月曜の朝

 月曜の朝はクラスの一部が盛り上がりを見せる。

 有名な週刊マンガ雑誌が発行される曜日らしくて、それぞれのグループで今週の面白かったマンガについての話題が事細かに交わされていた。不要物として取り上げられるのを承知の上で紙媒体の雑誌を持ち込む子もいるし、スマホで読めるからと電子書籍を選ぶ子もいる。楽しそうだなぁ、と特に漫画への興味がない私でも思うのである。

 マユも漫画を読んでいるようだ。

 彼女は熱心にスマホを見つめて、にへへへと妙な笑いを漏らしている。

 ひょいと彼女のスマホを覗き込むと、そこには私の寝顔が移っていた。

「マユは何を見ているんだ」

「ユカちゃんの寝顔」

「せめて言い訳をしろ」

 すぱこーん、と派手な音を立ててマユの額を叩く。

 羞恥心をどこに忘れてきたのか、彼女は本人を前にしても物怖じせず盗撮画像を眺めていた。マユが相手じゃなければ桜田門組に突き出しているところである。

「見ても楽しくないでしょ」

「そう? 可愛いのに」

「……どういたしまして」

 あまり素直に褒められると、私も立つ瀬がない。

 怒る気力も失われていくというものだ。

 マユの眺める写真では、すやすやと安らかに眠る私がクマ吉を抱いている。多分、昨日撮った写真だな。私が寝落ちした後も彼女はビデオ通話をつないでいて、この寝顔をスクショにでも撮ったのだろう。

 悪趣味だが、別に気にしない。他の誰かに見せるでもなく、ただ彼女が個人的に楽しんでいるだけだし。それに彼女が、私のことを心底から可愛いと信じているのは知っている。彼女の緩みきった頬から伝わってくる感情の大きさに、少し震えていた。

「熱心だね」

「ユカちゃんの可愛いは、毎日更新されていくからね」

 褒め殺す気か、こいつ。

「どういたしまして。マユもね」

「なはー。ユカちゃん、照れてんじゃん」

「うるさいなぁ」

 わしわしと彼女の頭に触れた。

 マユは私の手に頭を擦りつけて甘えている。彼女はスキンシップが好きだ。人目を憚らないのは鋼の心臓のなせる技だろう。そして、同級生達が彼女の奇行に慣れてしまったというのも大きい。入学してすぐの頃は、もっと奇異の視線を浴びていた。今は教室を見回しても、誰も私達に注視していない。

 冬めいて寒い教室には暖房が入っている。クラスメイトの誰かが、先生の許可も得ず勝手にスイッチをつけるのだ。暖かいから誰も文句を言わないし、先生も目を瞑っている。私もその温かさの恩恵に与る一人だ。

 ぺちぺち、と暇を持て余した私はマユの頬に触れる。廊下側、暖房から遠い位置に座るマユの頬は少し冷めていた。

「私の寝顔、そんなに面白くないだろ。目の前の本人を甘やかすのだ」

「……今日も暇そうだねぇ、ユカちゃん」

「いつも暇だよ。部活もやってないし。趣味もないし」

「うんうん。そのままでいておくれよ」

 嫌味かな? と彼女の顔に触れ続ける。頬から髪へと手を伸ばした。

 彼女の髪はさらさらして、指通りがとても良い。ずっと触っていて飽きない。そういえば、クマ吉の毛並みも綺麗だなと思うことがある。マユの髪を撫でるのと同じくらい気持ちが良いのだ。頻繁に洗濯して毛羽だって来たのに、そのゴワゴワ感もクセになる。

 マユの手が伸びてきて、私を抱き寄せた。といっても、立ったままの私に彼女がくっついてきた程度だ。抵抗せず、されるがままになる。くっついたまま、私達は駄弁り続けた。教室の空気は暖房のせいばかりではなく温かい。私達がこうしていても、茶化すクラスメイトがいないからだった。いい高校に進学出来たな、と我ながら必死に受験勉強したのを誇らしく思った。私よりも必死になって勉強していたマユも、よくついてきてくれたものだ。

 差し込む朝日が白く教室を照らす。光の直撃した女生徒が、少し顔をしかめた。

 マユはただ、私だけを見ている。思い出したように、彼女の手が私の腕に伸びる。特に意味もなく、私達は手を繋いだ。

「ねぇ、ユカちゃん」

「ん? どったの」

「今日の放課後、たこ焼き食べに行かん?」

「いいけど。今度こそ、おごってくれるのかい」

 うーんと唸って、彼女は続く言葉を絞り出そうと努力していた。

 ま、無理だろう。

 私はマユのお財布事情を知っている。彼女はいつも金欠だった。お小遣いの大半をマンガと部活の小道具につぎ込んでいるからだ。部活も忙しいし、私と遊ぶ時間が減るからとバイトなんかやる気もないようだ。親がお金持ちというわけでもないし、私をデートに誘える金銭的余裕を持っているはずがないのだ。むしろ、私がおごってあげる機会の方が多かった。親が私の勉強机の上に置く、三行半にも似たお小遣い袋は彼女と遊ぶための軍資金として活用している。

 駅前のたこ焼き屋で食べるくらいなら、毎日行ける程度には余裕があった。

「しょーがないから、私がおごってやろう」

「ありがとー。恩に着ます」

「……マユ、私があげた恩で着ぶくれしてそうだな」

「そうかも。あ、この前、体重が増えてさー」

 それ筋肉がついたんじゃないの、と彼女の腕周りを無言で触る。

 まだ一限が始まるには時間があった。

「部活、忙しい?」

「別に。冬季大会も適当にやるし」

「ふーん。才能がある子は羨ましいねぇ」

 マユが所属している部活は柔道部だ。その細身でなぜ戦えるのか、と問いたくなる程度には彼女の戦績は良い。引き締まった男勝りな先輩も多い柔道部で、彼女はどこまでも華のある女の子だった。筋肉質なだけじゃなくて、ちゃんと膨らむところは膨らんでいる。なぜか私よりも大きい。どうやって大きくなったのかを聞いたら愛だの何だのと言われた。流石に食生活とか、遺伝子が原因なんだと思う。

「柔道も楽しいよ?」

「私はパス。スポーツは得意じゃないの」

「またまたー。ご冗談を」

 私だけを見つめているように見えて、彼女の視線は周囲の子にも抜け目なく向いていた。広い視野は主に私のために用いられている。マユの手が動いて、私のスカートが変に折り曲がっていたのを治してくれた。優しい。言ってくれれば自分で直すのに、とは思わなくもない。

「ユカちゃんも何か部活すれば良かったのに」

「人付き合い苦手だからね。体動かすのは好きだけど」

「いいじゃん。柔道やろうよ。簡単だよ」

 一生寝技掛けられそうだからやめとく、とは言えないので無言を貫いた。

 いつもへらへらと笑っているマユだけど、覚悟を決めたときの腕力には有無を言わせないものがある。のらりくらりと彼女の腕から逃れ、ただの友達でいるために私は些細な努力も惜しまないつもりだ。冗談だけど。

 暇を持て余して、私はマユの肩に頭を乗せた。眠いわけじゃないけれど、こうやって触れ合う時間がとても好きだった。マユも逃げたりしないし。クラスメイトも私達をからかうことはない。もし、そういう子がいたとしても――マユが、どうにかしてくれるだろう。のんびりとした時間を過ごすうちに朝のホームルームの時間になった。欠伸をかみ殺しながらやって来た先生と、遅れて滑り込んでくる同級生の姿を目で追いかける。

 私が自分の席へ戻ろうとすると、マユに袖を引かれる。

「放課後の約束、忘れないでね」

「……はいはい」

 私よりも身体が大きいのに、不安そうな瞳を揺らす彼女は妹分みたいだ。

 ぽんぽんと彼女の頭を撫でると、その表情がくしゃりと笑顔で歪む。

 マユの笑顔に癒される私は、きっと、彼女に依存しているのだろう。

 そんなことを、ふと思った。

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