結縁①
学期末のテストが終わった。
つまり、鍋パーティーの時間である。
「なぜ……?」
「いや、マユと私の恒例行事なんだよ」
「私も参加して良かったんでしょうか」
「酒井っちも遠慮しないの。んじゃ、後はよろしく」
一瞬だけ顔を見せて、マユは奥へと引っ込んでいく。
今日はマユの家にソラと一緒にお邪魔していた。繰り返すが、今日はテストの打ち上げである。学期末のテストがどれだけ手強かったかは、返却の時に嫌でも分かるだろう。……あぁ、夢なら早く覚めてほしい。
金曜日に私とマユで開いた勉強会は、主に私のメンタルが弱っていたために途中からグダグダになっていた。そこで、土日に暇をしていたソラに頭を下げて勉強を教えてもらったのである。学年一の秀才と呼ばれているだけあって、彼女の教え方はとても丁寧だった。分からないことをバカにせず、知らないことを笑わない。質問をする私達が安心して尋ねられるという意味では、先生よりも先生っぽくて好きだった。
ちなみに、私達が一番苦労したのは理系科目だ。
マユが苦戦していた世界史も、なんだかんだ言って頑張れば自力で対処できる程度の科目である。暗記すればいいし。でも、数学とか化学だけは、どうしようもない。解き方のコツを覚えようにも、新しい問題、新しい数値になった途端に脳みそがショートする。世界史の解説では丁寧で柔らかな説明をしてくれたソラも、”さんすう”でつまずく私達には意外とスパルタ指導だった。苦手分野に時間を掛けるより、得意分野で勝負しろということらしい。ただ、マユには地頭の良さがあるのでコツさえ掴めばサクッと解いてしまう。興味関心のあるものにだけ強い私は、ふたりに追いつこうとするだけでいっぱいいっぱいだった。
テストの振り返り、終わり!
今日は、待ちに待った鍋パーティーである。
「あのー、湯上さん。それで、なぜ、鍋?」
「作るのが簡単だからね。味も安定しているし」
「そうなんですか。なんか、大変なイメージがありますけど」
「あれ、ソラは料理とかしないの?」
私の問いかけに、ソラは小さく頷いた。
意外だ。秀才ちゃんにも出来ないことがあるらしい。私は両親が共働きをしていた影響で、家事を一通りはこなせるようになった。味付けも匙加減出来るし、ある程度の腕はあるつもりだ。まぁでも、必要に迫られれば料理なんて誰でも出来るようになるからね。特に自慢できることではないのかもしれない。
マユが住んでいるのは、築四十年の古い家だ。台所は広いけど、水道周りがすこしボロっちくなっていた。
とりあえず野菜を切るか、と準備を始めたところで台所に少年が現れる。
マユの弟くんだった。
「久しぶり、ユカ姉」
「よっ。またデカくなったな」
「ユカ姉が縮んだんじゃない?」
生意気なことを言うやつだ。げしげしと肘鉄を食らわせてやると、彼は楽しそうに笑った。少しだけ本気を出してみたけど、笑いながら耐えてみせる。柔道部の姉から毎日のようにタックルを食らっているだけあって、防御力はかなり高いようだ。それでこそ頼れる弟くんである。私が本気を出せば、といらぬ気合を出してしまいそうだった。
ソラは初対面の少年を相手に距離を取っている。
そうだな。まずは自己紹介をしてもらおう。
「ほら、挨拶」
「うす、ユカ姉!」
体育会系的なノリも、たまには役立つ。
ぴしっと背筋を伸ばしたマユの弟が、ソラへと向き直った。
「初めまして。日比光明です」
「酒井空です。こちらこそ、初めまして」
ぺこぺことふたりが会釈をしあう、なんともぎこちない雰囲気だ。私だって初めて会ったときはこんな感じだった。ソラも、マユの弟妹たちと仲良くしてくれると嬉しいんだけどね。
どこまで仲良くなるかは、ふたりの自由だ。
「みっちー。マユはどうしてんの?」
「妹たちと遊んでるよ。多分、居間にいるんじゃないかな」
「あの。日比……真由子さんは何人兄弟なんですか?」
「弟がひとりと、妹がふたりだよね」
「うん。俺が中三で、妹は双子の小学六年生」
へー、とソラが感嘆の声を上げた。マユに兄弟がいるのは知っていても、その内訳までは知らなかったらしい。同級生でも四人兄弟というのは珍しいから、その意味でも驚いているのだろう。マユの弟、光明くんはごく自然な流れで私の料理を手伝ってくれるようだ。彼も学校の試験を終えて、暇な時期になっているのかもしれない。本当か? 高校受験真っ只中だと思うけど。12月だし。
「みっちーは高校受かったの?」
「うん。ユカ姉と一緒の学校だよ」
「マジでぇ。教えてくれれば良かったのに」
「どうせマユ姉から聞くと思ってたんだけど……」
「いやいや。マユとはみっちーの話しないし」
「うわ、それはそれでショックかも」
困ったように笑う光明くんは、マユとよく似ている。僅かに栗色掛かった髪も、鳶色の瞳も、マユそっくりだ。身長も高いし、きっと女の子にモテるんだろう。水場に立つと、光明くんは手際よく野菜を切り始めた。包丁さばきもなかなかのものだ。私も負けじと手を動かす。ふたりで包丁を振り回すのは時間とスペースの無駄なので、鍋をテーブルに用意して調味料なんかを用意することにした。
ソラは勝手が分からず、椅子に座って待機していた。
ぼんやりと光明くんの包丁さばきを眺めているようだ。
「マユの弟くんを見た感想は?」
「えっと、その……特に何も……」
「ちょっと、ユカ姉。サカイ先輩困ってんじゃん」
「えー。これがソラの”間”なんですけどぉ」
ケタケタ笑いながら、ソラと光明くんの双方をからかう。
新しい人間関係が生まれる瞬間に立ち会うのは、なんともこそばゆくて面白い。私は友達が少ないけれど、友達付き合いをしている同級生を外から眺めるのは嫌いじゃないのだ。そこには私が知らない世界が広がっている。私では想像しきれないほど深く広い思考や感情のやり取りがあって、友情が生まれたり、険悪な関係になったりする。それが美しいと思う。
だから、他人を眺めているのは好きだ。
好き、なんだと思う。
「サカイ先輩、辛いのは苦手? 苦手なら鳥白湯の素使うけど」
「いえ、普通くらいですけど……」
「ありがと。んじゃユカ姉、キムチの量はどのくらいにすんの?」
「ちょい待ち。鳥白湯でいいじゃん。おチビは食べれられるの?」
「だって冷蔵庫にキムチ余ってるし。……睦と芽衣に聞いてくるわ」
野菜を切り終えた光明くんが台所を出ていく。双子の妹たちが辛いものを食べられるか、姉も含めて確認をしにいったようだ。
家庭によってお財布事情はまちまちで、彼のように冷蔵庫の食材を丁寧に把握することが必須スキルとして求められている家庭もある。私の家では、そもそも冷蔵庫に入っている食材は私が買って放り込んでいるものと、両親が夜な夜な買ってくるアルコールで埋まっている。特に調べる必要もなく、まるで生活している感じがないスカスカな冷蔵庫である。
「ソラ、ごめんね。おいてきぼりかな」
「正直、そうですね。でも楽しいです」
「……そうなの?」
「はい。ミツアキくん、格好いいですね」
にこにこと、これまでに見たことのない表情でソラが笑っている。
そういうこともあるのか、と私は内心で膝を叩いた。光明くんはマユに似て格好いい少年だ。年齢が近いのも手伝って、私とも距離が近くて仲の良い男の子だった。そんな彼にソラが興味を示し、僅かながらも惹かれる様子を見せている。ここで私が注意すべきは、つまり。ソラも、マユに心を惹かれる可能性があるということだった。
マユの弟くんには、マユにはない魅力があるだろう。けれどそれは、逆説的に、マユにも彼が持ちえない魅力がある可能性を示唆している。光明くんと仲良くなったソラが、彼にはない魅力をマユに感じ取る。そして、マユともっと仲良くなろうとして距離を詰め始める……。
「うっ。サイアクだ」
そういう妄想を始めてしまった自分が。
その可能性を拭いきれない自分が。
ソラと幼馴染の弟との、友情すら芽生えていない関係を潰そうとする自分が。
「ぬあ……ダメ……クソじゃん……」
「ゆ、湯上さん。大丈夫ですか?」
「うん、へいき……ただの自己嫌悪だから……」
頭を抱えてうずくまる私に、ソラは優しく声を掛けてくれる。彼我の器量の差に恥じ入るばかりである。どうにか気を取り直して、ソラの手を握る。彼女は心配そうに私を見つめていた。鍋の準備をしていたら急に頭を抱えだす同級生、と字面に起こしてみれば確かに心配したくなるな。うん、まずは彼女の不安を拭うことを第一目標にしよう。
嘘だけど。
「ソラは女の子に興味ないよね?」
「いきなり何を言い出すんですか」
「いやマジな話だから」
「いや……別に、そこまで深く考えたことありませんけど」
彼女の言う通り、ソラは自身の恋愛に対して強い興味を抱いていない。むしろ恋愛沙汰は避けようとしている節さえある。私が迫ったところで、怯えたように逃げるのがオチだろう。しかし恋は人間を狂わせるというからなぁ。迷った末、私は両手を横に広げた。マユに向ければ、まず間違いなくハグをしてくれる構えである。だけどソラには通じなかったのか、首を傾げるばかりだ。
彼女は逡巡して、私と同じように手を横へ広げる。
その滑稽さが面白くて、横に広げたまま手を握り合った。
「あの……これは?」
「鍋パーティに必要な儀式です」
「絶対に嘘ですよね。……まぁ、いいですけど」
笑って受け流してくれたソラは、本当にいい子ちゃんだ。
彼女にマユを取られないために出来ること。
散々考えた末、私の脳裏に浮かんだのは美味しいお鍋を作ること。誰でも努力すれば出来るようになる料理で、未経験者のソラ相手にマウントを取ることだった。
妹たちに味付けの方針を聞きに行った光明くんが帰ってくるのを待って、私は真剣に鍋を作ることを心に誓うのだった。
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