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ひびの、ゆがみ

 土砂降りの雨だった。

 冬場の雨は気が滅入る。寒いし、眠くなるし、こたつでぬくぬくとしていたい。それでも幼馴染なマユの応援のために、市営の武道館まで足を運んでいた。寝坊も遅刻もせずに駆け付けたのだから、あとでちゃんと褒めてもらわないとね。

 広い会場は熱気で満ちている。私は隠れるようにして欠伸を噛み殺すと、大きく伸びをした。応援と言っても、特にやることはないのだった。

「ねむ……」

 今日は柔道部の冬季大会が開催されている。規模としては県大会程度で、他の高校の生徒も会場に集まっていた。観客席も保護者や各学校の関係者が集まる席と、一般客のための観覧席に分けられている。そして、一般客用の席は随分と賑わっていた。

 男女両方の試合が行われる予定だけど、観客席には随分と女の子の姿が多い。そのお目当てが誰なのか、私は既に知っている。高校生の大会なのに地元の中学校から生徒が出てきているのは、随分と珍しいことである。

 大会が初見学のソラは、これから始まる試合よりも観客席の様子に気を取られているようだ。

「中学生っぽい子がいますね。勉強熱心なのかな」

「おー、真面目ちゃん的な考えだね」

「違うんですか。え、でも……」

 ソラは困惑したように眉を寄せる。彼女の予想は自然だし、妥当だ。でも間違っている。どう説明したものだろうかと考えて、まぁいいかと諦める。教えなくても、数分後には分かることだし。

「答え合わせは少し待ってね。ほい、これあげる」

「ありがとうございます。いただきますね」

「遠慮せず食べてね。どうせ暇だし。応援するだけだから」

「んー、私は初めてなので緊張してますけど……」

 ソラは本当に真面目ちゃんだな。

 応援なんてものは、がんばれーって感情を向けるだけでいいのだ。

 持ってきたお菓子の袋をソラに向ける。彼女は小さく会釈をしてから、小袋のクッキーを手に取った。開封から咀嚼までの一連の流れも丁寧で、優等生っぽい。

 すらりとした体型の彼女は、食べ方もお上品だった。綺麗だな、とぼんやり彼女を眺めてしまう。淡い色のカーディガンがよく似合っていて、同級生のはずなのに年上っぽく見える。紺色のスカートと黒いブーツの隙間から、ちらりと覗くストッキングすら綺麗だった。

 私の視線に気付いたソラが、ぴくりと肩を跳ねさせた。

「あの……? 私、どこか変でしょうか」

「んや。あ、ごめん。ソラの私服が可愛いなぁと思って」

「そうですか……。どうも……」

 もごもごと彼女は何かを言って、私から顔を反らしてしまった。

 マユなら、褒めたら調子に乗ってウザいくらい喜ぶのにな。

 やっぱり女の子同士って難しい。褒め言葉に深い意味はないと分かっていても、裏の意味を考えたりしてしまうのだろう。可愛かったので写真でも撮るかとスマホを向ける。やっぱり顔を覆ってしまったので、彼女は写真を撮られるのが苦手なようだ。どこかで機会をみて、一枚でもいいから撮らせてもらおう。

「んー、やっぱりソラは綺麗だな……」

 マジマジと見つめていたら、手で追い払われてしまった。

 ショックだ。まるで私がマユと同レベルではないか。

「あ、忘れていた。柔道のこと、解説しとかないと」

 お菓子を食べながら、初心者のソラに向けて柔道の基本的なルールを説明する。本当に基本的な部分の説明をしているうちに開会式が始まっていた。知らない高校の男子生徒が宣誓をして、粛々と大会が進行していく。

 第一回戦は特に盛り上がりもなく、平々凡々に終わっていった。強い子と弱い子があたって、一方的な試合展開になることもしばしばだった。全国大会まで行けば猛者ばかりだけど、こうして大会の始まった直後だと色んなレベルの子がいるものだ。趣味でやっているだけの子も、楽しいから参加している子も、将来の夢を賭けて臨むガチな子も。あの畳の上では、誰もが平等なのだから。

 ジャイアントキリングなんて、滅多に起こるもんじゃないしね。

「あ、出てきた」

 第二回戦、最初の試合が始まった。

 シード権を持っている選手は、ここからの参加になる。そして、私達の高校から出場する例の選手が出てきた瞬間、会場は一気に沸き上がった。黄色い声援を全身に浴びて、彼女が悠然と歩いてくる。

 マユ。日比真由子。私の幼馴染だ。

 肩口までの栗色の髪は艶やかに揺れ、目鼻立ちの整った容姿が観客席の視線を惹き寄せる。背丈は私よりも頭ひとつ分高いのに、並み居る強豪と比べればやや小柄だった。手足が長くて、今日も姿勢が良い。ぱっと見では細身に見えるけど、結構がっつり鍛えているからな。いつも抱き着かれる私は、その身体のどこにどう筋肉がついているのかをよく知っているのだ。そのくせ胸もあるし、どういう体質なんだと遺伝子に向かって文句を付けたくなる。

 彼女が観客席に向けて手を振り上げると、ひと際、盛り上がりが大きくなった。この会場にいるほとんどの人間が、マユのことを応援しているのだろう。そりゃそうだ。あんなに可愛いのに強いし。試合の前後も礼儀正しく、アドバイスを求めれば的確に答えてくれる。柔道が好きな子にとっては、女神みたいな存在なのだろう。

 ソラも観客席にいる生徒達の目的がマユだったことに気付いたようで、肩を揺らして笑っていた。

「もう、湯上さん。教えてくれてもいいじゃないですか」

「だって、観た方が分かりやすいでしょ?」

「そうですね。ふふっ、格好良いです」

 ソラも周りの子に釣られるようにして拍手をした。私はというと、マユの雄姿をスマホで写真に収めている。後で本人に見せてあげると喜ぶのだ。

 ソラは本当にいい子ちゃんだ。喝采を浴びているのはマユなのに、それを自分のことみたいに喜んでくれる。つれてきて、幼馴染を自慢した甲斐があったというものである。私も、素直に嬉しくなった。

「すごい人気者なんですね、日比さんって」

「でしょー。ま、あれも強さの秘訣なんだよ」

「というと?」

「声援を受けたら頑張らなくちゃいけない。応援してくれる皆のために、ってのがマユの考え方だから。応援されるほど強くなるんだよ」

 へらへら笑っているけれど、部活よりも私との用事を大事にしちゃう子だけど、他人よりもやや独占欲が強くて私に構ってちゃんしてくる子だけど。

 マユは、真剣に柔道と向き合っているのだ。

 でなければ私も、応援になんて来ない。

「よーし、頑張るぞー!」

 マユが張り上げた声が観客席に届いた。

 それが私へ向けたラブコールであることを、私だけは知っている。苦笑して、私は無言のまま手を振った。見てなくても、見えている。それが分かっているから、安心して応援できるのだった。

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