第42話 あまり煽らないでくれないか

「ベルのことが好きです」


 誰が予想できただろう。こんな、言葉。

 びっくりしすぎて、息をすることも、まばたきをすることすら忘れる。


 なんの反応もしないベルに、しかしケイトは、はにかむように笑った。


 なぜ、そんな顔をするのか。

 ベルにはちっとも、わからない。というか、考える余裕すらなかった。


 きらい、きらい、きらい、と。

 何を言われても大丈夫なように予防線を張っておいたのに、まさかド直球に好意を贈られるなんて、予想外にもほどがある。


(想定していたシチュエーションが一つも一致しないとか、どうなっているの⁉︎)


 助けて、お兄様。

 かすりもしないとか、ひどすぎやしませんか。


「ベルはきっと気がついていると思うけれど、ちゃんと自分の言葉で伝えたくて」


「……へぇ、そうなの」


 混乱している時って、意外と冷静な声が出るらしい。

 ベルの冷静な返しに、ケイトは満足感でいっぱいの清々しい顔で微笑んだ。


「ああ」


 頷くケイトの目は、熱っぽく潤んでいた。

 そこでようやく、ベルの頭は動き出したらしい。フワフワとした感覚が薄れ、今度はカーッと熱が上がってくる。


「……えっ、そうなの⁈」


「あれ? 気がついていなかった? てっきりバレているだろうな、と……」


 けっこう、わかりやすい態度だったと思うよ?

 ケイトは「はは」と恥ずかしそうに笑った。


(いやだって、まさか……お姉様ですら籠絡できなかった人が、私なんかを好きになるとか……)


 いや、待てよ? とベルは止まった。


 そもそもケイトは、憎むべき魔王の娘に最初から気を許しすぎだった。

 だからベルはてっきり、誰にでもそうなのだろうと思ってしまったのだ。


 ワンフォーオールな勇者的思考によるひどいお人好しなのだと解釈してしまったが、どうやら自分だけが特別だったらしい。


(比較対象がなかったから、気づくのが今になっちゃったじゃない)


 こんなことなら、もっと早くレティに会わせておけばよかったと、後悔してももう遅い。

 恥ずかしい。だけれど、ケイトだって悪いと思う。だって──、


「言ってくれなくちゃわからないよ! だって私がケイトのことを特別に思っていることも、あなたは知らないでしょう?」


 責めるつもりで言ったのに、ついうっかり言わなくていいことまで勢いで言ってしまう。

 ベルはヒュッと息を飲んで両手で口を押さえたけれど、言ってしまったものは、もう戻らない。


「え⁉︎」


 ケイトの唇が、嬉しそうにほころぶ。

 ベルは胸がキュウっと痛くなって、口を押さえたまま、ぎゅっと目を閉じた。


「うぅ〜〜言うつもりなんて、なかったのに……」


 だってこれでは、そういう気持ちだと取られてしまう。

 ベルの抱える気持ちが、ケイトの抱える気持ちと同じだと、そう思われても仕方がないシーンだ。むしろ、そう思うのが普通である。


 どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 今更、「ただの独占欲で、恋心なんてこれっぽっちも自覚がありません」なんて言える雰囲気じゃない。


「ベル」


 穏やかな声で名前を呼ばれて、ベルは薄く目を開いた。

 ひどく大人びた表情をしたケイトが、甘やかすみたいに目を細めてベルを見つめている。


「かわいいね、ベル」


 いったいどこから声を出しているのだろうと思う。

 甘いお菓子に粉糖を振って、シロップとチョコレートソースをかけて、ジャムとクリームをトッピングしたみたいな、甘ったるい声。


(ほら、ほら、ほらぁ! 調子に乗っているじゃないですかぁぁぁぁ!)


 声を拾った耳が、あまりの甘さに耐えきれずゾワゾワしている。

 それに気づいたのだろう。ケイトはベルの耳に手を伸ばし、子猫のあごを撫でるようにやんわりとくすぐってきた。


(ちょわ────!)


 ベルは心の中で叫んだ。

 我ながら偉いと思う。心の中だけに留められて。


 でも、あまりの衝撃にもう目を閉じているふりなんてできなくて。

 叫ばなかった代わりに、ベルはしっかりとケイトと目を合わせてしまっていた。


 思いがけなく近い距離に戸惑う。

 薄氷の上に立たされたような、危なげない雰囲気を感じて、ベルは身を竦めた。

 そんな彼女に、ケイトは少しだけ寂しそうに、何かを諦めたような顔をして笑う。


(きっと今のは、キスをしようと……していたのよね?)


 思いを伝えあって、気持ちが昂った二人がすることなんて、それくらいしかない。


 悪いことをしたな、と思う。

 残念という気持ちよりも申し訳ない気持ちが先立つのは、ベルの気持ちが足りないせいだろうか。


(こういう時は、キスを、するべきなのかしら?)


 あいにく、恋だの愛だのに縁がなかったもので、ベルにはよくわからない。

 それでも、彼を引き止めておくためには必要なことだと言われたら、迷いなくするくらいには、彼との行為に対して抵抗はなかった。


 つ、とケイトの唇を見つめる。

 形の良い薄い唇は、少しだけカサついていた。


(どんな感じがするのかしら?)


 ベルの視線がどこへ向けられているのか気づいたケイトは、パッと唇を覆い隠して、横を向いた。

 髪の間から見える耳が、赤く染まっている。


「我慢、しているのだから、頼むから僕を、あまり煽らないでくれないか?」


 手のひら越しの声は、くぐもっている。

 それでも、声ににじむ熱量はしっかりとベルに伝わってきた。


「でも、あの、してもいいかなって思わなくもない、のよ?」


「……ベル、無理しなくていい。ベルの言う特別は、僕の気持ちと同じじゃないってことくらい、わかる」


 責めるように見つめられて、ベルは言い淀んだ。

 だって、本当のことだったから。


 何か言おうと口を開いては、困ったように口を閉じる。

 何度か繰り返していたら、呆れたようにハァ、と息を吐かれた。


 馬鹿にされたようで、なんだか悔しい。

 子どもっぽいって、思われたかもしれない。


「どうしてもっていうのなら、こうしよう」


 ケイトの顔が、近づいてくる。

 限りなく唇に近い頰へ、羽根が触れるような淡いキスを落とされる。


 こういう時は目を閉じるものだと思い出したのは、彼の顔が離れていってからだった。

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