第45話 私がやらねば誰がやる
それにしたって、ケイトはいつ、どこで、誰から、魔王の生まれ変わりだと聞いたのだろう。
不思議に思って問うと、彼はケロリと答えた。
「湖で、ルシフェルと会ったんだ」
「お兄様に? いつ?」
「イカを釣っていたら声をかけられてね。一度目は塩辛を作る約束を勝手に取り付けられて、二度目に会った時にいろいろ教えてくれた」
つまり、ルシフェルはベルに会いに来たその日に、ケイトと接触したということだろうか。
用事があったついでにベルの様子を見にきたと言っていたから、てっきり用事が終わったあとに会いに来てくれたのだと思っていた。
なんてことはない。その用事はケイトと接触を図るというものであり、ベルが済んだと思っていた用事はまだ済んでいなかったのだ。
(そう考えると……)
いつもより幾分か厳しそうな顔つきだったのは、もしや笑うのを我慢していたのでは……?
頭を撫でていたのも、何か思うところがあったせいで、それはつまり──、
(あの時点で、お兄様はいろいろご存知だったということね?)
ワナワナと、肩が怒る。
ケイトの事情も、ベルの気持ちも、ルシフェルはすべて知った上で、どんなもんかなぁとベルを突いて楽しんでいたに違いない。
(お仕置き、決定! お兄様の貯蔵庫に、タガメ酒を混入させてやるんだから!)
気付かれたのがルシフェルでよかったと思うべきだろうか。
それでも、普段から仲良くしている兄に、自覚していなかった感情を先に知られたことは、非常に恥ずかしい。
(ああ、どうして気がつかなかったのかしら。
初めては、ケイトが良かった。
恋に恋するレティのような感情を抱いて、ベルは勝手に赤くなる頰を隠すように、立てた膝の上に額を押し付けて隠す。
悔し紛れに塩辛を
くふ、と鼻から息が抜けて、笑いがこみ上げてくる。
(お兄様が珍味だなんて……今後、珍味を出す機会があったら、そうであろうとなかろうと、酒の肴になるって言ってやろうかしら)
意外とイケるとモリモリ食べていたら、面白い。
くつくつと笑い声を漏らしていると、隣でケイトがポツリと言った。
「ルシフェルと、約束をしたんだ」
「どんな約束をしたの?」
「僕が魔王として覚醒しなければ、ベルと一緒にいられるだけの地位と領地を与えてくれるって」
魔王としての覚醒。
それはつまり、暗黒竜になるということだ。
どういった経緯で変化するのかはわからないが、もしもそうなった場合、
地の国にいるあらゆるものが、平伏する。次期魔王とうわさされているルシフェルでさえ、いや、ベルの父さえも、そうするはずだ。おとぎ話が、真実ならば。
(ああ、なるほど。そういうことね?)
ベルは気づいてしまった。
おそらく、だけど。暗黒竜をとめるストッパーの役目を担うのは、別に色欲姫でなくても良いのだ。
むしろ、ケイトがアスモから逃げた今、残された姫はベルだけなわけで。
(つまり、私がやらねば誰がやる、と。そういう状況なのね?)
知らない間に、ケイトと一緒にいることが決められていて、一緒にいるための環境まで整えられようとしている。
押し付けられるのは良い気分がしないけれど、相手がケイトなら話は別だ。
チラリ、と顔を横に向けてケイトを見る。
ベルの視線に気がついた彼は、はにかむようにふへ、と笑った。
(守りたい、この笑顔……!)
暗黒竜になんてなってしまったら、笑っているのかどうかも分からなそうだ。
このふにゃふにゃの笑顔は、絶対に守るべきだとベルは決意する。
「こんなことを言うと、ベルは困るかもしれないけれど……もしも……もしも僕にその兆候がみられたら、ベルに止めてほしい。きみになら、何をされたって僕は受け入れられるから」
「困るなんて……私の気持ちはあなたほど熱量があるわけではないけれど、それでも確かに、特別なのよ。甘くみないでちょうだい。暗黒竜になんて、させないわ。だって竜になっちゃったら、私より食べそうだもの」
「ふふ、そうかもしれないね。ベルの取り分が減ってしまうのは心苦しいから、そうならないように気をつけるよ」
「そうしてちょうだい」
ケイトの手が、ベルの手の甲を包む。
やっときたかという思いと、きちゃったという気持ちがない混ぜになる。
ゆるりと指の間に指を差し入れられて、ベルは息を飲んだ。
「なっ、」
「ごめん。でも、怖くて。少しだけ、こうさせてほしい」
すがるような視線に、胸が痛くなる。
そうだ、怖くないはずがない。自分以外のものになってしまうなんて、そんなの、想像もつかないだろう。
ここにいるのはベルだけで。
他に誰かいたって、今からすることはベルだけにしてほしい。
「そうじゃなくて」
ベルはクルリと手をひっくり返した。
きゅむ、と組み手をするようにケイトの手を握る。
やってみると、思っていた以上に恥ずかしい。
ポカンとベルを見つめるケイトに彼女は、
「勘違いしないで……家に、着くまでだから」
と、早口でつぶやいた。
もしもここにレティがいたのなら、「ツンデレですね、お嬢様!」と興奮していたに違いない。
けれど残念ながら彼女はいなかったので、帰り道はなんとも言えない甘酸っぱい雰囲気になってしまったのだった。
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