9章 悪名高き食材 シュールストレミング

第46話 見逃してくれるのなら

 数日が経った。

 今日は人の国からやって来た使者──もとい勇者救出隊が人の国へ転送される日だ。


 正体を明かすにしても秘することにしても、危険を冒してまで迎えに来てくれた仲間なのだから、せめて見送りくらいはして来なさい。

 ベルはそう言って、朝早くにケイトを送り出した。


 帰りは、ルシフェルにでも頼めばいい。

 きっと彼なら、すぐにでもケイトをベルのもとへ送ってくれるだろう。


(ケイオン様とボルグ様と会っていた時に現れたのも、お兄様の仕業だったと言うのだから、これくらいはしてくれてもいいと思うわ)


 聞けばあの日、ケイトはルシフェルに脅されたらしい。


『追放の身の上で人の国の使者と密会。それも、魔王城からほど近い屋敷でなんて、反逆罪とみなされてもおかしくない行為だ。このままだとベルは、処刑されてしまうかもしれない。ケイト、ベルを連れ戻してくれ』


『しかし、僕は彼女がいる場所すらわからない……』


『なに、心配はいらない。この魔道具があれば、一瞬で移動できる。パッと行ってパッと森へ帰れば、あとはなんとか揉み消すからな』


『ありがとう、ルシフェル! きみは良い魔族だな』


『なに、感謝などいらんさ。おまえは未来の義弟おとうと。どうしてもお礼がしたいと言うならば、ベルと仲良くしてやってくれ』


『わかった、じゃあ行ってくる!』


 話を聞いたベルが、「お兄様……!」と拳を握ったのは言うまでもない。

 そして、自宅の貯蔵庫にあるタガメ酒の在庫を確かめに行ったのも、当然のことだろう。


 そもそも冤罪えんざいゴミ溜めの森ホーディング・フォレストにいるのに、原因である勇者が生存していることはすでに確認済みなのだから、ベルが処刑されることはあり得ないことなのだ。


 しかし、ケイトはベルの追放理由を知らない。

 今回はそこを、突かれたのだ。


(けれど、ケイトに言ったらなんだか恐縮されそうで……そんなの、なんだか嫌だし……)


 なんでもお見通しの兄には、脱帽するしかない。

 手のひらで転がされている感じは、不愉快だけれど。


「見逃してくれるのなら、なんでも良いのですわ。ゴミ溜めの森でおいしい追放生活を続けられるなら、それで……」


 気を取り直して、ベルはグイッと腕まくりした。

 現在ベルがいるのは、ゴミ溜めの森の中央部。空の穴から落ちてきたものが集まるゴミの山の、麓あたりだ。


 ケイトを見送ったあと、何の気はなしに穴を見上げたら、何かが落ちるのが見えた。

 それでベルは、いそいそとここへやって来たのである。


「遠目だったから微妙だけれど……たるのような形だったような気がするのよね」


 天の国や人の国から落ちてきたものが、うずたかく積み上げられている。

 これが自然とできたものだというのだから、驚きだ。実にバランス良く、積まれている。


 見上げた位置から推測するに、落ちてきた物体はけっこう大きい。

 もしも見た通りの樽だったら、重さが90 kgくらいはあるはず。

 ベルが膝を抱えて入っても、まだ余りあるくらいの大きさだ。


「咄嗟に保護魔法をかけたから、落ちた衝撃で砕け散ることはないはずなのだけれど……」


 樽の中身がワインだったら、ルシフェルが喉から手が出るほど欲しがるだろう。

 運よく手に入ったら、ベルはこれを囮にしてタガメ酒も保存庫に忍ばせてやろうと考えていた。


 兄のルシフェルは隙がない。

 けれど、酒のことに関してのみ、警戒が緩むのである。

 そこに漬け込むしか、ベルのタガメ酒作戦おしおきの成功はないのだ。


「たる、たる、たるちゃーん……どこへいったのー?」


 山の周りをぐるりと一周するだけでもかなり大変だ。

 ゴミ、ゴミっぽいもの、ゴミではないもの。何となく食べられそうなものは拾い上げて、魔法が付与されたバスケットに放り込んでいく。


 このバスケットには転移魔法がかけられていて、自宅の地下にある貯蔵庫へつながっている。

 送られた食べ物には勝手に保存魔法がかけられるので、手間がなくていい。


 すぐに食べたいものは、バスケットには入れない。

 そういったものはドレスの隠しポケット行きになる。

 こちらにも収納魔法が付与されていて、保存魔法は付与されないものの、一時的にしまうにはちょうどいいのだ。


「ううーん……見間違いだったのかなぁ。でも、やっぱり樽としか思えないのだけれど……」


 山の頂を見上げながら、ベルはフゥと悩ましげに息を吐いた。

 すぐ近くに砂を詰めたような不思議なクッションが置いてあって、何の気はなしに腰を下ろしてみる。

 ずぬぬ、と体が沈み込んで、ベルの自重で分散した内部の砂が彼女の背中を支えた。


「うわ、なにこれ。おもしろい感触。しかも、なんだか気持ちいい……」


 クタァと体を預けたくなる気持ちよさだ。

 横向きに寝転がるとまた形を変えて、それでもやっぱり包み込むように支えてくれる。


「これも持って帰ろう」


 雲みたいにフカフカで、泥みたいに変幻自在。

 なんとも不思議な感覚は、初めての経験である。


「なんだかもう、帰りたくなってきたなぁ」


 このクッションは、ベルのいろいろをダメにしようとしているみたいだ。

 歩き回ったことによる程よい疲れが、ベルを心地よい眠りへと誘っている。


「ここで眠っちゃおうかな……って、だめだめ! ケイトが帰ってきた時に私がいなかったら、ビックリしちゃうもの」


 待っているから。

 ベルの言葉に安心したように頷いて出発していったケイトのことを思えば、そんなひどいことはできない。


「今日のところは諦めたって、問題はないけれど……」


 しかし、まもなく訪れるであろう本格的な冬を考えると、早めに確保しておきたいところではある。


「もうちょっとだけ、探してみますか……」


 ベルはクッションから立ち上がろうとした。した、のだけれど。


「う、なにこれ……立ち、上がれない……!」


 椅子のようにスッと立ち上がることができない。

 ズルズルとお尻をクッションから落として、安定した地面についてから立ち上がる。


「すごいクッションだわ。座れば極楽、立つのは至難なんて……」


 こんなすごいもの、ここに放置なんてできない。

 次の休憩にも使おうと、ベルはクッションをポケットへしまい込んだ。


「さて、行きますか」


 スカートをはたいて、汚れを落とす。

 ふと見上げた先に木製のものを見つけて、ベルはキラリと目を輝かせた。

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