ひびの、ゆがみ②

 第二回戦、第一試合。

 シード権を持ったマユにとって、今日初めての試合だ。

 審判が立ち、マユと対戦相手の子が試合場に入っていく。相手の子はガチガチに緊張していた。同じ一年生ながら、圧倒的な声援を受けるマユに気後れしているようだった。一方のマユはというと、気負った様子を微塵も見せていない。鋼の精神力があるからこその業だ。

 ブーイングの嵐に遭っても、マユのメンタルは崩れない。私が応援席にいる事実がある限り、彼女は試合場に立ち続けるだろう。ま、それでも、最強の称号を掴むには全国の壁は分厚いんだけどね。

 手を振っただけで席に戻った私に、ソラが話しかけてくる。

「応援、しないんですか?」

「したよ。手を振った」

「あれで終わり、なんですか」

 めちゃくちゃ吃驚しているようだ。

 そりゃそうか、と思って補足しておくことにした。

「見ているだけでいいの。声掛けしても、マユは振り向かないよ」

「へぇー。すごい集中力……」

「んふふ。そう思ってくれるのは嬉しいねぇ」

 私が観ていることに気付いているだろうけど、反応しない。私からの警告を素直に守ってくれているようだ。私に尻尾を振るために対戦相手をないがしろにするなら、二度と応援には行かない。そんなことを中学生の頃に伝えて以来、試合に対して更に真摯に取り組むようになった。結果として全国大会に進む程度には実力も上がったし、お互いに良かったねと笑い合っている。

 そこまでの過去は、ソラには明かさない。

 だって、私とマユだけの秘密だから。

 ソラの視線は、試合場にいるマユに注がれている。興味と関心が色濃く出た、好意的な視線だった。よしよし、と柔道に興味を持ってくれた人が増えるのを喜ぼう。

「あ、始まりましたね」

 試合開始の合図とともに、マユは軽やかな足取りで歩いていく。

 散歩でもするような、朗らかな顔だ。

 二度のフェイントを仕込み、道着を掴むと相手の懐に飛び込んだ。

 刹那の攻防で、勝敗は既に決している。

 相手が怯んだ隙に背負い投げを決めた。鮮やかな一本勝ちだ。呆気なくもあるが、雰囲気に飲まれて十全に動けない相手にも全力を出すあたりに彼女の本気が伺える。手は抜いてないぞ、とばかりに彼女が私に向けてウィンクを飛ばしたのが見えた。

 会場は大歓声に包まれて、マユは選手、審判、観客と順に礼をした。最後に私へ向けて小さく手を振ったのが見えて、私も手を振り返す。周囲にいた子からの視線を受けて、私は少しだけ居辛くなった。マユに超仲良しな幼馴染がいることは、彼女の追っかけをしている子なら誰もが知っている。だけど、知っていることと納得していることは別なので。私に向いた視線の中に、悪意を滲ませる誰かがいるのも理解していた。

 当然、針の筵に長居するつもりもない。

 ひょいと椅子を降りて、手に持ったままの菓子袋をソラに渡した。

「ちょっとお花摘み」

 ソラに迷惑をかける前に、その場を離れることにした。観客席の下を走る通路へ向かうと、私の後を追って数人の子が歩いてくるのが分かった。んー、人気が少ないところがいいなぁ。

 雰囲気の良いところで立ち止まって、怪我防止のために手首を軽く振って準備を済ませた。振り返れば、険しい顔をした女の子達がいる。中学生だろうか。私よりも背が高いし、体重もありそうな子ばかりだ。体格が良くて羨ましい限りである。

 一人の少女が前に進み出てきた。

「あの。湯上優香さんですよね」

「いかにも。文句ならいつでも受け付けるよ」

「……っ」

 堂々と告げると、彼女達は面食らって口を噤んでしまった。

 言いたいことがあるなら言えば良いのに。わざわざ追いかけてきて、私に何を言いたかったのか。まぁ、だいたい想像がつくけど。先手を打ってみようかな。

「マユに近付くなとか、そういう類の話?」

「……分かっているなら、そうしてください」

「無理だよ。私達、幼馴染だし。親友だもの」

 おちゃらけて手を横に振る。

 この手の話はよく聞くし、慣れっこだった。対策としては真正面から受け止めて、愚直なほど強く殴り返すこと。正論で折れてくれる相手なら、今後もマユの熱心なファンでいてくれる。歪んだ感情を抱いて彼女に近付く子は、ここでその心を砕いてしまった方がいい。火中の栗を拾いに行くほど愚かじゃないけど、降りかかる火の粉から逃げるほど臆病でもない。それが私、湯上優香なのだ。

 マユを真似た髪型の少女が、ずいと前へ進み出てきた。

「だとしてもウザいんだよ。あの人は私達の憧れなの」

「ふーん。それで?」

「だから、お前さぁ」

 太くて逞しい腕が私の襟首を掴む。

 そして、そのまま前のめりに倒れていった。

 コンクリートの床に顔面から落ちていくのは、流石にマズすぎる。

「おっと。あれ、ちょ、弱すぎるんだけど……」

 踏ん張って受け止めた私が、そこそこ頑張って壁際に寝かせてあげる。彼女の背後から様子を見ていたのだろう仲間達には何が起きたのか分からず、静かな動揺が広がっていく。私が一歩踏み出すと、彼女達は二歩下がった。脅かすには十分な効力を発揮したようだ。そろそろ真打が来てくれてもいい頃だよな……と思っていたら、彼女達の背後から声が聞こえてくる。

 やっと、マユが来てくれたようだ。

「やっほー、ユカちゃん。探したのに」

「ごめん。あなたのファンとお話していたの」

「そっか。……えー、またやったの?」

「不可抗力だよ」

「仕方ないなぁ。ちょっと、そこの子。手伝ってよ」

 マユは寝転んでいる少女をひょいと抱え上げると、仲間達の元へと引き渡しを済ませてしまった。幼馴染ながら、その筋力が羨ましい。でも筋トレとか面倒だから、憧れるだけにしておこう。私は自重トレーニングで十分だ。

「ユカちゃん、やっぱ強いよね」

「油断と隙のある相手だったからだよ」

「もー、また謙遜しちゃってー」

「冗談言ってないで、早く行くよ」

「ん。じゃ、こっち来て」

 これ以上の面倒ごとは困るから、マユに手を引かれるまま関係者席へと足を運ぶ。マユの追っかけちゃん達は、私を警戒して追いかけてこないようだ。

 関係者席に到着すると、彼女は私を思いきり抱き締める。人前だと分かっているだろうに、観客席からは覗けない位置を選ぶあたりは故意だろう。他の柔道部員や、試合に出ているような子には見られても問題ないと考えているのかもしれない。私も軽く抱き返して、彼女の背中をぽんぽんと叩く。大会が終わるまでに一回はこの儀式をしないと、彼女は本調子が出ないとか言うのだ。

 今日は初戦を終えてこれだから、調子が悪い方なのかもしれない。

 しばらく経っても、マユが離れない。

 この甘えん坊め。

「……ちょっと。長くない?」

「ユカちゃんの隣にいた子、誰」

「ソラだよ。酒井空。体育の授業で一緒でしょ」

「そうだっけ。ユカちゃんしか見てないから分かんないや」

 マユは私にしか興味がないらしい。別に構わないんだけど、周りが許してくれるかどうかは別問題だ。今回みたいに、私だって嫉妬の視線くらい浴びている。本人だって自覚しているはずだ。それでも私にしか興味の矛先を向けないのは、もはや執着心と言えた。

 すんすんとマユが鼻を鳴らしている。猫みたいに、頬を私へこすりつけてくるのも相変わらずだった。放っておいたら、社会人になった後も同じことをしてそうだ。甘えたい盛りの少女から依存先を取っ払って、変なムシが付いても嫌だから私は彼女を受け入れることにした。よしよし、とマユの頭を撫でると、ゴロゴロと喉の奥を鳴らし始める。どこまでも甘えたがりな女の子だ。

「ユカちゃん。今度、私と他流試合しよっか」

「嫌だよ。真剣勝負は疲れるんだもん」

「でも、空手の腕は落ちてないじゃん。勿体ないよ」

「あれは空手というか、古武術だし」

 マユの熱心なファンを一撃で沈めた技も、私が十年続けている武術によって身に着けたものである。特別熱心だったわけじゃない。他に趣味がなく、やりたいこともなかったから惰性で続けていただけだ。嘘だけど。死ぬ気でやっていたら疲れたので、今は少しお休みしている。

 高校生になってからの一年は、ほとんど道場に顔を出してない。それよりも、とマユのお尻を叩いた。いつまでも油を売っていたら、次の試合が始まってしまう。試合をないがしろにして私といちゃつくなら、もう応援になんて来てやらないんだからな。

「ほれ、試合に行ってこい」

「はーい。勝ったら褒めてね」

「ほいほい。全国出場が決まったらね」

「もー、厳しいんだから」

 マユなら余裕でしょ、と彼女の背中を押す。

 試合にスキップで向かった彼女を視線で追いながら、私は拳に残った感触を思う。

 私が武術を再開するなら、その目標はどうするか。厳しい練習なんてするつもりはないけれど、適当に遊ぶだけの毎日には張り合いがないし、うーむ。

「……ソラに相談してみようかな」

 迷ったら新しい風を吹かせてみよう。

 そう思って、私は観客席で待つ友人の元へと向かうのだった。

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