鏡花

 健康優良児の私達は、体力作りをすることにした。もちろん、幼馴染がふたり揃って風邪をひいてしまったことへの戒めを多分に含んでいる。学校のジャージに身を包んだ女子高生も、三人寄れば文殊の知恵だ。今なら文武両道かもしれないぜ。

「湯上さん。どうして私まで……」

「だってソラ、暇だって言っていたから」

「うーん。まぁ、言いましたけど……」

 ソラは渋い顔をしていたが、最後には私の提案を受け入れてくれた。

 女子三人揃えば何とやら、だけど私達の間には爽やかで薄っぺらい繋がりしか存在しない。風邪から復調した人間が一気に体力を全盛期まで戻すことは難しいから、私がストレッチとランニングを提案したのだ。

 マユは少し考え込む素振りを見せてから、私の意見に同意した。

「まあ、いっか。酒井っちも一緒にやろうね」

「あの、私はすごく運動音痴なんですけど……」

「酒井っちのトレーニングは程々でいいよ」

「もしもの時は私達の監督役をよろしく」

「ユカちゃん、たまに張り切りすぎることがあるからね」

 にしし、とマユが歯を見せて笑った。この王子様然とした笑顔にやられてしまう女子は多いのだけど、ソラは特に心を射抜かれた様子もない。よかった。

 暇を持て余していたソラもトレーニングに引っ張り出したけど、彼女に走り込みを期待しているわけじゃない。マユが言ったように、私達が張り切りすぎたときの押さえ役になってほしいのだ。

 私には、練習や稽古を頑張りすぎる自覚がある。徹底的なやり込みによって空手の全国大会で優勝したはいいものの、オーバーワークが過ぎて大会後はしばらく身体が動かなくなった経験もあるし。才能がない分、努力で穴埋めをしていたってことだろう。まぁ、その穴が深すぎたわけだけど。

「よーし。じゃ、やろうか」

「ソラは無理しないようにね」

 軽く柔軟体操をして身体を温めて、それからランニングを始めた。てこてこと、家の近所を走る。ソラは最初から追いつくことを諦めて、自転車で私達の後を追いかけて来る。それでも私達を追い抜かない程度のゆっくりとした走りだった。自転車で競争しても、私達が勝てそうだな。

 さて。

 私は身長が低い割に筋力がある。身体のバランスが良いのだ。一方のマユはというと、どちらかと言えばパワータイプだ。体力だけで言えば、圧倒的にマユの方が上だろう。だから、彼女が風邪をひく軟弱な奴になっているとは思わなかった。よほど、今年の風邪ウイルスは強敵だったと見える。

 そんなことを考えながら走っていると、後ろの方から声援が聞こえてきた。振り返ると、必死になってペダルを漕いでいるソラの姿があった。彼女はどうやら私達を励ましてくれるらしい。ふと隣を見ると、マユも笑みを浮かべていた。真面目ちゃんだから、とあまりいい噂を聞けないソラだけど、こうして友人付き合いをしてみればかなり可愛げのある女の子なのだ。

「ちょっとペース上げちゃう?」

「無理しない程度にね」

「あと、ソラを置いて行かないように」

 ふたりで話し合って、少しペースを上げる。

 ソラもちゃんと追いかけてきてくれた。

 マユは私よりも早く走る。そして、息を乱さない。持久力も、瞬発力もある。羨ましい限りだ。そういえば、彼女は中学の頃から長距離走が得意だった気がする。運動神経がいいんだよな、マユは。体格にも恵まれているし、このまま大学もスポーツ選抜で行ったりするのだろうか。私は特に行きたい大学もないので、マユに進路を合わせる予定である。高校は、マユが私に合わせてくれたしね。

 上げたペースを落とすことなく、私たちはいつもの公園に到着した。

 それなりの距離を走ったけど、マユの額には汗が滲む程度だ。

 ただ、呼吸は苦しそうだ。

「ひ、ひぃ。三日休むと、戻すのに一週間掛かるじゃん」

「は、ふぅ。そういう、もんでしょ」

「ひー、ひー、ひー」

「……酒井っちが一番ツラそうだねー」

 今にも死にそうな音を立てて息を吸うソラの背を、マユが優しく擦ってあげる。なぜか自転車に乗っていたはずのソラが一番疲れているようだ。

 私達にとってはいつものルートでも、彼女にとっては知らない道だ。私達に置いて行かれてはいけない、と余分なプレッシャーを背負っていた分、身体が重かったのだろう。多分。まさか自転車に乗るだけで息が切れるほど体力がないなんて……。

 ま、無理なものはしょうがない。ソラの膝が笑っていて、もうしばらくは走れなさそうなので公園でトレーニングをすることにした。

 柔道部のマユと、古武術の私。強くなるために重要な練習法と言えば――組手である。お互いに相手の動きを観察しつつ、自分の動きを最適化していく。組み合った時の強さも重要だが、それよりも重要なのは自分の長所を活かすことだ。しかし、公園で取っ組み合うわけにもいかない。こういう時、私達はただひたすらに走り込みをすることにしていた。

 時間を決めて、一定のペースで走ったり。

 短距離を、ただ速く駆け抜けたり。

 とにかく足腰を強くする。

 マユはどっしりと構えるために。私は、蹴りの威力を上げるために。目的は違えども、体力をつけるために走り込むのはそれなりに楽しかった。ある程度は体力が同じくらいで、そして気心の知れている相手が一緒だと、意外と練習も楽しくなるものだ。

 マユも古武術の道に来てくれれば、と浮かんだ甘えを振り払う。こんなんだから、私は依存心を捨てられない。

 一時間ほど走り込んだだろうか。ソラも体力が許す限り、私達の走り込みに参加してきた。その心意気が健気で、とっても可愛らしい。

 ちょうど師走だしね。僧侶みたいな、どっしりと構えている人でも走り回るほどに忙しい時期ってことだ。ソラが走り回っているのは忙しいからじゃないけど、まぁ、そういうのはどうでもいいじゃないか。

「よーし。それじゃ、ここまでにしよう」

「ん。お疲れー」

 トレーニングを終えて、私達は家に戻ることにした。私の家は当然のように両親が仕事に出掛けているので、子供が集まるにはいい場所である。悪巧みをする友達がいないので、不良の溜まり場にならなかったのが幸いだ。

「私はシャワー借りるけど。酒井っちも?」

「あ、えっと、私は……」

「浴びていきなよ。そのままだと風邪ひくよ。私もこの前、風邪ひいたし」

「娘が汗だくで息を切らして帰ってきたら、流石に親も驚くんじゃないかな……」

 色々と理由を並べ立てて、彼女をお風呂に誘うことにした。

 特に深い意味はない。ただ本当に、冬場の汗を放置すると風邪をひく気がする。彼女は生真面目だから、きっと自分だけ先に帰宅することもできないのだろう。ソラや私が一緒ならいいけど、ひとりでは家に帰りづらいに違いない。別に彼女の自宅を知っているわけではないけど、なんとなくそんな感じがしたのだ。

 ソラは私達の提案に少し悩んでから、やがて覚悟を決めたように頷いた。

「覗かないでくださいね」

「なっ、覗くわけないじゃんか、マユじゃあるまいし」

「ちょっとー。覗く趣味があるのはユカちゃんの方でしょ」

「誓って人生で一度も覗いたことないんだけど」

 ただ、風呂場で全裸のマユと鉢合わせたことがある程度だ。

 マユだって私のを見たことあるし、っていうか中学生の頃も普通に一緒にお風呂に入っていたのに、何を今更という話である。確かに思春期特有の恥ずかしさはあったけど、マユと一緒に入浴してもドキドキしなかった。いやまぁ、お互いに裸は見慣れているからね。お風呂とかも普通に一緒に入る程度には仲の良い幼馴染だったので。

 私達が言い合っているのをみて、なぜかソラは楽しそうだ。

 自宅に戻った後、ソラが一番風呂に入っていった。身体が一番弱い子から、体調を整えさせる。当然の配慮である。手待ち時間に着替えの用意をしていたら、マユに手招きをされた。

「ユカちゃん。こっち来て」

「ん。何?」

「すぅー……」

 呼ばれてついて行ったら、急に抱きしめられた。

 そして、マユは私の汗の匂いを嗅いでいる。

「キモい。キモすぎる」

「ユカちゃんだってやってたじゃん。この間、私が風邪をひいたとき」

「……………………」

 微塵も反論できなかったので黙っていることしか出来なかった。お互い様だろう。小学生の頃も、お互いに甘えるようにして抱き合っていたし、その時もマユはいい匂いがしたから――よそう、やめよう。黒歴史を掘りだして何になるというのだ。しかし、ソラが来てくれなかったら私達はどうなっていたのだろうか。マユは間違いなく、私を性的対象として見ていたと思う。ただ、マユと私の関係は親友であり、それ以上でもそれ以下でもない。少なくとも私は、そのつもりだった。

 言い合いながら互いをぽこじゃかと叩いていたら、風呂上りのソラが怪訝な顔をしていた。

「喧嘩、ですか」

「いいや。これは愛情表現だよ。スキンシップの一環だね? ほら、ユカちゃんも」

 マユに促されて、渋々ハグをしてあげた。

 すると、ソラは嬉しそうな顔になる。彼女にとって、私達がどんな風に見えているのか。なんだか、少し心配になってくるのだった。

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