結縁②
土曜日のお昼ご飯に、鍋を炊いている。マユの家の台所だ。
ぐつぐつと煮えていく野菜を眺めながら、ソラが私の肩に手を添えた。
「あのー。気になっていることがあるんですが……」
「味付けは鳥白湯になりました」
「へぇー。いや、そうではなく」
「え? 鍋以上に大事なもの、あるの?」
ソラはもぐもぐと言葉を飲み込むと、思考の海に潜り始める。
それはそれとして、鍋の味付けの話に戻ろうか。
マユの妹ちゃん達は、辛いものが苦手らしい。
小学生にキムチ鍋は早かったかー、と思いつつもマユの弟の光明くんがしょげた顔をしていたのは見るに忍びない者があった。しょーがないので、小鍋でキムチ鍋も作ってあげることにした。手間を減らすために鍋料理を作るつもりが、思わぬ手間が増えた形だ。その分笑顔が増えるなら、別に文句を言うつもりもないのだけれど。
ソラはどこか落ち着かない様子で私のまわりを歩き回っている。
鍋を覗き込むような仕草をしつつも、その視線は私に向いていた。何か聞きたいことがあるようだ。素直に質問をしてくれれば答えるけれど、言い淀むほどの内容を促す気にはならない。黙っていると、ようやく決心がついたのか、ソラは口を開いた。どんな話題を持ち出されるだろうと身構えた私は、少しだけ期待している。
彼女は長い黒髪を手で梳いて、私へと視線を合わせる。
遂に、質問が来るようだ。
「日比さんのご両親はどちらに? 御在宅ではないんですか」
「仕事だよー。夕方には帰ってくると思う」
「あ、そうなんですか。ご苦労様ですね……」
「まだ余裕な方だよ。マユ曰く、週に四日しか働かないオトナらしいし」
「……社会人、ではないのですか?」
大人は平日に仕事をするもの、と思っているらしいソラは小首を傾げている。平日と休日がカレンダー通りに過ごせるオトナはごく一部ということに、彼女はまだ気が付いていないようだ。
マユの両親の仕事は、不定期だし波がある。その分、休みも多いのだ。
ウチの両親みたいに土日返上で仕事に没頭するよりも、そのくらい余裕のある生活の方が望ましいだろう。マユの親がそれだけ休めるのは、他の誰にも任せられない仕事だからだ。今頃はどこかの山奥で熊と格闘していることだろう。鹿かもしれないし、猪かもしれない。ネズミの可能性も、ひょっとしたら宇宙人を相手にしている可能性もあった。
冬場は仕事がやや落ち着くと聞いていたけど、ここ数日は忙しいそうだ。
「どんなお仕事をされているんですか」
「害獣退治。あ、マユには言わないでね」
「どうしてです?」
「命あるものは皆、尊いのです。ガイジューって言うな! ってね」
マユの両親は職業柄、自然を相手に命を奪うこともある。マユの家の敷地には、荒ぶる御霊を鎮めるための小さなお社が構えられているほどだった。
害獣駆除と言っても、仕事の幅は実に広い。猟友会と協力して、人里に降りてきた動物を山林に追い返す日もあれば、街に出たネズミを追いかけて日が暮れるときもあると聞く。五分で終わってホクホク顔で帰ってくるところも見たことあるし、げっそりした顔で「割に合わない仕事だった」と愚痴を漏らしているのも聞いたことがある。話だけなら、随分と面白い仕事であるのは間違いないようだ。
差し障りのない情報を説明しただけなのに、ソラは目を輝かせている。
「……いいですね。ますます気になってきました」
「ソラ、すごく知りたがりだね。知的好奇心のカタマリじゃん」
「すいません。他人の家庭の事情を覗くようなことを言って」
「いいんじゃない? 隠しているわけでもないし、親の仕事を嫌っているわけでもないから。マユに聞けば教えてくれると思うよ」
「……そうですね。今度、聞いてみます」
ソラに芽生えた好奇心は至るところへ根を伸ばしているようだ。
彼女の次なる興味の対象がテーブルに並んだ大小様々な食器類に向いている間に、私は鍋に豚肉を放り込んだ。このお肉たちに火が通ればほぼ完成だ。ふたをして、後は待つだけとどっしり構える。と、左右からがっしり抱き着かれて足元が揺らぐ。
睦と芽衣、マユの可愛い双子の妹達だ。
「やっほ、ユカ姉」
「会いたかったよ、ユカち」
「ん。元気そうで何より」
小学生の双子は小柄でとても可愛い、と言いたいけれど、流石にマユと同じ血を引くだけあって発育が良い子供だった。決して私が小柄なわけじゃないんだろうと言い聞かせて、私よりほんの少し背が低いだけの双子の頭を撫でる。睦も芽衣も外見は非情にそっくりだけど、睦の方が感情表現が豊かだ。常に微笑をたたえているその頬をつつくと、彼女は嬉しそうに私へと抱き着く力を強めた。
「ユカ姉、ご飯まだ?」
「よしよし。もう少しでお鍋出来るからね」
「あそぼー。だっこして」
「芽衣はもうちょっと気を遣って」
睦は聞き分けよくテーブルへ向かい、初対面のソラを相手に挨拶をしていた。小学生とは思えないしっかり者だ。
一方の芽衣は、無表情ながらに甘えん坊である。私に抱き着いたまま離れようとしない。抱きしめる力は強くもないのに、ぐっと私を掴んで離さない。マユよりも、なぜか私に似ている女の子だ。長く遊んでいるうちに、湯上家の血が混ざってしまったのかもしれない、とオカルト的な妄想をしてみる。それはそれでいいな、と冷静に判断してしまう私がいた。
芽衣を抱っこしたまま鍋を見る。じゃれていたら、光明くんが台所に帰ってきた。後は彼に任せて、私はマユの妹たちと戯れることにしよう。
「みっちー。鍋みといて」
「ん? おう。味付けは?」
「終わった。胡椒と醤油を少し足しといて」
「終わってないじゃん。りょーかーい」
バトンタッチのため、光明くんとハイタッチをしたらマユが帰ってきた。私に抱き着いている芽衣を発見して一瞬だけ固まった後、ずかずかと歩み寄ってくる。これはタックルの構えだな、と私は近くにあったおたまを掴んで構えた。お出汁が飛んで、マユが歩みを止める。その頬は明確に膨らんでいて、私にくっつく芽衣が腕に力を込めたのが分かる。
鍋の煮える音が、一瞬の静寂の間を縫うようにして耳に届いた。
「ずるいぞ、芽衣」
「……お姉ちゃんがユカちに甘えすぎなの」
「んなことないけど。芽衣だって、ユカちゃんの邪魔しちゃダメでしょ」
「もう料理は終わったもんね、ユカち」
「え? あー、うん。そうだね」
薄々感じ取れる姉妹の険悪な雰囲気は、原因が自分にあることを知っている。
なので、素知らぬ顔をすることを決めた。膨れっ面のマユが椅子に座って、私と芽衣はテーブルを挟んで向かい側に座る。ひょいと席を立ったマユが、私を挟んで芽衣の反対側に座った。姉妹に挟まれる形だ。芽衣は私に甘えるように抱き着いたままで、マユも椅子ごとくっついて私の腕を抱いてきた。いつも通りの光景ではあるけれど、姉妹の内心で渦巻く感情を想像するとやや落ち着かない。
やや離れた位置で満面の笑みを浮かべるソラも、いい性格をしているようだ。
テーブルの向こうにいる睦が、私達を指差して笑った。
「またくっついてるー。姉ちゃんたち、甘えん坊だね」
「だってユカちゃんが可愛いんだもーん」
「むぅちゃんもハグすれば分かるよ。お姉ちゃんと代わってもらったら?」
「いいよ、別に。私はソラ姉とお話してるから」
それでそれで、と睦はソラとの会話に戻っていった。
マユの妹のうち、睦はかなり人懐っこい。初対面の人を相手にしても物怖じしないし、自分の意見をはっきりと口にする。私にくっついたまま、何も言わずに瞼を下ろしている芽衣とは性格にかなりの差があった。まぁ、マユと比べて双子に合う機会は少ないから、たまにしか会えない相手には思う存分に甘えておきたいと思うのも無理はないのだろう。
本当にそれだけか? と警鐘を鳴らす自分がいた。
そうに違いない、と軽傷を覚悟で無視する自分もいる。
どうしようかと迷う私に蜘蛛の糸を垂らしてくれたのは、先程、鍋の最終調整を任せた光明くんだった。キムチ鍋を作ってあげた優しさが、巡り巡って私を助けているのかもしれない。そう思うことにした。
「マユ姉、ユカ姉。鍋持ってくから暴れるなよ」
「みっちーもこぼさないように。ってか暴れないよ?」
「どうだか。おーい、通るぞ。睦も動くな、火傷すんぞ」
ソラとの会話に夢中な睦の前を横切って、光明が鍋をテーブルに乗せてくれた。
一時はどうなるかと思ったがが、ようやく鍋パーティーが始まるようだ。私を挟んだ姉妹が火花を散らしているのはさておくとして、仲良しのメンバーで囲む食卓は、我が家の寂しい食事とは比べ物にならない。真っ白な鳥白湯のスープは深みのある味わいで、心と体の両方に染み渡っていく。他の何にも代えられない、幸せの味が口いっぱいに広がっていた。
こんな毎日が永遠に続けばいいのに。
私は、そんなことを考えるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます