるほど彼女が私の技を見てみたいと思った理由も推察できる。彼女の知識欲は果てを知らないのだろうか。

「ありがとうございます。やっぱり格好良いですね」

「いやまあ、うん。照れるんだけど」

「えっと、この技も使えます?」

「ん? ……うん。簡単だよ」

 ソラが示してきたのは蹴り技だった。私は椅子を立って、周囲の視線から逃げるように本棚の海へと逃げ込む。そして、簡単な上段蹴りを披露した。ソラが喜ぶ傍らで、私はまったく別のことを心配している。今、スカートの中身が見えなかっただろうか。自分でめくり上げて確認をしてみたけど、かなり微妙なラインだ。スカートの下には短パンを履いているから覗かれてもどうということはないのだけど、ちょっとした嗜みとしてね? うん、気にかけていたいじゃないか。

 次なるリクエストをしようと小説のページをめくっていたソラの手が不意に止まる。

「あれ? そういえば、日比さんは?」

「マユは教室。補習プリントを退治しているはず」

「そうですか。湯上さんの隣には、いつもあの人がいるイメージでしたけど」

「そんなことないよ。私達、結構別行動するから」

 嘘じゃない、と言っておこう。

 当然のことだ。一緒に登下校したり、お昼ご飯を食べたり、放課後に寄り道をしたり、休日に出掛けたりはする。けど、それでも四六時中一緒にいるわけではないのだ。マユは柔道部に所属しているが、私は帰宅部であることもその証明になるだろう。なってくれ、と思っている。

 そもそも図書室には、いつも私ひとりで来ている。

 変なことを聞くものだな、と私はソラの元へ戻る。彼女は小説を閉じたまま、私から視線を外さない。いつも本の世界に没頭している彼女にとっては、結構珍しい行動だ。

「なになに」

「湯上さん、クリスマスは日比さんと過ごすんですよね」

「いいや、今年は別行動だよ。マユは部活の子と遊ぶらしい」

「えっ。そうなんですか?」

「どうしてそんなに驚くのさー」

 幼馴染と言えど、寝食を常に共にするわけではない。そこまで行ったら家族だ。私は今のマユとの関係が深すぎることを気にしている。だから、節目にはマユの自律と自立を促すことにしているのだ。

 まぁ、夜にマユの家へ集まってケーキを食べるのは確定事項だけど。昼間は他の誰かと遊んで来い、と指示を出しているのである。そうしないとマユは私にべったりだし、私もそれを断れない。とても悪い依存関係だと思うから。

「ソラ、そうやって聞くってことは暇なの?」

「クリスマスの日ですか? 実は親戚の家に集まる予定で」

「おっ、いいじゃん。詳しく聞かせてよ」

 普段、あまり聞くことのないソラの身辺に関する話題だ。薄めの興味を更に引き延ばして、ソラに話を聞いてみる。彼女が語ったのは無難で平凡な親戚付き合いだ。親族の仲が良いから、そうした催し物が出来るのだろう。

 両親と仲の良くない私は、それが少し羨ましい。

「いいなぁ」

 自然と漏れた羨望は、ソラに微妙な顔をさせた。

 取り繕うこともなく、私は今年のクリスマスに思いを馳せる。

「どうしよ。誰と過ごそうかな」

 どうせ夜はマユと遊ぶのだ。それは分かっていても、少し寂しい気分は拭えない。友達をとっかえひっかえするタイプでもないし、クリスマスに初対面の相手と騒げるほどの性格も持ち合わせてはいない。

 悩んだ末に、私はとある少女に声を掛けることを決めるのだった。

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