7章 勇者の帰還⁈

第35話 ここにいてくれたらいいのに

 ここ最近、ケイトの様子がおかしい。

 ぼんやりしているというか、何をしていても心ここに在らずといった様子なのだ。


 現に今も、空を見上げながらぼうっと突っ立っている。

 訓練も畑仕事も終わっているから何をしていたっていいけれど、見ていると落ち着かない気持ちになる。


(その視線の先にあるのは、空? それとも、人の国へつながる穴?)


 切なそうな横顔に、もしかしたらホームシックになっているのかもしれない、とベルは思う。

 今更? と思わなくもないが。


 とはいえ、ベルも遠くにある魔王城が視界に入ると懐かしく思うことがあるので、人のことは言えない。


「うーん……」


 どうにも、腑に落ちない。

 そんな理由ではないと、ベルの勘が訴えている。


(そうでないなら、なんだというの……?)


 ふと、ベルはルシフェルのことを思い出した。

 つい先日、用事のついでにゴミ溜めの森ホーディング・フォレストへ寄ってくれた彼は、言っていたではないか。


『人の国から、使者が来るそうだ』


『もしかしたら、勇者を取り戻しに来るつもりなのかもしれないな』


 ゾワリ、と得体の知れないものが背中を這い上がってくる。

 警鐘を鳴らすかのように感じた悪寒に、ベルはブルリと体を震わせた。


「まさか、ねぇ?」


 ベルが知らないだけで、ケイトは帰る算段を立てていたのだろうか。


 帰りたくない、と。

 思わせぶりな態度や言動は、ベルの勘違いだったのか。


 それとも、人の国からなにか接触があって、帰るかどうか悩んでいるのだろうか。


(帰りたくないけれど、帰りたい。相反する気持ちのはざまで思い悩んで、それであんな顔を……?)


 道具を片付けながら、ケイトを盗み見る。

 彼は相変わらず、空を見上げていた。


 ほとんど白に染まった月が、彼を照らしている。

 見つけた時は日に焼けていた肌は、日の当たらない地の国に染まるかのように徐々に白くなり、今では魔族と遜色ないくらいだ。


(このまま、ここにいてくれたらいいのに)


 人の国なんてろくでもないところに、帰る必要なんてない。

 見た目だけで判断して危険な役目を背負わせる国なんて、愛想を尽かしてしまえば良いのだ。


(白くなった肌みたいに、ここになじんでしまえばいいのに)


 とりあえず、前者より後者の方があり得そうだ。

 ベルがそう思いたいだけかもしれないけれど。


 考えれば考えるほど可能性が広がっていって、わけがわからなくなる。

 ただ一つ断言できるのは、ベルはケイトを憎からず思っている、ということだ。


 冬になっても、春になっても、どれだけの季節が過ぎても、今のまま、交流を続けていきたいと思っている。


 だから、春になってレティが起きてきたら、「新しい友達ができたのよ」と紹介するつもりだった。

 レティはきっと「魔王の娘と勇者の恋⁉︎」なんていろいろ勘繰るだろうけれど、それはそれで面白いかなぁと思う。


(それがきっかけで、意識し合っちゃったりして)


 この気持ちが、レティが夢見るように語る『恋』というものなのかはわからない。

 友人以上恋人未満という言葉もあるそうだが、それもよくわからない。


 そもそも、友人がいない彼女にとっては未知の感情なのである。

 ベルが知る感情の中で一番近いものをあえて挙げるとするならば、『執着』だろうか。


 執着は、魔族にとって美徳である。

 今までベルは食べることにのみ発揮してきたが、まさかケイトに対しても抱くようになるとは思いもしなかった。


 その点において、ケイトはベルの特別なのだと言わざるを得ない。

 この気持ちがどう育っていくのかはベルにもわからないが、どうなってもいいから、いなくなったり、会えなくなったりすることだけは、避けたいと思う。


 それが、ベルの答えだ。

 ルシフェルと会って以来、ずっと考えていた、答え。


「これはちょっと……探る必要があるわね」


 ここで考えているだけでは、埒があかない。

 けれどベルが魔王城へ行くことは叶わないから──、


「冬がくる前に、なんとかしなくちゃ」


 きっと、今みたいな時のために、レティがいるのだ。


(冬眠準備中の今なら、まだ動けるはず)


 ベルはケイトの寂しげな横顔を見つめて、やがて視線を振り切るように踵を返した。

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