第47話 シュールストレミング
「みぃつけた!」
山の中腹にゴロリと横たわる
満面の笑みで目を輝かせながら、飛び跳ねるように山を登っていく。
その道のりは決して
まさに猪突猛進、それしか見えていないといった様子である。
到着したベルは、「よっこいしょ」と掛け声とともに樽を起こした。
ピチャンと液体が動く音がしたかと思うと、次の瞬間、樽からとんでもない激臭が漏れる。
「ひゃっ」
ベルは慌てて、飛び退った。
様子をうかがうように、ジワジワと樽に近寄る。
腐った酸っぱい魚と腐った卵が混ざったような、生ゴミみたいな臭いにおい。
樽全体を覆うように保護魔法をかけているのに、それでも臭うということは、魔法を解いたらとんでもないことになるに違いなかった。
「鼻から吸うとノックアウトしそうだわ」
ベルは鼻をつまみながら、保護魔法を重ねた。
食べ物に関する大概のことに慣れているつもりだったけれど、まだまだベルの知らない領域が存在していたらしい。
やはり、地の国にいるだけでは、知らないことが多すぎる。
今すぐには無理だとしても、いつか人の国や天の国へ旅することができる日がきたらいいのにな、とベルは思った。
「これはなにかしら?」
ベルはまず、樽の外観から調べることにした。
見立て通り、樽はベルが膝を抱えて入っても余りある大きさだ。
起こした時の手の感触も、おおよそ90 kgといったところである。
ぐるりと一回りしてみると、側面に人の国の言葉で『ハパンシラッカ』と焼き印が押してあった。
ハパンシラッカ。
酸っぱい魚を意味するその言葉は、こう呼ばれることもある。
「スーシュトレンミン、またの名をシュールストレミング……!」
ズギャーンッッ! と、ベルは雷に打たれたようにその場で固まった。
興奮に、震えが止まらない。
まさに、運命の出会いとも言うべき巡り合いである。
「まさか、まさか、まさか! あの、シュールストレミングなのですか⁉︎」
樽に問いかけたって、答えが返ってくるわけがない。
わかっているけれど、興奮のあまりベルの勢いは止まらない。
裸婦を描く画家のように、ベルは周囲をウロウロしながら樽を
「はわわわわ……まさか、あの悪名高きシュールストレミング様とお会いできるとは……なんて幸運なのでしょう」
シュールストレミング。
それは、人の国において『世界一臭い』と評される食べ物である。
塩が希少な地域で、塩を節約するために魚を塩水に漬ける保存方法が採用された。
塩そのものに漬けるのに比べて塩分濃度は低くなるが、魚は腐敗しなくなる。
だがその代償として、発酵が止まることなく進む。
そのため、通常では耐え難いほどの強い悪臭や刺激臭を放つ保存食になるのである。
「シュールストレミング様……世界一臭い食べ物……!」
開封する際は内部で発生したガスによって汁が噴出し、臭いが広範囲に拡散する。
そのため、屋外で開けることが推奨されている。
食べ物というより爆発物のような扱いだが、人によっては、塩辛の極端なもの程度の味にも感じられて、意外にも食が進むこともあるのだとか。
ベルが読んだ文献によれば、樽の中は微妙にドロドロとしたピンクグレーの液体が満たされており、その中に同じようにドロドロとやわらかくなった魚の切り身が浮かんでいる。
液をこぼさないように気をつけながら切り身を取り出して、ジャガイモやトマト、タマネギとサワークリームとともに薄いパンに載せて食べるのがオーソドックスな食べ方なのだとか。
場合によっては食べる前に強いアルコールを含んだ酒や牛乳で洗い流すと臭みが弱まるそうだが、それでも三〜四割程度しか臭みが減らないらしい。
うっかり屋内で開けようものなら、家を手放す羽目になるかもしれない、おそろしい食べ物。
「それが、シュールストレミング様……!」
運命の恋人を見つけたかのように、ベルは樽に抱きついた。と、その時である。
「ようやく見つけたぞ、暴食姫ベル!」
聞き覚えのある声に、ベルは「ん?」と振り返った。
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