第44話 魔王の物語

 魔王の物語。

 それは、魔族なら誰もが知っている、初代魔王の誕生と建国にまつわる物語である。


「天の国を追放になって人の国へ落とされた男が、武力によって地の国を平定し、魔王になったって話でしょう?」


 人の国へ堕とされた男は、なにかと天の国頼みである人の国で、当然のことながら歓迎されることはなかった。

 迫害され、ようやくの思いで逃げ落ちた先が地の国。


 けれどそこでも彼は迫害され続けて……死を覚悟した彼は瘴気しょうきを吸い込み、暗黒竜へと姿を変える。


 七日七晩暴れ回った彼は、とうとうすべての魔族と魔獣を支配するに至り、初代魔王として君臨したのだった──。


「……と、こんな流れだったかしら?」


「だいたい、そんなところだ」


「その魔王と、あなたにどんな関係があるっていうの?」


「僕は、その魔王の生まれ変わりらしい」


 ケイトのことを、ベルは笑えなかった。

 荒唐無稽な話だが、ケイトは大真面目に言っている。


 どこかに、確かめる術はあるのだろうか。

 そう思ってケイトを見ると、彼は自身の前髪を雑な手つきで掻き上げた。


「金の髪と青い目は神に愛された証ではなく、もともと天の国の者だった名残り。神からの祝福は、彼の追放を哀れに思っている一部の神がこっそりと付与しているもの……らしい」


「魔王の追放理由は、神の寵愛ちょうあいを受けていた娘が、ちょっかいをかけたから、だったかしら?」


 本人はただ一生懸命生きていただけなのに、神が寵愛している娘が神の目を盗んで魔王にちょっかいをかけた。

 お気に入りの娘に色仕掛けをしたとして、怒り狂った神は魔王を追放したのだ。


 なるほど、本人はひとつも悪くないのに追放されたのでは、哀れまれて当然である。


 ベルはケイトがどんな祝福を受けているのかは知らないが、それでも人の身では大した力は発揮できないだろう。


 なにせ人は、弱すぎる。

 神が全力で祝福したら、身に余る力に自滅するしかない。


「魔王は死んだあとも天の国を呪い続け、復讐のために転生を繰り返している。それが、僕らしい」


「髪の色と目の色で勇者が決まるってことは……勇者はそもそも魔王の生まれ変わりということ?」


「そういうことだ。天の国は初代魔王が復讐しに来ないように、人の国を介して妨害している。ある時は生贄として地の国へ捧げるように告げ、またある時は勇者として魔王を倒しに行くよう唆し……二度と帰れないようにするそうだ」


 その時々によって、理由はさまざま。

 けれど、地の国へ封ずることだけは変わらない。


「地の国は、あらゆるものが強すぎる。魔族にとってはただのカボチャでも、僕から見たら殺人カボチャに見えるみたいにね。人の身では、ただ守ることさえままならない。生贄として送られたならひとたまりもないだろうし、勇者だったとしても、魔王には勝てない」


 何があっても、初代魔王は地の国から出ることはできない。

 そのように、できている。


 幸いなのは、ケイトにその記憶が継承されていないことだ。

 何度も死ぬ記憶を持って新たな生を受けるなんて、死刑よりも残酷である。


 自身の手を汚すことなく、地の国だけで完結させようとする天の国には嫌悪しかない。

 綺麗なものだけを愛する神らしい所業とも言えるが。


 ケイトの言うことが本当なら、彼はもう人の国へ帰れないということだろう。


(ケイトはずっと、ここにいる……?)


 思い至った瞬間に感じたのは、甘い毒のような安堵あんどだ。

 帰ってしまったらどうしようと、泣きたくなるような焦燥を、抱かなくていい。

 そう思ったら、場違いにも笑いそうになった。


 だけれど、人の国へ行く手段があるのに、帰れないとはどういうことなのか。


 聞きたいことは山のようにあるのに、どれから聞けばいいのかわからない。


 むしろ、聞いていいことなのだろうか。無神経だと責められるくらいなら、黙っていたほうがマシだ。


 戸惑うベルの手に、ケイトの指先が少しだけ触れる。

 それにどんな意図があるのかわからないけれど、ベルは不思議と落ち着いた。


「ケイトはもう、人の国へ帰ることができないってこと? でも、地の国と人の国を行き来するすべがあるのに……」


「だから地の国には、初代魔王を引き止めるためのものが用意されているんだ」


 天の国への復讐も、人の国への未練も断ち切るような、もの。

 暗黒竜を引き止める唯一のものと言ったら、ベルは一つしか思いつかない。


「女ね!」


「身も蓋もないな」


「だって、そうでしょう? 暗黒竜をとめるといったら、魔王妃しかいないもの」


 七日七晩暴れ回り、あわや地の国崩壊かと魔族たちが覚悟を決めたその時、暗黒竜をぶん殴り、正気を取り戻させた者がいる。

 それが初代魔王妃、つまりベルの先祖だ。


「まぁ、それで……その魔王妃の役割は代々、色欲姫に継承されているらしい。僕とアスモ姫は、生まれながらの婚約者なのだと聞いた」


 ケイトは心底嫌そうな顔で、吐き捨てるように言った。

 よほどアスモが嫌いなのだろう。ベルが心配する余地もないくらい、険のある言い方だ。


 まさか色欲姫にそんな役割があったなんて、ベルはちっとも知らなかった。


 恵まれた美貌も、色っぽい立ち居振る舞いも、彼女のなにもかもが転生した魔王を引き止めるために養われたものだとしたら。そう考えると、恋人を取っ替え引っ替えしていたのは、彼女なりのストレス発散方法だったのかなと納得……


(できないわね!)


 とはいえ、のんきに食っちゃ寝だけしていたベルには相当腹が立ったことだろう。

 同じ姫という立場なのに、と思ったはずだ。


 後始末を押し付けられるにはそれ相応の理由があったらしいと、ベルはようやく納得した。


(でも、お姉様……婚約者がいるのに自由すぎやしませんか?)


 いろいろ奔放すぎる姉の姿を思い出して、ベルは苦虫を噛み潰したような顔をした。

 さんざんかけられた迷惑の数々が、走馬灯のように次々と浮かんで──、


(厨房に忍び込むスリルと、誰にも咎められることなく好きなだけ食べられる時間……病みつきなのです!)


 さんざん迷惑をかけられてきたけれど、アスモのことはかわいそうだと思わなくもない。


 生まれた時から決められていた婚約者に会いに行ったら、全力で拒否されて逃げられるなんて、ベルに八つ当たりするのは当然だ。いや、当然だと受け入れられるようなことではないのだけれど。


(でも、結果として私にとってはこの上なく良い環境になったわけで……)


 自業自得だと一蹴できるほど、ベルはアスモが嫌いじゃなくて。


 たぶんそれが色欲姫たる彼女の能力なのだろうけれど、ベルはどうしてもアスモのことを嫌いだと思えなかった。


(でも、その相手がまさか私を好きになるとは、予想しなかっただろうなぁ)


 思いがけない因果応報に、なんだかなぁと肩をすくめる。

 これを理由に姉から避けられるのは嫌だなぁと、ベルは思った。

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