ゆがむ繭の中で
空手は好きだ。
もっと広く、格闘技が好きだった。
突き、蹴り、関節、投げ。様々な攻撃手段がある中で、空手はシンプルでわかりやすい。私が習っていたところは、急所以外はどこを狙っても良かった。拳で顔を狙ってもいいし、脚で膝を狙ってもいい。相手に勝つための様々な技を先人から受け継ぎ、新たに生み、伝えていく。その過程が好きだった。マユにとっての柔道も同じだろう。たまたま、彼女の得意な武術が柔道だっただけなのだ。
そして、たまたま、彼女の側にいたのが私だっただけなのだ。
「んで。なんで膝枕なの」
「好きなことしてもらえるって聞いたから」
「いや……まぁ……言ったけど……」
「んひひ、ちあわせ」
キモい、と喉元まで出かけてぐっと飲み込んだ。
今日は私の部屋で、マユと駄弁っている。
昨日、マユが柔道の大会で優勝した記念に彼女の願い事を叶えてあげることにした。祝勝会をやるにしても高校生の財力では大それたことは不可能だから、家でお菓子を食べながら彼女の頑張りを褒め称える会と相成ったわけである。
私の膝で眠る彼女の髪を撫でる。耳の裏から首筋にかけて、ゆっくりと指を這わせる。マユがもじもじと下半身をくねらせるのが面白かった。くすぐったいのだろう。私よりも大柄な彼女を膝にのせていると、あれ、これは逆の方がしっくりくるんじゃないかと思うことはある。……後で私もやってもらおう。
「ユカちゃん、手、止まってる」
「ごめん。考え事してた」
「えー。なんか不公平だ」
「何が?」
「私はユカちゃんのことだけ考えていたのに」
なかなか面白い冗談だった。
私が肩をすくめて笑うと、マユはむすっとした表情を浮かべる。
あまり認めたくはないけど、可愛いのは確かだった。言い訳をするのも面倒で、私は彼女の頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でた。猫みたいな唸り声をあげて、マユは目を細めたまま気持ち良さそうにしている。ふと思い立って、マユの耳に唇を寄せてみた。特に何かをしたいわけじゃない。反応がみたかっただけだ。彼女は何も言わない。黙って私を見つめ返すだけだ。
この瞳で、何人の子を射抜いてきたのだろう。
そういえば、優勝した後の表彰式でも色んな子に囲まれていたな。私は先に返っちゃったけど、ソラから送ってもらった写真でバッチリと証拠も残っている。いつかマユも私への執着を薄めて、他の子へと親愛の情を向ける日が来るのだろうか。それは何だか。はっきりと、嫌だと思った。
「ねぇ、マユ。もうちょっと寝てていいよ」
「ん。甘える」
寝ぼけた目で、マユはこくりと頷いた。いつか、この平凡な毎日を失うかもしれないのだ。普通の友達、普通の幼馴染よりも私達の距離は近い。欠けていたもの、足りないものを補うようにして私達は友達になった。初めて彼女と話した日のことはもう思い出せないけど、きっと私達の関係は傷跡に出来たかさぶたみたいなものなのだ。いつか離れるとは分かっていても、今すぐ剥がせば出血を伴う痛みがある。
私は、それが怖くて仕方がなかった。でも、私は彼女の友達で、幼馴染で、親友で。いつか、敵になるかもしれない相手だった。
「優勝した瞬間が一番格好良かったよ」
「ありがとー。もっと褒めて?」
「ヤだ。調子に乗るじゃん」
「バレたか。ユカちゃんも空手再開すればいいのに」
「試合にはもう出ないよ。満足しているもん」
私は最強の座が欲しかったわけじゃないし。
空手は趣味じゃない。生活の一部だし、惰性のように続けてきただけだ。それに、私はもう十分強い。平凡に生まれ育った私がそれ以上を求めるには、満足しすぎていた。今は、マユも私のことだけを見ているし。
私の膝枕で眠る、マユの唇に手を触れる。摘まむとふにふにして心地いい。肌もモチモチしていて、ちゃんと手入れしているのが伝わってくる。外面だけなら、やっぱり彼女は綺麗で可愛い子だった。マユは私のことをよく見てくれているけど、その実、自分自身のことはあまり分かっていない節がある。自分がどれだけ魅力的で、周りの人間を惹きつけてしまうのか、それを分かっていないのだ。その自覚がないから、昨日みたいに厄介な追っかけが出てくることもある。マユに近付きたいを思っている子なんて山ほどいるのに、当の本人は無防備すぎる。
「……寝た?」
反応がない。
ちゃんと寝ているのか、頬を突いて確認する。大丈夫そうだ。
「……他の子に、うつつを抜かさないでね」
マユの鼻先に軽くキスをしてみる。起きない。
今度は頬っぺたに口づけする。まだ起きない。
「おい。起きろ」
「…………」
仕方がないから、耳元へと吐息を吹きかける。
明らかに腰が跳ねたし、表情も変わった。
こいつ、やっぱり起きてるな。
「サービスはここまで。続きは有料です」
「えー、払うからやってよ」
「百億マン円。ローン不可の一括現金払いね」
「元ネタよりえぐすぎんか? ちぇっ、ユカちゃんのケチ」
笑いながら身を起こしたマユの膝に、今度は私が飛び込んだ。
彼女は仕方がないなとぼやきながらも、私の頭を撫でててくれる。私たちは幼馴染だし、親友だけど、恋人ではない。恋人になる予定はない。今のところ。だけど、そこには執着にも似た感情がある。
マユの隣に立つのは、私だけでいい。私は他の子とも普通に仲良くするし、ソラみたいな友達だって作るけど、マユにとっての親友は私だけであってほしい。膝に乗せた私を撫でる彼女の瞳の奥にも、私と同じ考えが滲んでいた。
私達は共依存している。
相手には自分だけがいてほしいと願いながら、自分だけは泥沼のように沈む関係から逃れられると思い込んでいるのだ。視界が狭くて、思考も浅い。どこまでも子供な私達は、だからこそ抜け出せない。
「ねぇ、マユ」
「なぁに、ユカちゃん」
「……別に。何も」
ひょいと身体を起こして、マユに抱き着いた。
平々凡々に閉じる世界の中で。
私達はぎゅっと抱きしめあう。そこには恋愛感情なんてなくて、でも、恋なんて言葉が薄っぺらく感じるほどに濃い感情があるのだ。それを確かめるために、私達は抱きしめあう。
マユがいれば、それでいいか。
そんなことを思う程度には、私は彼女のことが、好きなんだなぁと思った。
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